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第28回 まだまだある成城ロケ映画 パート2

 皆さんは、成城通り沿い、成城七丁目にあったレストラン「OAKオーク」を憶えておられるでしょうか。駅からかなり離れた場所に位置していたので、車を使わない方には無縁だったかもしれませんが、成城ゴルフの正面にあり外観も素敵だったので、利用された方も多いと思います。
 この店でロケされた映画もいくつかあり、酒井和歌子主演のスリラー映画『悪魔が呼んでいる』(70/山本迪夫監督)、当店のすぐ傍に住んでいた小谷承靖つぐのぶ監督が手がけた‶若大将〟シリーズの一篇『俺の空だぜ!若大将』(70)、同シリーズの最終作でザ・ランチャーズの大矢茂が二代目若大将を演じた『若大将対青大将』(71/岩内克己監督)などで、その懐かしい店の様子を見ることができます。
 『俺の空だぜ!』では、有島一郎扮する若大将の父親・久太郎の恋の顛末(店の主人オーナー・久慈あさみとの)も描かれますが、有島が成城五丁目、加山が八丁目に住んでいたことを思えば、さらに感慨が深まります。
 当店は‶東宝ニューアクション〟の代表格・西村潔監督が放った異色のカー・アクション『へアピン・サーカス』(72/五木寛之原作)でも、主人公のレーサー(三崎清志)が立ち寄るドライブインとして登場。70年代の東宝映画では、60年代の龍野邸と同様、非常に重宝されたロケ地となりました。

その看板が懐かしい「VILLA OAK」(『成城映画散歩』より)

 ‶成城初の億ション〟と呼ばれたのが成城ハイム。このマンションが建てられた場所にはかつて、労働科学研究所という財団施設がありました。「労研」と略称された当研究所の建物が写る映画は未だ発見されていませんが、『金の卵』(52/千葉泰樹監督)という東宝撮影所のバックステージものでは、俳優の卵たちがこの建物の屋上で体操をするシーンが撮られています。
 労研の建物はもともと牛込の成城学校がつくった「留学生部(中国人留学生会館)」で、これが陸軍第二病院に貸し出されたのち、1939年に労研に売却、その後、1981年に成城ハイムに変貌しています。
 
 建物前に架かる成城橋と踏切が見られる映画には、『慟哭』(52/佐分利信監督)と『鋼鉄の巨人 地球滅亡寸前』(57/石井輝男監督)という新東宝作品があり、成城ハイムは、『悪魔の部屋』(82/曽根中生監督)というにっかつRP作品に写り込んでいます。おそらくこれは、マンション「成城コンド」の階上から撮ったショットと思われ、こちらのマンションはテレビドラマ「気になる嫁さん」や「赤い迷路」で見ることができます。鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)を演じた宇津井健がのちに成城に居を構えるのは、撮影時の成城体験が尾を引いているに違いありません。
 
 踏切前のX字状の坂道で撮られた映画には、『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(63/坪島孝監督)と『ぼくらの七日間戦争』(88/菅原比呂志監督)という宮沢りえ初出演作があります。今、両作を見比べても、同じ場所だと分かる人はまずいないでしょう。『くたばれ!無責任』では、坂道の下にハナ肇(「ハッスルコーラ」を開発する製菓会社の部長)の家があり、ここを部下の植木等(ハッスルコーラを飲むと、人格が一変して無責任になる!)が訪ねてきます。
 
 この西側の低地帯には、かつて成城学校留学生部の運動場(P.C.L.の野球大会もここで実施された)があり、のちに建てられた労研の職員住宅が狩野川台風(58年)の仙川氾濫で被災したときには、三船敏郎が自ら所有するボートで住人たちを救出しています。そして、その氾濫の一端を担ったのは、なんと成城学園の馬場に置いてあった競技用の「障害物」! 元馬術部員の言によれば、これらが成城橋に詰まり、みるみる水嵩が増したといいます。さらにのちには、三船の長男・史郎氏が当部の主将として活躍することになろうとは……。この一連の流れからは、歴史の巡り合わせの不思議さを感じざるを得ません。

(左)坂道の現在。写真右側にハナ肇の家がある設定だった(撮影:神田亨) (右)仙川の右側がかつての留学生部運動場=労研職員住宅(筆者撮影)

 この先にあった旧成城警察署が写る映画も存在します。今では環状八号線沿いに移った成城警察署ですが、かつては祖師谷三丁目の踏切脇に位置し、『殺人犯七つの顔』(59/中山昭二出演)や『アワモリ君乾杯!』(61/坂本九出演)、『早乙女家の娘たち』(62/香川京子出演)、『国際秘密警察 火薬の樽』(64/三橋達也出演)、『前進前進また前進』(67/ドリフターズ出演)といった映画で、その姿や周囲の風景を確認することができます。その後建て替わった庁舎には、階上に道場があり、警察官や近所の少年たちがよく柔道や剣道の稽古をしていたものです。

(左)1950~51年頃の成城警察署。手前の材木屋さんは今も営業を続ける(右)かつて成城警察署があった場所(筆者撮影)

 街の南側、成城一丁目にある成城消防署も映画ロケ地となりました。古くは黒澤明の傑作現代劇『生きる』(52)で、陳情の主婦たちがたらい回しにされる消防署として使用。岡本喜八監督・加山雄三主演の『暗黒街の弾痕』(61)でも、しっかりと画面に写り込んでいます。『続サザエさん』(57)の冒頭で見られる、成城の街を俯瞰で捉えたパノラマ画面(さっか邸や鉄塔、富士見橋通りに祖師谷団地の給水塔まで見渡せる)は、当署の火の見櫓上から撮影されたもの。なにせ、サザエさん(江利チエミ)の家=磯野家は「成城三丁目五番地」にあるという設定で、パノラマ画面にもこの場所がしっかりと写し出されています。ここからも、長く当地に住んだ青柳信雄監督の、地元成城への強い執着(こだわり)が見て取れます。

1961年の成城消防署

 消防署が設けられたこの地には、かつて皇室所有の‶御料林〟がありました。今では明正小学校、砧中学校、都市大学付属中学校・高等学校、科学技術学園高等学校などが集中する学校地区となっていますが、当地は成城学園の移転候補地となったほか、米軍による空襲が激化した折には学習院が移転する計画もあったとのことです。当所ではP.C.L.初期の時代劇はもちろん、黒澤明の『虎の尾を踏む男達』(45撮影、52公開)で義経一行が通る、安宅関あたかのせき周りのロケも行われています。
 
 64年の東京五輪時に開通した世田谷通りバイパス新道。ここは成瀬巳喜男作品『女の歴史』(63/高峰秀子・星由里子出演)やコント55号の初主演作『世紀の大弱点』(68)でロケ地となり、大蔵住宅(通称、大蔵団地)23号棟や今はなき11号棟の姿がフィルムに刻印されています。現在、建て替えが進められている大蔵住宅ですが、1号棟から30号棟まであり、『七人の侍』(54)で村のロケ地となった田圃の辺りには15号棟が建てられています。なんとこの団地には、ゴジラのスーツアクター・中島春雄さんや、人気落語家・柳家喬太郎師匠も住んだことがあるそうです。

1961年の大蔵団地の風景


(左)現在の大蔵団地23号棟。この歩道で1963年に高峰秀子と星由里子が対峙した(筆者撮影)
(右)かつての15号棟。この辺りに『七人の侍』の村のセットが作られた(撮影:神田亨)

 成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』(67)で主演の司葉子が住む通産省の社宅となったのは、成城二丁目に実在した某銀行の寮。交通事故で死んだ司の夫の葬儀に、加害者となった加山雄三が弔問に訪れる道の先には、石原裕次郎や野上弥生子、北原白秋の家がありました。桜並木が広がるこの地区も、移転当初の成城学園が整備した一区画だったといいます。

『乱れ雲』のロケ地となった小田急線南側の桜並木(撮影:神田亨)

 このように様々な映画ロケ地となった成城の街、まさに‶日本のハリウッド〟と呼ぶに相応しい地であることが実感いただけたことと思います。

※『砧』835号(2022年11月発行)より転載(一部加筆の上、画像を大幅追加)

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。