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(浅井茂利著作集)労働者福祉の向上に向けた社会保険労務士の活躍を

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1602(2016年5月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 愛知県の社会保険労務士(以下、「社労士」)が、「すご腕社労士の首切りブログ」というブログで、社員を会社から追放するために「社員をうつ病に罹患(りかん)させる方法」と題した文章を載せ、愛知県社労士会より3年間の資格停止と退会勧告、厚生労働省から3カ月の業務停止処分を受けた事件については、記憶に新しいところだと思います。労働組合の関係者で社労士の資格を持っている人は多いのに、労働組合の間での社労士のイメージは、率直に言ってあまりよいものではないようです。
 しかしながら、社会保険労務士法第1条では、「この法律は、社会保険労務士の制度を定めて、その業務の適正を図り、もって労働及び社会保険に関する法令の円滑な実施に寄与するとともに、事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上に資することを目的とする」とされています。
 すなわち社労士は、
*労働・社会保険法令の円滑な実施
*事業の健全な発達
*労働者等の福祉の向上
を使命にしていると言ってよいでしょう。
 貧困、格差の拡大、ブラック企業・ブラックバイト、メンタルヘルス、パワハラ・セクハラ・マタハラなどといった言葉が時代を表すキーワードとなっている中で、社労士のみなさんに、「労働者等の福祉の向上」のために活躍していただく必要性は高いと思います。
 ちなみに、2015年末に全国で約4万人(開業2万4千人、社労士法人の社員1,500人、一般企業勤務等1万5千人)の社労士が活動しています。4万人といってもイメージが湧きませんが、弁護士が3万6千人、税理士が7万6千人なので、感覚的に言えば、せめて税理士並みの数の社労士が活動していてもおかしくないような気がします。

労働条件審査

 金属労協では、現在策定中の「2016~2017年政策・制度要求(案)」において、
*公契約において、全国社会保険労務士会連合会が提案している「労働条件審査」を活用する。
*ブラック企業の存在を許さないため、社労士を活用して、労働法令違反を根絶する。
*社労士を活用した労働災害防止の仕組みを作る。
ことを掲げています。
 地方自治体が民間企業と契約を行う際、建設・土木などの公共事業に関しては、自治体と契約しているコンサルタントがチェックを行うわけですが、業務の民間委託などの場合、そうしたチェックはシステム化されていません。連合などが推進している「公契約条例」は、自治体から委託を受ける企業に対し、首長が定める作業報酬下限額以上の賃金や労働法令遵守を義務づけ、労働者台帳を提出させ、必要な報告を求め、自治体職員が立ち入り検査・質問ができるようにするものです。しかしながら、よほど悪評が広まっていないと、現実には、自治体職員が立ち入り検査・質問をするというのは、なかなか考えにくいところです。
 「労働条件審査」は、一般競争入札などによって自治体が行う公共事業や業務の委託を受けた企業について、社労士が労働基準法などの労働法令、社会保険法令に基づく規程類・帳簿書類を確認するとともに、その書類の内容どおりの労働条件が確保され、労働者がいきいきと働くことができる職場になっているかを確認する仕組みです。
 具体的な手順としては、
①自治体と社労士との打ち合わせによる審査内容の決定
②労働条件審査の実施
 *事業主が作成した書類の確認
 *書類が実態として機能しているか、労働者へのヒアリング
③審査報告書の作成・提出
ということになります。審査内容は自治体の要望によって異なりますが、審査の視点としては、
*雇用契約、労使協定は適正か。
*労働時間管理、残業時間の集計方法、休日・休暇は適切か。
*賃金控除規定等は適正か。
*各種保険の加入状況、加入時期は適正か。
*法定帳簿が整備されているか。
*健康診断、産業医、業務災害への対応状況は適正か。
などが挙げられています。
 これらをチェックするため、以下のような書類を審査し、その後、書類どおりに実際に機能しているかどうか、従業員にヒアリングを行います。
          労働条件審査で審査する書類
出勤簿、労働者名簿、賃金台帳、就業規則、給与規程、退職金規程、育児・介護休業規程、労働条件通知書、36協定控、賃金控除協定書、雇用契約書、社会保険届出控、雇用保険届出控、労働保険料申告書控、労働保険継続一括関係控、定期健康診断報告控、衛生管理者・産業医の届控、有給休暇管理台帳、会社の組織図

 東京都では、板橋区が2008年に導入したのを皮切りに、千代田区、新宿区、北区、練馬区、江戸川区でも採用されているということです。「公契約条例」の有無にかかわらず、「公契約条例」の考え方を具体化するシステムと言えるのではないかと思います。

ブラック企業の根絶

 第2は、ブラック企業の根絶に社労士が役割を果たすということです。単に企業の労働法令違反をなくす、ということであれば労働基準監督官が摘発を強化し、監督官の数が足りないのであれば、罰則を強化して、一罰百戒のシステムにする、というのが本筋であるわけです。
 しかしながら、社労士のみなさんにはもっと踏み込んで、人件費を少しでも安くという風土の企業があればまさに「労働者等の福祉の向上」を企業の目的とするような風土に変えていっていただきたい、ということなのです。
法令違反かどうかというのは、最終的には裁判で決まるわけですが、裁判をやれば勝つけれども、法の精神には反しますよ、というような場合もあるわけです。
 例えば法定では、時間外の割増率は25%以上(月60時間以内)、休日の割増率は35%以上となっていますが、35%が適用されるのは、週1日のいわゆる法定休日だけで、週休2日制の場合のもう1日の休日は、25%でもよいわけです。しかしながら、割増率の目的は、「通常の労働時間または労働日に付加された特別の労働なので、それに対しては一定額の補償をさせること、そしてその経済的負担によって時間外・休日労働を抑制すること」にある(菅野和夫『労働法』)わけですから、法定休日ともう1日の週休日とで割増率が異なってよい合理的な理由はないと思われます。
 実際、多くの企業では、2日間の週休日の割増率を区別していないと思います。しかしながら、区別している企業があることも事実ですから、そうしたところに対しては、「お宅のような会社がそんなことをしているのは、みっともないですよ」というようなアドバイスを行う、これが社労士の大事な役目なのではないかと思います。
 もちろん、個々の社労士によって言うことが違うと、うるさいことを言わず人件費を安くしてくれる社労士と契約しよう、ということになってしまいますので、さまざまな事例を整理し、マニュアル化し、法の精神を守るという点については、どの社労士でも同じようなアドバイスが行われるようにしていくことが必要です。
 なお全国社会保険労務士会連合会では、民間企業の労務情報、たとえば従業員数、平均年齢、平均年収、労働時間、勤続年数などをデータベース化した「サイバー法人台帳ROBINS」というシステムを提供しています。登録された情報は誰でも閲覧できますが、それだけでなく、社労士が情報に基づいて「経営労務診断サービス」を行い、そのお墨付きを得ることができれば、企業は労務管理における健全性を顧客や就職希望者にアピールできる、という仕組みです。率直に言ってまだまだこれからの段階だと思いますが、将来的に、帝国データバンクや東京商工リサーチなどの企業情報のように、民間企業が他の企業と取引を始めようとする時には、相手先の労務情報を必ずチェックする、というような仕組みになるとよいと思います。

労災の防止

 社労士と労災防止というのは、あまり結びつかないような気がしますが、社労士は労災が起こった際の手続きだけでなく、労災防止に対し、もっと活躍できるのではないかと思います。すでに建設業や農業の分野では、社労士との連携が進んでいるとのことですが、製造業でも死亡事故は大変多く、利用できる人的資源は最大限活用して、労災の撲滅を図っていかなくてはなりません。
 労災防止と言えば、中央労働災害防止協会、地区安全衛生サービスセンター、労働安全コンサルタントの守備範囲ということになりますが、地区安全衛生サービスセンターは全国に9カ所だけですし、日本労働安全衛生コンサルタント会に所属するコンサルタントは、準会員を含め1,138名(2015年3月末)にすぎず、しかも最近は減少傾向にあるようです。
 労災防止の基本的な手法としては、
リスクアセスメント・・・自主的に職場の潜在的な危険性や有害性を見つけ出し、事前に的確な対策を講ずる。
危険予知訓練・・・職場や作業の中に潜む危険要因とそれが引き起こす現象を、イラストを使い、また現場で実際に作業をしながら小集団で話し合い、危険ポイントや重点実施項目を指差確認していく。
危険予知活動・・・実際の作業開始前に、その日の作業内容や現場の状況に沿って、経験と想像力を働かせ、起こる可能性のある災害を想定し、その防止対策を立てる。
といったものがありますが、こうした活動のマンネリ化も指摘されているようです。社内の安全管理者だけでなく、外部の目によるチェックが重要だと思いますが、1,138名の労働安全コンサルタントでは、日本全国の事業所の労災防止にあたることは困難だろうと思います。4万人の社労士が、まずは自らが顧問をしている企業において、労災防止に積極的に関与すれば、その効果は非常に大きいのではないでしょうか。

労働CSRと社労士

 CSR(企業の社会的責任)と言えばコンプライアンス、環境、社会貢献というイメージがあるかもしれませんが、グローバル経済下では、「労働CSR」こそCSRの中核であるとみなされています。
 労働CSRとは、ILOの中核的労働基準(結社の自由・団体交渉権、強制労働の禁止、児童労働の廃止、差別の排除)をはじめとして、安定した雇用、ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)、賃金・労働条件、労使協議、安全衛生、人材育成など幅広い分野で、企業に対してあるべき行動を求めるもので、具体的には、組織の社会的責任規格「ISO26000」や、国連「グローバル・コンパクト」、経団連「企業行動憲章実行の手引き」などに記載されています。
 全国社労士会連合会では、日本とILOとのパイプ役である吾郷眞一・立命館大学教授を代表に、労働組合からは熊谷謙一・日本ILO協議会事業企画委員(元・連合国際局長)や斗内利夫UAゼンセン政策・労働条件局長なども加わって、「社労士とCSR」研究プロジェクトを発足させています。
 またILO駐日事務所では、日本独特の制度である社労士を、東南アジア諸国に広める活動にも着手しているとのことです。
 こうしたさまざまな取り組みを通じて、社労士が「労働者等の福祉の向上」のためのアドバイザー、コンサルタントとして、大きな使命を果たしていくことを期待したいところです。

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