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職務給は、いい意味で名ばかりとなることは避けられない(2)・・・職務給で客観性、透明性、わかりやすさを確保できるのか

2023年6月9日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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*2023年5月に「新しい資本主義実現会議」がとりまとめた「三位一体の労働市場改革の指針」によれば、職能給を中心とする「戦後に形成された雇用システム」には、
・職務やこれに要求されるスキルの基準が不明瞭
・評価・賃金の客観性と透明性が不十分
・個人がどう頑張ったら報われるかが分かりにくい
という問題があり、
・日本の賃金水準の長期にわたる低迷、外国企業との賃金格差
・働く個人の多くが受け身の姿勢で現在の状況に安住しがち
・エンゲージメントの低さ
の背景となっている、と指摘されています。

*しかしながら、必ずしも根拠やロジックが定かではなく、仮にこうした状況があったとしても、
・職務給を柱とするジョブ型人材マネジメントに転換することによって、解消することが可能なのか。
・職能給を改善することで解消することができないのか。
という点は、わかりません。

職能給に対する誤解と職務給への転換による新たな問題

*職能給に対する批判は、ある程度、職能給に対する誤解によって生じている、正確に言えば、職務給への転換を主張する人々が、職能給に対する誤解を利用しているというところがあると思います。

*たとえば、職能給に対して、「顕在能力のみならず、潜在能力をも含めて職務遂行能力を評価し、それを賃金に反映させる仕組み」というような説明がされる場合があります。潜在能力を評価するのは困難ですから、こうした説明では、評価基準が抽象的、情緒的に見えてしまいます。客観性と透明性が不十分で、個人がどう頑張ったら報われるかがわかりにくく、結局、年齢や勤続年数によって賃金が決定されることになるのだろう、という誤解が生じるのはやむを得ないかもしれません。

*しかしながら、職能給は潜在能力を評価するものではなく、
①基礎的な職務遂行能力:たとえば規律性、協調性、積極性、責任制、報告・連絡・相談、改善意欲、信頼性、時間意識・時間活用、自己啓発、消費者志向性、安全意識、など
②実務的な職務遂行能力:たとえば知識、技術・技能、理解力・判断力・表現力、実行力・行動力、計画力、折衝力・交渉力、外国語力、業務改善力(創意工夫力)、情報収集力、バランス感覚、トラブル対応力、クレーム対応力、気力・体力、ストレス耐性、など
を評価するものです。(注1)

*基礎的な職務遂行能力は、一般的には情意、勤務態度などと呼ばれているので、これも客観性、透明性が不十分という批判の一因になっているかもしれません。

*たしかにこれらの職務遂行能力は、一部を除き「大学入学共通テスト」のように厳密に点数化できるものではありません。しかしながら、それでも複数の評価者の目を通して、可能な限り客観性を確保することは可能だと思います。

*職能給の場合、スキルがポジションを決め、スキルが賃金を決める、すなわち、
スキル+功績+成績 → ポジション
          ↘
            賃金

となるわけですが、職務給では、
スキル+功績 → ポジション
ポジション+成績 → 賃金

ということになります。

*結局、職能給であろうが、職務給であろうが、
・スキル(基礎的な職務遂行能力、実務的な職務遂行能力)
・功績(実績の積み重ね)
・成績(短期的な実績)
が賃金を決めることになるので、職務給であれば自動的に客観性、透明性、わかりやすさが確保できる、ということにはなりません。スキルも実績もない若手をポテンシャルだけで抜擢する、ということも、通常であれば考えにくいと思います。逆に職能給であると、必然的に客観性、透明性、わかりやすさの確保が困難である、ということにもなりません。

*どちらの制度であっても、スキルと実績の評価、およびスキルをポジションに結び付ける任用について、客観性、透明性、わかりやすさを確保した仕組みを構築し、運用していく以外に方法はありません。

*職能給の場合、会社がスキルや功績に見合ったポジションを従業員に提供できていない場合でも、賃金では報いることができますが、職務給ではそれが難しくなります。ポジションへの任用の過程が不透明であれば、自動的に賃金決定も不透明になってしまう、という欠点が新たに生じることにも、留意する必要があります。

*厳密な職務給においては、成績査定も行われないので、職務と賃金が完全に結びついており、たしかに客観性、透明性、わかりやすさが確保できるということになるかもしれません。しかしながら、そのような厳密な職務給は、欧米でも一部の職種に止まっています。厳密な職務給の導入を意図しているわけではないのに、職務給導入の理由として、厳密な職務給の特質を挙げるのは間違いだと思います。

日本の賃金水準の長期にわたる低迷と海外との賃金格差の原因

*日本の賃金水準の長期にわたる低迷と海外との賃金格差は、以下のような原因によって生じているものと思われます。
①バブル崩壊以降、供給力に比べ需要不足の状態が続き、雇用削減圧力が強まるとともに、企業にとっては、低成長・デフレ下でも「増益」が至上命題であり、利益確保のための賃金引き下げ圧力が強まったこと。 
②経済のグローバル化で競争相手となった途上国・新興国の低賃金を過度に恐れ、企業が高賃金・高付加価値・高利益をめざすのではなく、低賃金・低付加価値・低利益構造に向かってしまったこと。
③このため、一定の年齢に達すると多くの従業員について定期昇給をゼロもしくはマイナスとする成果主義賃金制度が導入され、中高年層全体として賃金水準が低下したこと。 
④物価が上昇したり、下落したりする状況では、労働組合が物価上昇を根拠に賃上げを要求すると、経営側から物価が下落したら賃下げ、と反論されてしまうことから、物価上昇を要求根拠としづらく、賃上げ要求が抑制的となったこと。 
「同一価値労働同一賃金」の原則が確立されないまま、「雇用のポートフォリオ」の名の下に、正社員の仕事を賃金水準の低い非正規雇用や間接雇用の労働者、外国人材が担うようになったこと。

*すなわち、職能給が賃金水準の低迷と海外との格差の原因ではなく、職能給の見直しが原因ということになります。

*ちなみに「指針」では、「同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差」という記載がありますが、実態としては、どのような職務であっても、「日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差」は大きいものとなっています。まずは日本全体の、勤労者全体の、賃金水準の引き上げが先決です。「同じ職務であるにもかかわらず」という表現は、あたかも職能給が賃金格差の原因であり、職務給の導入で格差が是正できるような印象操作と言わざるを得ません。

*たとえば、新しい資本主義実現本部事務局が2023年2月に提出した「基礎資料」に掲載されている「職種別の内外賃金差」の表を見ると、日本を100としたドイツの賃金水準は、「全職種合計」で157となっており、「クリエイティブデザイン」の133を除けば、すべての職種が166(営業/マーケティング)から148(総務)の間に収まっており、日独の賃金差が職種ごとに大きく異なっているという状況ではないと思います。

生産年齢人口の減少が続く中で、従業員を社内で腐らせたり、社外へ追い出したりする余裕はない

*「基礎資料」では、「日本企業がジョブ型雇用を導入する理由」を列記していますが、その一番目として、「年齢が高いだけで高い処遇を得ている社員に対して、報酬面での適正化を図る」を挙げています。

*中高年層の多くが、賃金に見合った実績をあげていないという前提に立ち、実績に見合った賃金への引き下げを主張しているわけですが、仮にそのような従業員が存在するとしても、「高い処遇を得ている社員」には、本来、高いポテンシャルがあるはずです。

*1990年代後半以降の成果主義の導入により、多くの中高年従業員はゼロ定昇、マイナス定昇を余儀なくされ、エンゲージメントやモチベーションが削がれてきた、ということは否定できないと思います。

*成果主義は、過剰労働力が大きな問題となっていた時代の産物ですが、いまや猛烈な人手不足となっており、将来的にも生産年齢人口の減少が続く中で、高いポテンシャルがあるはずの従業員の賃金を引き下げて、社内で腐らせたり、社外へ追い出したりする余裕はないはずです。高いポテンシャルを発揮させて、「高い処遇」に見合った実績を求めるのが、企業として当然の人材活用だと思います。

*若手従業員にとっても、中高年層の賃金水準引き下げは、将来不安に直結します。若者の将来不安というと、老後の不安、社会保障制度の持続可能性に対する不安の議論にすり替えようとする言説がありますが、若者の将来不安は、まず第一に教育費を中心とする子育て不安だと思います。

*政府の政策として、学校の授業料を無償化し、中高年層の教育費負担を減らすことは可能です(それはそれで別の問題が発生します)が、塾や予備校の費用まで無償化することは困難です。中高年層の賃金水準が低く、十分な子育て費用を賄うことのできない企業では、若手従業員は、子育て費用を賄える企業に転職しようと考えるのが自然です。

*「駒」型人材活用スタイルや、「モジュラー」型人材活用スタイルであれば、それでいい、ということになりますが、「乗組員」型人材活用スタイルにおいて、人材を確保し、流出を防ぎ、エンゲージメントやモチベーションを高めるためには不適切であることは明らかです。

エンゲージメントと「乗組員」型人材活用スタイル

*近年、「エンゲージメント」が注目されており、日本におけるその「低さ」が指摘されています。エンゲージメントの定義は、必ずしも統一されているわけではなく、たとえば、
ギャラップ社:仕事と職場の両方に対する従業員の関与と熱意(google翻訳による)
ADPリサーチ・インスティテュート:仕事に対するポジティブで充実した心理状態
経団連:働き手にとって組織目標の達成と自らの成長の方向性が一致し、「働きがい」や「働きやすさ」を感じられる職場環境の中で、組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢
などとなっています。要は、「企業活動や、職場のチームでの活動に参画しているという意識と、仕事に対する熱意」ということだと思います。ちなみに、「日本ではエンゲージメントが低い」という場合、ギャラップ社の調査を根拠にしているはずです。

*米国の主要な民間調査機関であるADPリサーチ・インスティテュートが2018年に実施した調査(19カ国・19,346人が対象)によれば、
エンゲージメントと生産性において個人差が生じる最も強力な要素は、回答者が「業務の大部分をチームで行っている」と回答したかどうかである。職場での生の体験、つまりは一緒に仕事をする同僚と、同僚とのやり取りが何物にも勝る力を持っている。
・自分がチームの一員であるという感覚を抱くのには、企業文化に同調する必要もなければ、特殊な研修コースや能力開発プログラムに参加する必要もない。チームのリーダーやメンバーの姿が毎日見られるか、彼らが話しかけてくれるか、身を乗り出してサポートしてくれるかどうか、などにかかっている。
・チームとは、組織図上に記載されている指揮命令系統では説明できないものである。業績はたいてい、組織図で記載されたボックスの外、実際の職場で機動的かつ偶発的、短期的に動く非公式で流動的なチームで発生している。
ということです。(注2)

*もともと同じ職務=ポジションであったとしても、個人によって、職務内容や作業内容はかなり異なってきます。前任の営業課長は中小企業の営業が得意だったが、新任の課長は役所の営業のほうが得意なので、中小企業の営業はもっぱら課長補佐に任せる、ということがあるかもしれません。

*ましてや、「機動的かつ偶発的、短期的に動く非公式で流動的なチーム」で仕事を進める場合、色々な職務の人々が、それぞれ得意とするさまざまなスキルを発揮し合い、サポートし合い、影響し合うことによって成果をあげていくわけですから、職務内容や作業内容も、機動的、偶発的、短期的、非公式、流動的ということになります。こうした職務内容やそれに必要なスキルを職務記述書に記載するのは容易ではなく、またそれによって職務を定義づけるのも適切ではありません。「乗組員」型人材活用スタイルでは、職務を介してスキルを賃金に紐づける職務給よりも、スキルを賃金に直接紐づける職能給のほうが合理的なのは明らかです。

*新聞報道や新しい資本主義実現会議における議論などを見ていると、日本中の企業がいますぐ職務給に転換する、転換しなければならない、ように誤解しがちです。しかしながら、日本の中心的な産業、日本をリードする産業において、必ずしもそうした議論に至っていないという状況も、十分に認識しておく必要があります。

(注1)荻原勝(2018年)『人事考課制度の決め方・運用の仕方』経営書院に記載の考課項目を、一般社団法人成果配分調査会で基礎的な職務遂行能力、実務的な職務遂行能力にあてはめた。
(注2)『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2019年11月号より一般社団法人成果配分調査会まとめ

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