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第32回(note特別篇) 成城学園内で撮影された映画 パート3

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 正門前に戻ると、現在の大学3号館の位置に旧制高等学校が使っていた校舎(こちらも3号館だった)がありました。中央に三角屋根があったこの歴史的建造物が写る映画には、新東宝の唐手アクション『唐手三四郎』(51)の他、先述の『まごころ』(53)、池部良と久慈あさみ、千秋実が大学生に扮する『あゝ青春に涙あり』(52)、市川崑監督の異色作『青色革命』(53)、江利チエミと白川由美がロケに参加した『サザエさんの新婚家庭』(59)などがあります。その後、短大校舎として使用されたこの校舎も今はなく、その校舎の姿を刻んだレリーフ(旧制成城高等学校の碑)が法人事務局・大学学食棟前に残されているのみです。

旧制高等学校校舎=大学3号館(どちらも成城大学卒業アルバムより。以下Ⓐ)

 現在の新3号館の前に建っていた、本来のナンバリングによる3号館が映画で使われた形跡は、大学映研による8ミリ映画を除いては、今のところ発見されていません。1969年から2005年までの35年という短い建物人生(?)でしたが、学友会が占有する半地下には「長屋」と呼ばれる部室群があり、ここでの思い出を共有する人たちもさぞかし多いことでしょう。こちらも耐震性の問題から、現在の3号館へと生まれ変わっています。

1969年竣工の大学3号館。こちらにも三角屋根が。学生部前のピロティが憩いの場所だった(どちらもⒶ)

 未だ現役校舎である大学2号館は、先の東京五輪の年、1964年4月に落成。主に短大の授業で使用されていました。竣工後すぐに、本学内で『夢のハワイで盆踊り』(64)のロケが実施、当号館前で舟木一夫と高橋元太郎が愉快なやり取りを繰り広げる場面や、ヒロインの本間千代子がスポーツカーで中庭に乗り入れるシーンなどが撮影されています(ちなみに、中庭は砂利敷き!)。
 
 2号館が建つ前にあったのが大学講堂という校舎です。学生時代の大林宣彦監督が日がな一日ピアノを弾き、父親から譲り受けた8ミリカメラで女子学生を一コマずつ撮影していたという話は有名ですが、当校舎は先の『唐手三四郎』(学生役は岡田英次)と、『狂熱の果て』(61)という太陽族映画に登場します。

大林宣彦監督の‶居場所〟だった大学講堂(Ⓐ)
1964年落成の大学2号館(Ⓐ) 右は現在の2号館。屋上にはアーチェリー場が(撮影:神田亨。以下Ⓑ)

 『狂熱の果て』に写り込むのが、やはり現在でも現役校舎として使われる大学1号館。東京タワーと同じ1958年竣工の当建物は、他にも『ハワイの若大将』(63)で雄一(加山雄三)と青大将(田中邦衛)がカンニング行為により停学を申し渡される校舎として、さらには先述の『夢のハワイで盆踊り』で舟木一夫がアルバイトの掲示板を見るシーンで登場します。『夢のハワイ―』では、屋上で舟木と本間が会話する場面が撮影され、今は存在しない煙突(大学名が刻印)や青と黄のツートンカラー時代の小田急線車両の姿が見られます。ついでに言えば、大林監督は大学在籍中の1958年、この屋上で『絵の中の少女』という8ミリ作品の1シーンを撮影、本作には監督ご自身も出演しています。

2号館をバックに作られた大学祭中庭ステージ(Ⓐ) 右は耐震補強後の1号館(Ⓑ)
1号館北棟と南棟の間にあった中庭 右は屋上にあった煙突(どちらもⒶ)

 1号館の東側にあったのが大教室の001教室(現在では7号館が建つ)。そして、そこに隣接していたのが馬術部の厩舎です。今や8号館に変貌した馬場が見られる映画が、『はつ恋』(75)というツルゲーネフ原作の文芸作品。小谷承靖監督の最高傑作とも称される本作では、二谷英明と井上純一の父子が、成城大の馬場や仙川沿いで馬を走らせるシーンが撮られています。『七人の侍』の大蔵ロケに参加した馬が、成城大と千歳船橋の清風会(村上乗馬クラブ)から借り出されたものであることも、知る人ぞ知る話です。

1994年に7号館に生まれ変わった001教室。軽音楽部の練習場でもあったので、清水道夫や及川ミッチーはここで練習した(Ⓐ) 右は2号館から見た馬場(Ⓑ)

 体育館とグラウンドが見られる映画には、以前紹介した『エノケンの千万長者』(36/エノケンはラグビー選手)や『あゝ青春に涙あり』(池部良と久慈あさみは陸上選手)、『思い出の指輪』(68/ヴィレッジシンガーズはアメフト選手)などがあります。第1体育館は1974年初頭に、原因不明の火災により全焼。しかし、残った鉄骨を利用して現在でも使われている体育館に復旧したものですが、建て替えられた第2体育館(高等学校の授業で使用)の姿は『君たちがいて僕がいる』(64/千葉真一が教師役、生徒は舟木一夫と堺正章)で、その外観を見ることができます。現在、第2体育館は存在せず、新設された高等学校体育館がその代わりを果たしています。

火災前の第1体育館(画像処理:PaC TaIZ/岡本和泉) 右は仙川・グラウンド越しに見える第2体育館(どちらもⒶ)

 また、『まごころ』や『君たちがいて僕がいた』では遠景ながら、もはや存在しない旧制高等女学校時代の木造校舎の姿が確認できます。昭和20年代初頭には幼稚園の園舎、その後は高等学校の剣道場として使用されたこの歴史的建造物は、何とか保存してもらいたかったものです。『君たちがいて―』には1950年に復興した旧高等学校校舎が写っていて、こちらも大変貴重です。

(左)旧高等女学校校舎(のちに剣道場として使われた)(Ⓑ) (右)旧高等学校校舎。現在の中高体育館辺りに建っていた(Ⓐ)

 現在でも部活や授業に使用されている学園プールは、1930年の竣工。幻となった東京五輪に向けた練習にも使用された歴史的体育施設です。当時、50メートル規模のプールは希少で、大変重宝されたとのこと。竣工以来90有余年、よくぞ今日まで使用に耐えてきたと驚嘆せざるを得ません。
 このプールを使って撮影されたのが、前述の松竹映画『思い出の指輪』。松竹スタッフの使い方が粗く、その後長らく学園内での撮影が許可されなくなったという、いわくつきの作品です。プール脇の更衣室は、女子高校生役の左幸子が仙川脇で受難する新東宝映画『若き日のあやまち』(52)と前述の東宝映画『あゝ青春に涙あり』で、その外観が見られます。
 
 今や学園のアーカイブにも存在しない成城キャンパスの風景は、映画のフィルムの中だけに生き続け、我々はそれを見て、かつての成城に思いを馳せることができます。本連載も、次回でいよいよ最終回。これからも映画に残る成城の風景を探し求めていく所存ですので、読者の皆様におかれては、今後ともご支援・ご助言の程、何卒よろしくお願いいたします。
 
 映画は、かつての日本(と成城!)の風景が詰まった、まるで‶宝箱〟のようなものなのです。

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。

【お知らせ】
高田雅彦氏が講師として登壇します。
一宮庵映画セミナー
「黒澤映画だけではない、三船敏郎の魅力を語る」
◆日時2023年5月27日(土) 14:00-17:00
◆会場成城一宮庵(世田谷区成城6-22-7)
◆参加費1人¥4,000 (トークショー:ドリンク、つまみ付)
◆定員20人(先着順)
◆申込先 成城一宮庵 TEL: 03-3484-5878