【MTG】私とバーン【一人の紅蓮術士の稚拙な話】
1.出会い
私がMTGで最も長く触れたデッキは間違いなくバーンだ。
そして私とMTGのこれまでを語る上でも外せないのは間違いなくバーンだ。
知り合いの多くに「私のデッキと言えば?」っと、質問をしたら間違いなくバーンと最も多く返って来るだろう。
だが私は何か結果や爪痕を残した訳ではない、その辺にいる一介のしがない紅蓮術士の一人だ。
私が初めてバーンと出会ったのは、MTGを本格的に始める前にMTGの事を調べている中で見つけたアーキタイプの中から、「バーン」の文字を見つけた事だ。
他にも今改めて見てもカッコいいと思えるようなアーキタイプや今ならこっちを使うだろうアーキタイプがあった。だが私の目に映るバーンの3文字(或いは4文字Burn)はとても輝いて見えた。
本格的に始める前は小学生の頃に買ってもらった、(後に調べてわかった)プロフェシーのコモン詰め合わせなのだがそれはまた別の話。
バーンの説明を読んで、デッキをオリジナルで組んで適当に遊んでいた私はその中に火力呪文を絶対に入れたがっていた。バーンの影響だ。
だが所詮はFNMに持ち込んでも弾き潰される程度の紙束だ。
時は流れて戦乱のゼンディカーが発売する少し前くらい。友人のMとモダンに参入することに。
だがお互い、まだMTGのバグった金銭感覚に染まっておらず、低予算で組んだデッキを組むことになった。それでも私はバーンを組みたいと思い、ネットで検索した。
すると、当時上の方に出て来た晴れる屋の記事「モダンの達人」でバーンがあったのでそれを見た。
(そのURL https://article.hareruyamtg.com/article/article_1343/)
私はこの記事のリストを目標の一つとしてカードを揃えていった。
2.カードたち
だが、当時は確か1枚3000円くらいしてクソ高かった《ゴブリンの先達》、1200円程の《大歓楽の幻霊》が揃えられず……特に《ゴブリンの先達》が無理だった。他のカードを入れたり火力呪文を無理くり増やして使っていた。
《火花の精霊》は特に長い事使っていたと思う。《ゴブリンの先達》が4枚揃った時は自室で《火花の精霊》に向かって感謝の土下座をしたくらいだ。
そして念願のカードが揃ったが、私のリストは少し違っていた。
そう、《二股の稲妻》だ。
モダンの達人で紹介され、低予算で抑えるためにも採用していたが、使っている内に愛着と私個人の感覚ではあるが取り回し易さで好きになって抜かれなかった。
《二股の稲妻》はバーンを使う事5年以上の年月の間、知り合いに面と向かって「弱いから抜いた方が良い」と言われたり、他のほとんどの人から理解を得られなかかったが、それでも私のリストから抜かれる事はただの一度やむを得ず抜いた時を除いてはなかった。
……そうだ、レガシー。もちろん、私はレガシーでもバーンを握り、そしてこの《二股の稲妻》を使用していた。《Volcanic Island》や《意志の力》を持ち、デス&タックス等を組んでも結局大会ではバーンを使っていた。
もしも、一番好きな火力呪文は?と聞かれたら多くのバーンプレイヤーは《稲妻》と答えるだろう。
私は《二股の稲妻》と答える。
3.大会にて
大会には多くは無いが参加してきた。だがそのどれもシングルエリミネーションやTOP16にも入ることは出来なかった。
いや、いつぞのレガシー神挑戦者決定戦では私がミスせず勝てていればTOP8のチャンス、TOP16のチャンスもあった。だが私が弱いから負けてそのチャンスは失われた。その程度には勝つ事が出来た。バーンでもここまで出来るんだぞと言いたかった。
最も練習をして臨んだGP横浜のモダンではBYEなしから5-0もした。その後3連敗を喫して初日敗退となったが、当時の私は達成感と悔しさが混ざった複雑な気持ちを抱えていた。今でも悔しさが蘇る。
多くの大会で気持ちと相手を燃え上がらせ、時には《神聖の力線》を貼られ自分に火力呪文を撃ちながら、酸いも甘いも味あわせてくれた。
Covid-19で長い事大会に出られず、久しぶりに出たモダンのイベントでバーンを握り、久々での初見モダンでも4-1という結果をもたらしてもくれた。
バーンは私にとっての《栄光をもたらすもの》だった。
4.別れと回帰
ある時を境に私は、躁鬱病になりとても鬱状態が酷くなった時がある。
その時にMTGのカードを何を思ったのか基本土地約20枚ずつを残して全て手放してしまった。
もちろん、その手放した中には5年以上使い続けていたバーンも含まれていた。
アナログもデジタルもゲームが嫌いな母親は私がカードを手放した事を喜んでいたが私は虚ろだった。
それからおそらく長い時間が経ち、MTGを再開する気力が湧いた時、折角だからバーン以外を使おうと思い色んなデッキを調べプロキシーで一人回しをしていた。勿論実際に組んだ物もある。だがどれも長くは続かなかった。
遠い遠い遠回りをした先、結局戻って来たのは、バーンだった。
「もう一度私と戦ってくれるか?」
選んだ時に心の中で誰とも知らぬ誰かに問いかけた。
5.今
今はもう、大会に精力的に参加したり、練習をし研鑽する程の気力と身の回りの時間が無くなってしまい、今一度バーンを置いている状態となってしまっている。
それでも私の中に赤々と燃えていた炎は消えてはいない。弱くなってはいるが確かに燃えている。
今は炎の様な勢いではなく少しずつでも、前へ前へと確かに進む水の流れの様な燃え方だ。
いつの日か、再び激しく燃え上がる日が来るのか来ないのかはわからない。
それまでの間、細々とキューブドラフトをしたりしながら、その日が来ることを夢想する。
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