見出し画像

人権デュー・ディリジェンスの骨抜きにお墨付きを与えかねない経産省「ガイダンス」

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1679(2022年10月25日)掲載
金属労協主査 浅井茂利

<情報のご利用に際してのご注意>
 本稿の内容および執筆者の肩書は、原稿執筆当時のものです。
 当会(一般社団法人成果配分調査会)は、提供する情報の内容に関し万全を期しておりますが、その正確性、完全性を保証するものではありません。この情報を利用したことにより利用者が被ったいかなる損害についても、当会および執筆者は一切責任を負いかねます。
連絡先:info@seikahaibun.org


 経済産業省は9月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」をとりまとめました。ガイドラインは、
*国連指導原則、OECD多国籍企業行動指針及びILO多国籍企業宣言をはじめとする国際スタンダードを踏まえ、企業に求められる人権尊重の取組について、日本で事業活動を行う企業の実態に即して、具体的かつわかりやすく解説し、企業の理解の深化を助け、その取組を促進することを目的として策定したものである。
とされているにもかかわらず、核心部分において、国際スタンダードとそぐわないところがあり、人権デュー・ディリジェンス(人権DD)の骨抜きにお墨付きを与えかねないものとなっています。
 現実に人権DDを実施する立場からすれば、ガイダンスの問題点は明白だと思いますが、企業がこれに従って行動し、その結果、国際的に厳しい指弾を受けることのないよう、注意喚起が必要だと思います。

アジアにおける建設的な労使関係について

 経産省のガイダンスでは、
*既に、多くの日本企業は、特にアジア諸国のサプライヤーを含む関係企業と協力して、労働者の技能開発や、労働安全衛生の向上、建設的な労使関係の構築に取り組み、信頼関係を築いてきている。このようなディーセント・ワークや建設的労使関係等の取組は、日本企業の持つ強みといえる。
と記載しています。
 しかしながら、アジアの日系企業において、中核的労働基準の侵害に関わる労使紛争が、今なお頻発している状況とはそぐわない記載といわざるをえません。アジアにおける建設的な労使関係の構築は、むしろ日本企業にとって取り組むべき課題です。
 とりわけ、GFA(グローバル枠組み協定)について、
*一部の企業では、自社の労働組合及び国際産業別労働組合組織とグローバル枠組み協定(多国籍企業の行動に関する国際的な労使協定)を作成し、ILOの基本条約の遵守といった公約を協定という形で広く社会に宣言するとともに、その公約の達成に取り組むことも行われている。
との記載がありますが、日本企業のGFA締結はわずか3社に止まり、まさに日本企業の立ち遅れている分野です。

国際的に認められた人権と国内法の関係

 ガイドラインでは、国連「指導原則」に則り、
*ある国の法令やその執行によって 国際的に認められた人権が適切に保護されていない場合においては、国際的に認められた人権を可能な限り最大限尊重する方法を追求する必要がある。
と記載しています。しかしながら「指導原則」では、人権を尊重する責任は、「人権を保護する国内法及び規則の遵守を越えるもので、それらの上位にある」、すなわち国際的に認められた人権は国内法に優先することが明記されていますので、それをまず記載すべきでした。その上で、国内法によって「適切に保護されていない場合」の対応について、「指導原則」に記載されている内容、すなわち
*国際基準を遵守する方法を追求する。
*その状況のもとで、国際基準を「出来る限りぎりぎりまで」遵守する。
*その努力を行動によって立証する。
*国内法に従った場合には、国際法違反の責任を問われる場合もあることを認識する。
を本文で具体的に記載すべきでした。

「加担」の問題について

 ガイドラインでは脚注で、
*(助長の)場合において加担の問題が生じ得る。適用される法令によっては、当事者による侵害行為への加担という法的責任が生じる可能性もある。
と記載しています。しかしながら国連「指導原則」では、加担の問題は法的でない意味、法的な意味の両方が記載されています。法的でない意味としては、
*他者が犯した侵害から利益を得ているとみられる場合など、企業はその当事者の行為に「加担して」いると受け取られる可能性がある。
と明記されていますので、これをガイドライン本文で記載すべきでした。具体的には、
*人権侵害の発生している企業との取引、人権抑圧地域での工場展開などによって、結果的に低価格で供給を受けている場合
*人権抑圧地域において、自由にして民主的な国々の企業が撤退した後も残留して事業活動を継続している場合
などが想定されます。

労働組合の位置づけ

 人権DDに関する基本文書のひとつであるILO「多国籍企業宣言」においては、デュー・ディリジェンス・プロセスでは、「結社の自由と団体交渉及び継続的な過程としての労使関係と社会対話が果たす中心的な役割に配慮すべきである」と明記されています。従業員は事業活動の担い手であり、職場における人権の確保には現場の従業員の持つ情報の活用と従業員の積極的な行動が不可欠であること、従業員は人権侵害の被害者にも加害者にもなり得ることなどからすれば、ステークホルダーの中で従業員は特別な存在であり、労働組合は特別な役割を担う必要があります。
 しかしながらガイドラインでは、
*ステークホルダーの例としては、例えば、取引先、自社・グループ会社及び取引先の従業員、 労働組合・労働者代表、消費者のほか、市民団体等のNGO、業界団体、人権擁護者、周辺住民、先住民族、投資家・株主、国や地方自治体等が考えられる。
と記載され、労働組合はステークホルダーのひとつとしてしか位置づけられていません。

下請法、独禁法との関係

 ガイドラインでは、
*企業が、製品やサービスを発注するに当たり、その契約上の立場を利用して取引先に対し一方的に過大な負担を負わせる形で人権尊重の取組を要求した場合、下請法や独占禁止法に抵触する可能性がある。人権尊重の取組を取引先に要請する企業は、個別具体的な事情を踏まえながらも、取引先と十分な情報・意見交換を行い、その理解や納得を得られるように努める必要がある。
と記載しています。しかしながら、国際的に認められた人権を確保する取り組みが「過大な負担」であるはずがなく、企業が市場経済に参加するための最低限の条件にすぎません。
 下請法や独禁法への抵触について過度に強調することは、「人権尊重の取組」を取引先に求めない口実に用いられる危険性があり、国際スタンダードに則した人権DDの取り組みにブレーキをかけることになりかねません。

企業固有の人権方針について

 ガイドラインでは、
*各企業が自社の経営理念を踏まえた固有の人権方針を策定することによって、人権方針と経営理念との一貫性を担保し、人権方針を社内に定着させることに繋がる。
と記載しています。しかしながら、各企業がそれぞれの考える人権を求めていたら、バリューチェーン企業は異なる取引先からさまざまな、場合によっては矛盾する人権を要求され、負担・リスクが増大することになります。企業が人権DDを通じて他社に求める人権は、国際的に認められた人権に限定される必要があります。

取引停止の問題

 バリューチェーン企業において人権侵害が発生しており、これが是正されないために行われる取引停止について、ガイドラインでは、
*取引停止は、 自社と人権への負の影響との関連性を解消するものの、負の影響それ自体を解消するものではなく、むしろ、負の影響への注視の目が行き届きにくくなったり、 取引停止に伴い相手企業の経営状況が悪化して従業員の雇用が失われる可能性があったりするなど、人権への負の影響がさらに深刻になる可能性もある。
*このため、人権への負の影響が生じている又は生じ得る場合、直ちにビジネス上の関係を停止するのではなく、まずは、サプライヤー等との関係を維持しながら 負の影響を防止・軽減するよう努めるべきである。したがって、取引停止は、最後の手段として検討され、適切と考えられる場合に限って実施されるべきである。
と記載しています。
 しかしながら、人権DDの根底にある考え方は、人権侵害を行う企業は市場経済から退出せよ、ということにほかなりません。ガイドラインの記載は、人権侵害が是正されていない企業との取引を継続するための口実に用いられる危険性があり、国際スタンダードに則した人権DDの取り組みにブレーキをかけることになりかねません。「取引停止は、最後の手段」という表現も、契約自由の原則に反します。
 またガイドラインでは、
*そもそも取引停止が適切でない場合があることはもちろん、適切であるとしても不可能又は実務上困難と考えられる場合もある。取引を停止する場合、取引を継続する場合、いずれも、 人権への負の影響の深刻度については考慮されなければならず、下表のような責任ある対応が期待される。
とし、取引を継続する場合、「下表」において、
*取引先の状況の継続的な確認
*取引継続の妥当性の定期的な見直し
*取引維持と自社の人権方針が一致するか、影響力の行使として何が行われているか、取引先の状況をどのように確認し続けるかの説明
を求めています。
 国連「指導原則」では、「企業の事業にとって必要不可欠な製品またはサービスを提供し、適当な代替供給源が存在しない」ために、取引関係を維持している場合について、
*人権侵害を軽減するための継続的な努力をしていることを証明できるようにする。
*取引関係を継続することが招来する結果、すなわち評判、財政上または法律上の結果を受け入れる覚悟をする。
という内容を求めていますので、これを記載すべきでした。

国家が関与した、あるいは紛争地域における人権侵害

 国家が関与した人権侵害や紛争地域における人権侵害について、ガイドラインでは、
*その地域の事業活動が納税等を通じて国家等による人権侵害の資金源となる懸念が生じ得るが、関連性の有無・強弱を判断することは容易ではなく、事業活動を行っていることのみをもって、直ちに人権侵害に関係したこととはならず、即時停止又は終了が求められるわけではない。
*紛争地域では、急激な情勢の悪化により、企業が突如として撤退せざるを得なくなるケースがあるが、消費者が生活に必要な製品・サービスを入手できなかったり、撤退企業から解雇された労働者が新たな職を得ることが一層難しくなったりするため、企業は事業活動の停止や終了を判断する場合、通常の場合以上に、慎重な責任ある判断が必要である。
という内容を記載しています。
 しかしながら、国家が関与した人権侵害の場合、企業がその国で事業活動を行っていること自体、人権侵害に対する加担、助長、さらには幇助とみなされる危険性があります。企業が納めた税金が資金源となることだけが問題なわけではありません。事業活動の影響を「納税等」に矮小化し、取引の継続を促すのは、きわめて不適切です。
 またひとくちに紛争地域と言っても、他国に侵攻し、他国の人権を侵害している場合については、厳しく対処する必要があります。
 国家が関与した人権侵害や紛争地域における人権侵害に対し、個別企業での対処は困難であり、事業活動停止の判断は、自社の都合ではなく、国際社会、とりわけ自由にして民主的な国々のコンセンサスに従う必要があります。わが国企業のみが事業活動を継続し、人権侵害や紛争を利用して利益を得ているという評価を得ることは、絶対に避けなければなりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?