見出し画像

特別な3年間

こんにちは。社会イノベーション学部1年の河合優斗です。
よくみんなに「社会イノベーションってなに?」とか「なんの勉強してるの?」とよく聞かれるんですけど、正直自分でも何をしているか分かりません、、この先4年間でイノベーションについて理解していきたいと思っています(笑)

今回初めてnoteを書くにあたって、何を書こうかと悩みましたが、高校3年間の経験が忘れられないのでそのことについて書こうと思います。ふざけようと思いましたが、めっちゃ真面目に書いちゃいました。少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


思えば中学3年生の夏、「うちに来ないか?」と当時の監督に言われたのが全ての始まりだった。
その高校は國學院大學久我山高校、偏差値70越え。サッカーも全国レベルであり、到底私の実力では入れないなと思った高校であった。話を頂けた時はすごく嬉しさがあったが、家に帰りよく考えてみると勉強が大嫌いな私が3年間もやっていく自信が無かった。しかし両親の意見や「サッカーで日本一、勉強で東大現役合格」という本に影響を受け、久我山という厳しい環境で3年間頑張りたいと思い、覚悟を決めた。

そして、私は文武両道がモットーである國學院久我山高校にスポーツ推薦で入学した。
しかしこの決断を高校3年間の中で何度後悔をしただろうか、、、

高校1、2年の頃の私は当時の監督にビビり散らかしていた。高校1年の春からトップチームでプレーさせてもらったが、毎日練習では監督に怒鳴られ、怒られないように隙を見てサボり続ける日々。大好きであったサッカーが、大嫌いなサッカーに変わり、ボールを蹴ることが怖くなり、試合では吐き気さえ感じることもあった。思い返せば高校1年の頃は、公式戦に1試合しか出場していない。周りの同期たちはカテゴリーが違えど、みんな試合に出て活躍している。 私はひたすら焦りを感じ、家で泣き崩れたこともあった。

これが私の人生で初めての挫折である。人はどん底にいる時、周りに仲間が誰もいないように思え、孤独を感じる。まさしく私がそのような状態であった。
中学までの私は自分でも驚くほど上手くいっていた。小学生の時には東京選抜に選ばれたり、都大会では優秀選手に名を連ねた。中学ではジェファに入り、東京国際ユースでコリンチャンスからゴールを決めたり、ナショナルトレセンの選考会に呼ばれたりもした。この実績が私の自信であったのにも関わらず、高校に入り、一瞬でその自信は失った。自分を見失い、上手くいかないことを人のせいにし、何をするにも自分に負け続ける日々。このような自分に嫌気が差していた。

「こんな生活から脱却したい」と思った私は、まず勉強に力を入れた。入学した当初は評定が2.6ぐらいで赤点連発。校内テストも最下位常連。まさかの偏差値21(数学)などスポクラの中でも飛び抜けて頭が悪かった私はテストの3週間前から勉強を始めることにした。英語は私の親友であるこうせい(現慶應大)(英検1級保持)に教えてもらい、他にも沢山の人にサポートして頂き、高校2年の頃は評定が4.4に上がったりもした。その頃から指定校推薦を意識し、なるべく小テストも高い点数を取ろうと努力した。

そんなこんなで、とても長く感じた高校2年間が終わった。結局この2年間は、何もしてない。何も成長していない。

しかし、この2年間を無駄だとは決して思わない。

当時の監督は高校3年に上がるタイミングで辞めた。あの人のことは心の底から大嫌いだったけど、振り返れば、久我山に入れたことも、成城大学で楽しい日々を過ごせているのも、あの時、「久我山に来ないか」と私を導いてくれたからである。だから今は感謝しかありません。本当にありがとうございました。そして期待に応えられなくてすみません。

そして高校3年生になった。
指定校推薦で成城大学に進路が決まり、なんとかスタメンを勝ち取った私は、これまでとは違い、自分らしくサッカーをしようと決意した。そして幼い頃からの夢であった全国高校サッカー選手権で活躍するために努力を重ねた。これまでの2年間とは違い、自ら積極的にサッカーを学ぼうとする日々。家では毎日筋トレをして、相手に負けないフィジカルを身につけた。3年生になってからはサッカーが本当に楽しかった。
そして迎えた最後の選手権。
ずっと憧れていた「西が丘」でゴールを決めることができたが、チームは東京ベスト4で敗れた。
3年間選手権に出るため、活躍するために頑張ってきた。本当に悔しくてたまらなかった。全国行きたかったな。。

それでもこの3年間は、私にとって「特別な3年間」であった。
辛くて、苦しくて、逃げ出したかった3年間。しかしこの経験は私を強くしてくれた。

久我山での日々は私の一生の宝物である。

最後に。高校で絶対サッカーを辞めようと思っていました。さすがにもう十分やりきったかなと。高校であまり遊べなかった分、大学で遊びまくろうって考えていたからです。でも結局大学でもサッカーを続けている。多分高校の悔しさが残っているから。だからあと4年間はサッカーを頑張りたいです。そして東京1部に昇格して、かつての仲間たちと試合をして勝ちたいです!


長くなっちゃったけど、最後まで読んでくださった方ありがとうございました!

次は文芸学部のイケメン、湘南ベルマーレユース出身のしょうです!期待しててください!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?