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(浅井茂利著作集)バイデン政権における新冷戦と日本企業

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1660(2021年3月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 2021年1月に米国でバイデン大統領が就任し、今後、新冷戦がどのように推移していくのかが、きわめて注目されるところとなっています。バイデン政権においても、中国共産党政権に対する米国の厳しい姿勢が後戻りすることはないと思われますが、トランプ政権とはその手法が異なってくるため、すでに、その隙を突いてきたような中国側の動きも始まっているようです。日本政府としては、 TPPなども活用しつつ、米・加・豪・NZ・印などをはじめとする「自由で開かれた」国々との連携を一層強化していくことが必要ですし、日本企業としては、新冷戦が四半世紀近くに及ぶことを前提とした上で、脱中国を軸とした中長期にわたる経営戦略を構築していく必要があります。

バイデン政権の対中姿勢

 2021年1月に米国でバイデン大統領が就任しました。政権としてはまだ、ハドソン研究所におけるペンス副大統領演説(2018年10月)、あるいはニクソン大統領図書館におけるポンペオ国務長官演説(2020年7月)に匹敵するような、対決姿勢を明確に示す演説は行われていません。しかしながら、いくつかの発言を見れば、厳しい対中姿勢が後戻りするようなことはなさそうです。
 ちなみに、ペンス副大統領がハドソン研究所で演説を行ったのは、ニクソン政権時代からの対中政策の専門家であり、2015年にこれまでの対中政策の過ちを認めた著書『china2049』を執筆したマイケル・ピルズベリー博士がハドソン研究所中国戦略センターの所長を務めており、トランプ政権や共和党のみならず民主党も含め、超党派でピルズベリー博士の見解を支持していることを広く周知させる意味合いがありました。また、ニクソン図書館でのポンペオ演説も、建設的な関係を築けば、中国はやがて民主的で平和的な大国になるというニクソン政権以来の楽観主義からの転換を印象づけるものでした。
 バイデン政権においても、ブリンケン国務長官は、就任前の上院における指名承認公聴会において、
*中国が米国にとって最重要課題なのは疑う余地がない。
*トランプ政権の対中強硬政策は、全ての手法に賛同しているわけではないが、正しかった。
と語るとともに、トランプ政権が退陣直前に中国が新彊ウイグル自治区でウイグル族などイスラム教少数民族に対し「ジェノサイド(民族大量虐殺)」を犯した、と認定したことについても支持を表明しました(ロイター)。
 この際、ブリンケン氏は「超党派の議員から称賛を受けた」とされており(同)、厳しい対中姿勢が民主・共和両党共通のものであることが改めて確認されました。
 2月4日に行われたバイデン大統領自身による外交演説においても、
*最も重大な競争相手である中国が、安全保障や民主主義の価値観に突きつけた挑戦に真っ向から取り組む。
*中国の不当な経済行為に立ち向かう。攻撃的で威圧的な行動に反対し、人権、知的財産、グローバルガバナンスへの中国の攻撃を押し戻す。
との態度を表明しています。
 さらに2月19日のミュンヘン安全保障会議(オンライン)においてバイデン大統領は、「米国は同盟を活性化する外交を主導し軍事力を近代化する」と語るとともに、「我々は中国との長期的な戦略的競争に向け準備しなければならない。米国、欧州、アジアが協力して平和や共通の価値観を守ることが重要だ」と強調しています(読売)。

懸念材料は民主党政権の外交下手

 このように、米国の厳しい対中姿勢がバイデン政権においても変わらないことは明らかだと思われますが、懸念材料があるとすれば、民主党政権の伝統的な外交下手ということがあると思います。中国の脅威については、オバマ政権においても十分に認識されていたはずですが、結局、具体的な行動には至りませんでした。バイデン政権発足後の1月には、ホワイトハウスのサキ報道官が、対中政策について、オバマ政権が対北朝鮮政策で使用していた「戦略的忍耐」という言葉を軽率に使ってしまい、あとで火消しに追われる
というような失態もありました。「戦略的忍耐」とは、結局、波風を立てず、何もしないでがまんする、という意味で一般的に受け止められていますので、きわめて不適切であったことは明らかです。この言葉が出てきた際
には、中国共産党政権は小躍りしたかもしれません。いずれにしても、バイデン政権内部でまだ意思統一が図られていないことが、白日の下にさらされてしまいました。また、必ずしも民主党政権に限ったことではないのですが、米国国務省は、相手を交渉のテーブルに着かせるために譲歩してしまう
という悪い行動パターンがあるということです。交渉に入る前から譲歩してしまっては、独裁政権、人権抑圧政権の行動を変えさせることなど到底不可能です。
 さらにバイデン政権は、トランプ政権との手法の違いを人権重視、同盟国重視に求めようとしています。人権重視、同盟国重視は、それ自体は当然のことで、最重要課題であるわけですが、実際にそれが中国に対する圧力強化につながるかと言えば、そうではなく、むしろ逆になってしまう可能性もあります。
 まず人権問題ですが、アメリカやその同盟国はもとより、世界中のあらゆる国々が中国における人権抑圧を批判したとしても、そもそも人権尊重という意識のない中国共産党政権は、何の痛みも感じないはずです。射程距離よりもずっと遠くにいる敵に大砲を撃っているようなものなので、何の効果もありません。むしろ世界には、人権問題でうしろめたさを抱えている国は少なくないので、バイデン政権としては、中国の人権抑圧を批判しつつ、人権問題を抱える国々も対中包囲網に組み入れていくというダブルスタンダード戦略をとらざるをえませんので、人権重視を強化するにしても、そうした外交のマイナスにならないようにしていく必要があります。
 バイデン政権発足後、ミャンマーで軍がクーデターを起こしました。中国共産党政権ならびに人民解放軍の関与が指摘されていますが、もしそうであれば早速、民主党政権の外交下手、バイデン政権の人権重視外交の隙を突いてきたものと判断せざるを得ません。米国がオバマ政権下にあった2014年、ウクライナのクリミア自治共和国にロシアが侵攻したことを想起させます。
 同盟関係重視という点では、(トランプ政権というよりは)トランプ大統領が米軍駐留経費に関する同盟国の大幅負担増にこだわり、できなければ米軍撤退という圧力をかけていたことは、明らかに「自由で開かれた」陣営の同盟関係を損なうものでしたので、その解消は対中圧力の強化につながります。ただし、同盟国の合意形成を重視しすぎると、つい最近まで中国との連携を国策としていたドイツや、マクロン大統領のフランスなどと温度差が生じる可能性もありますので、米国が主導力を発揮して対中政策を決定し、同盟国はそれに従っていくというかたちが、対中圧力という点では最も有効であろうと思われます。

新冷戦と日本経済

 日本経済は、2018年10月より景気下降局面に入っていますが、まさに同月に行われたペンス副大統領演説を契機として、企業の投資姿勢が一気に慎重になったことによる部分が大きいと推測されます。日本工作機械工業会が発表している工作機械受注額は2018年7~9月期までは前年比プラスで推移していましたが、翌10~12月期にはマイナス12.5%となっています。 2019年の受注額は、2018年に比べ3分の2の水準に落ち込み、2020年にはコロナ禍がさらに追い打ちをかけて2018年比で半分の水準となってしまいました。秋以降は回復傾向にあり、コロナ禍による落ち込み分は解消されてきているものの、新冷戦による落ち込み分を回復するには至っていません。
 日本経済新聞などが2020年12月に実施した「日中韓経営者アンケート」における日本の経営者の回答を見ても、「企業が直面する経済の不安定要因」としては「新型コロナによる内需不振や輸出減少」に続いて、「米中貿易摩擦」が第2位(2つまでの複数回答で42.9%)となっており、そのため、 2021年の設備投資は、国内・海外とも「20年とほぼ同じ」という回答が
6割を占める状況となっています。新冷戦が経済の低迷を招いていることは明らかです。

企業の脱中国の動きは緩慢

 新冷戦は長期化し、少なくとも20年から25年の長期にわたることが予測されています。しかしながら、ペンス副大統領演説からすでに丸2年以上経過しているにもかかわらず、多くの日本企業はいまだ気迷い状態にあり、脱中国で踏ん切りをつけて、新冷戦下における中長期戦略を描く状況には至っていません。
 日本経済新聞社などが2020年7月に行った「上場企業3000人調査」では、 48.1%が米国の対中政策を支持し、59.3%が脱中国を促す政府の国内投資促進事業費補助金を支持している一方で、米国政府が中国との製品、資金、人材、技術の流動を断ち切るデカップリング(分断)を日本政府に求めてきた場合、これを支持する回答は31.6%に止まっています。
 たしかに、新冷戦によって日本企業は中国市場での売り上げをある程度あきらめざるをえませんし、また研究開発や調達における中国企業との協力関係も見直さざるをえないでしょう。しかしながら、グローバル市場において中国企業の活動に制約がかかってくるわけですから、日本企業にとって大きなチャンスとなるはずです。新冷戦の下で、グローバル市場、とりわけ「自由で開かれた」市場において、日本企業が研究開発、および素材・部品・最終製品供給の両面で、主導的な役割を取り戻していくための経営戦略が重要だと思います。
 なおその点で、最近の輸出拡大がもっぱら中国向けが中心であることには不安があります。コロナ禍に苛まれている中で、対中輸出の拡大は企業にとってありがたいことであり、企業収益改善の要因ともなっていますが、中国依存が強まることは、わが国産業・企業にとって好ましいことではありません。

求められるサイバーセキュリティの強化

 新冷戦下では、脱中国の経営戦略の策定とともに、サイバーセキュリティの強化が企業に求められます。
 多摩大学大学院教授・同大学ルール形成戦略研究所所長の国分俊史氏の著書『経済安全保障の戦い』によれば、企業は、
*NIST(米国国立標準技術研究所)が定めるサイバーセキュリティの技術規格であるSPシリーズへの準拠の徹底。
*民間企業の開発する情報機器に対し、国の機関によるハッキングチェックの実施。
*情報機器の脆弱性情報を政府として収集するとともに、脆弱性情報にアクセスできる人材の資格制度であるSC(セキュリティ・クリアランス)制度の導入と、米・英・加・豪・NZとの相互認証。
*クラウドサービスに関するISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)の民間企業における活用。
*ハイテク製品などの輸送に際して利用する倉庫の認証制度や監査プログラムの整備とその活用。
などが必要になってくるものと思われます。
 サイバーセキュリティについて日本企業は、ISOや個人情報保護法には対応していますが、米国の規格に対応していなければ、グローバルなビジネスを展開することが不可能となっていくことに留意する必要があります。

人権抑圧や独裁との闘いの重要性

 ミュンヘン会議においてバイデン大統領は、世界は専制主義か民主主義のいずれが最善なのかを決する転換点にある、と指摘しました。わが国では、率直に言って政府も企業も、反人権抑圧、反独裁よりも、経済的利益の追求が重視されているように感じられます。中国で第2次天安門事件が起こった際(1989年)に、中国の国際社会復帰に道を開いたのはまさに日本でした。わが国の外国人技能実習制度に対しては、強制労働として国際的に強い批判があります。
 国連は2011年に「ビジネスと人権に関する指導原則」を策定しましたが、わが国がその「国別行動計画」を発表したのは、実に9年後の2020年10月でした。「指導原則」の核心部分は、企業において、人権問題発生の予防を徹底し、発生した場合は直ちに解決し、再発防止を尽くすという「人権デュー・デイリジェンス」の実施ですが、日本の行動計画では、「人権デュー・デイリジェンス」実践の道筋が見えるものとなっていません。わが国の政府も企業も、人権や独裁に対する意識が周回遅れであるように見受けられますが、脱中国をきっかけに、企業経営全体を人権重視に転換していく必要があります。

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