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私がサッカーを続ける理由

丈乃からバトンを受け取り

安達健生の超大作を私と関わった全ての人に読んでいただけると嬉しいです。文章書くのは下手くそなので長い文章ですが、アパホテルの社長とボランチを組む感覚で是非最後まで読んでください。

はじめに僕のサッカー人生は、、、

「えっ??」

ってくらい試合に出場していない。
大学に入ってからもトップチームに絡んだり、アイリーグには1年生から出してもらっているが、目標である都リーグ出場は未だゼロ。

遡ると中学時代に私はFCトッカーノに所属して金子大毅(湘南ベルマーレ)や古賀俊太郎(レノファ山口)がいたり、その他にも堤優太(府中アスレチック) 富澤玲太郎(ドイツ5部)五十嵐陸(東京ユナイテッド)や途中で退団してしまったが、松本山雅相手に1試合8点ぶち込んだオルンガより先にオルンガしてた男篠塚陸斗がいた。他にも、今でも大学で活躍している人もたくさん所属し、ものすごくレベルが高い選手が揃っていた。東京の街クラブなのになんでこんな集まる?ってくらいメンバーが集まり、3年間の私の公式戦の出場時間はおそらく「愛の不時着」1話分より少ない。

その当時ポジションどこって聞かれたら、

「一世風靡してないダンディ坂野」、って答えてた。

うーんとあれ?今日は無観客試合ですか?

脱線しました。

そして高校時代はFCトリプレッタユースに所属し宮澤亮太郎と石川吉輝が上手すぎたり、ディサロ峻ヴァレンティノや高野路万がめちゃくちゃイケメンすぎたり、大畑や吉岡がサッカーより笑いを重視してたり、田村和己が聴力検査ばっか俺にしてきたり、船越和樹が満腹を理由に練習を休んだり山口ツンデローレンスが早生まれでU-17の世代別代表に選ばれそうになったりするおかげで3年時には試合に絡むことはできたが、1.2年時は全く試合に出てない。そのくせ宴会部長というクラブの行事をシンプルにめちゃくちゃ面白くするという役職には1年から勤めていた。

トリプレッタ では人からボール取ることは学びませんでしたが、人から笑いとることを学びました。 
山田くん〜座布団1枚。

…………私は高校時代なにも学ばなかったようです。

脱線しました。

先ほど少し触れたが、高校3年になると突然セカンドチームでもスタメンじゃなかった私がいきなりトップに上がり素晴らしいチームメイトと素晴らしい対戦相手と試合はできたもの

私のサッカー人生は試合に出てる時間より出ていない時間の方が圧倒的に多い。

ここまで読むと全然試合に出てないただの宴会要員だと思うかもしれませんが

そんな俺でも、、

「心から本気でサッカーと向き合ってきた」と胸を張って言い切れる。

じゃなければここまでサッカーは続けてない。

じゃあなぜサッカーを続けるのか?

答えは

1めちゃくちゃサッカーを愛していてまだまだ上手くなりたいから。

2サッカーを通じて人間として自分が成長でき、仲間や家族を感謝できること。

3 ここまで続けても分からないことや学べることが沢山あること。

中学時代、試合に出れなすぎて「何をしたらちょっとでもみんなのためになれるか?」ということを自然と考えるようになり、よくベンチで声を出したり、練習外でもみんなを笑顔にすることを徹底した。本気で日々練習に取り組み切磋琢磨し、心の底から愛してるチームメイトが試合でJリーグの下部組織や強豪街クラブを次々と倒していく姿がたまらなく好きだった。たとえ試合に出れなくても少しでもおれのベンチからの声が誰かの力になればいいと本気で思ってた。綺麗事ではなく本気で思っていた。それが結果となり、登録人数制限のある大会でギリギリベンチ入りできた。その時私はこーやって生きていくんだとなんとなく感じた。

おそらくFCトッカーノ5期生の中で1番サッカーは下手だったけど1番チームメイトとチームとスタッフを愛してた自信がある。あの当時は試合に出らなかったが、その代わりあのチームメイトから心の底から一生親友と呼べる人達と出会えた。その親友達とは今でも毎日のように連絡を取ったり、お互いの家族の深い話やサッカーの話をする中でかなりの刺激をもらっている。今も彼らのおかげで自分は毎日成長できていると自負している。
ありがとう。

高校時代も夜遅く家に帰って家族の顔を見ると申し訳ないという気持ちから涙を堪えるのに必死だったこともあった。
そんな悩んでる時に1人の先輩の行動や言動がものすごく心に刺さった。

 佐々木龍という先輩だ。去年まで慶應義塾大学体育会ソッカー部に所属していたトリプレッタの先輩だ。彼は先輩、同輩、後輩に留まらず高校サッカーのファンなどからも愛される存在であり、当時のチームの中心選手でもあった。彼はどんな時も持ち前のユーモアをいかしチームに笑顔を届け、累積で大事な試合に出できなくても大声を出してチームを鼓舞したりチームのOBになって後輩の試合を観戦しにきただけなのにいきなり雑用を文句言わずに手伝ってくれるような素晴らしい人間性の持ち主だ。彼の行動が周りの人を巻き込み様々な人から応援され、結果的にチームにプラスの風をもたらす。私も彼のような人間になりたいと本気で思った。その当時に私が本気で悔しかったりもがいていたからこそ、彼との出会いがあり、彼の行動や言動は私にとって教科書を読んでいるかのように学べた。

私が大好きなサッカーをするうえで、家族にはたくさんの迷惑をかけ大して結果も出さないのに、何一つ文句を言うことなく支えてくれている。そんな中でも私はものすごく兄に影響を受けている。
安達健勝というバケモンみたいな兄貴だ。

兄も幼少期からサッカーを続けて、高校時代、山梨学院で冬の選手権時に登録メンバーに入れず、応援団長をしていた。その時の彼の行動も圧巻だった。

メンバーに入らない悔しさを行動に変え、応援団長として先頭に立ち、全校生徒を巻き込む応援やハーフタイムでのダンスなど披露し応援している姿をみて、私の中ではグランドに立っている人より輝いていた。SNS上でも山梨学院の応援は取り上げられ、様々な人を巻き込みチームの為に働いてる兄がいた。サッカーを通して試合出れない悔しさや仲間を応援している時のもどかしさや出ている選手に気遣いをして場を和ませたりAチームだけ良い待遇をされる感じは同じような境遇の人や苦しい経験をした人にしかわからない痛みだ。

そして兄の周りには沢山の仲間がいた。弟の立場からみても薄い関係ではなく、ものすごく濃いちゃんと信頼関係ができている人達が本当に沢山いた。
兄は高校卒業後アメリカに留学しUCLAという世界でも有名な大学に合格した。兄はよく家族や仲間に感謝する。今までの行動や頑張ってきたことに良い意味で周りを巻き込み自分の成長に繋げて、結果を出す。そして出逢いに感謝する。おそらく兄はサッカーも勉強も本気で向き合っていたのだと思う。その結果日々の行動や努力が多くの人から応援されてる理由である思う。

サッカーというスポーツが大好きで本気で向き合っていると、本気で悩み本気で考える。だがそんな時に手を差し伸べてくれるのは仲間や家族である。そして自分を助けてくれた仲間や家族には彼らがもし困っているときに本気で助けてあげたいと私は思う。

成城大学体育会サッカー部でも沢山の先輩や同輩やスタッフに尊敬できる人は沢山いる。私は後輩から私自身が先ほど紹介した先輩や兄のような存在になる事を目指している。我々のサッカー部ではプロサッカー選手になる選手はおそらく出てこない。
その代わり、人間として成長することは必須である。
その為には人より考えて行動しなければならないし、目標から逆算をして今やるべき行動をしなければならない。
試合に出れなくて悔しくても人を思いやったり、逆に試合に出て活躍をして勝利して気分が高揚している時こそ出れない人やサポートをしてくれている人にコミュニケーションや感謝をしたり、チームのみんなを笑顔にする言動や行動を意識することが大事であると思う。

家族や仲間との出会いに感謝をして、様々な壁を一緒に乗り越えることで自分が人間として成長することをサッカーが教えてくれた。

これからもまだまだ成長したいから私はサッカーを続けている。

ps超大作読んでくてありがとうございます。是非リツイートやいいねよろしくお願います。

私はJリーグマニアです。おそらく日本の大学生で俺の知識を超える人はなかなかいないと思います。Jリーグの知識に自信のある方DM待ってます。

次はテクニシャン野口選手です。期待しましょう

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