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美容院で話さない

アドリブで話すのがそこそこ不得手な私は、美容院では沈黙のバルキュリア(無言の戦士)になる。

直近のヘアカットで美容師相手に言った意味のある言葉は
「髪型、迷ってるんですよね」
「それかわいいです」
「外巻きで」
の3つだった。
無言の間はずっと雑誌を読んでいるか虚空を見つめている。

美容師もあまり話さない。気をつかってもらっているのだ。
時たま「かわいい服ですね」とサービストークしてくれる時もあるが、
「あ、あ、ありがとうございます」
で会話が終わる。それでいい。無理に話を続けるとそれはそれで困る。

もとより美容師が何か言ってもドライヤーのボオーーッという音や他の客の笑い声──そんなに盛り上がる話をしているのか──によって、声はいとも簡単にかき消される。
そもそも「かわいい服ですね」と言われたのも聞き違いかもしれない。似た音韻である「あしたは我が身ですね」や「ファンタジー行方不明」などと言われていた可能性だってある。

とすると、先ほどの「ありがとうございます」という受け答えはおかしいのではないか。
「あしたは我が身ですね」
「ありがとうございます」
……まあ、無言よりはかなりマシだろう。

椅子に座ると雑誌を置いてくれる。sweetなら今日のコーデは少し甘系、関西ウォーカーならそれ以外だったのだな、というバロメータになる。そのような気がする。考えすぎかもしれない。

いつも切ってもらっている美容師は中高の先輩にほんのり似た顔立ちだ。だからどうということもないが毎回「似てるな」と思う。

「伸びてきましたね。今日は髪どんな感じにしますか」
「髪型、迷ってるんですよね」
それなら、とタブレットで最新のヘアカタログを見せてくれる。全部かわいいので迷っていると、これなんかどうですかと指してくれる。かわいい of かわいい。「それかわいいです」と返す。
「髪に赤みがでやすいからカラーは寒色でいきましょう」といつも言ってくれるのでそのままお願いする。そういえば肌にも赤みが出やすいと言われたことがある。赤鬼か青鬼かでいうと私は赤鬼なんだろうな。

カラー
白い液をベタベタと髪に塗られる。

シャンプー
水で流してもらいながら、どうでもいい空想が浮かんでは消える。
通い始めた頃は「かゆいところはないですか」と毎回律儀に聞かれていたが、あまりにも「ないです」を連発しているのでこのごろは聞かれなくなった。かゆいところ、本当にあった試しがない。

カット
はさみのチャキチャキという音はどうしてこんなに眠くなるんだろう。

ドライヤー
人に髪を乾かしてもらうのは頭をなでられているようで気持ちがいい。美容師は魔法の手を持っていて、手ぐしで毛がサラサラになるからすごい。さらにブラシまで使って乾かしてくれる。
ただ、2人か3人がかりで乾かしてもらう時はなすがままにされている自分に必死で笑いをこらえる。

最後にアレンジをしてもらう。
「巻きますねー」
美容師は熱した鉄の棒を片手に声を弾ませる。美容師は髪を巻くのが好きと言っていたので、(美容師の)思う存分巻いてもらっている。
「外巻きと内巻きどちらがいいですか」「外巻きで」
迷わず外巻きを選ぶのは、内巻きよりも外巻きを選んだ時の方が美容師が「かわいい」と言った回数が多かったからだ。

油を毛に付けられて、鉄の棒を当てられる。毛が広がり、うねり、途中から鏡を見ると完全に犬みたいになっている。
とてもかわいい犬になる。そうだ、自分は本来犬だったのだ。

次も同じ美容師にしてもらう決意を固め、犬は夢見心地で家に帰る。家に帰って頭を洗うと人間に戻る。ずっと犬でいたい。

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