見出し画像

第8回 砧小学校で撮られた映画のことなど

 前回は、三船敏郎に関するエピソードをいくつか紹介しました。これは成城自治会長の岩波桂三さんが小学生だった頃の話。東宝撮影所前で遊んでいた岩波さんは、愛車MG-TDを飛ばして正門を出てくる三船の姿を目撃します。すると、引きずっていたナンバー・プレートが目の前で落下。これを守衛に届けると、すぐに三船から高価な文房具がごっそりと届けられたといいます。子供だからといって無視せず、ファンや地域の人たちを大切にする三船の姿勢が見て取れる逸話です。

スライド1

 撮影所の正門があった所は、現在ではスーパーと家電量販店に、‶白亜の殿堂〟と称されたP.C.L.時代の大ステージは宅配業者の配送所となってしまいましたが、実はこの門前の空き地を利用して作られたセットがあるのです。それは、黒澤明が東宝に復帰して撮った第一作目『生きる』(52)の居酒屋の建物。胃癌で余命僅かなことを察した志村喬が、酒で気を紛らせようとして、小説家の伊藤雄之助と知り合う場所と言えば、おわかりいただけるでしょうか。これは美術監督の村木与四郎(成城消防署裏に居住)の証言で判ったことですが、よく見ると画面の奥には砧小学校の校舎が写り込んでいます。

スライド2

 当校の校舎や運動場を使って撮られた映画は数多く、古いところでは原節子が進歩的な教師を演じた『青い山脈』(49)があります。労働争議で疲弊した東宝が、戦後の再スタートを切った記念すべき作品で、この主題歌(西條八十詞、服部良一曲:監督の今井正はこれを嫌ったが、製作者(プロデューサー)の藤本眞澄が勝手に加えた)は、今でも社歌のような形で俳優・スタッフの間で歌い継がれています。この映画は伊豆で撮影されたことで知られますが、途中で資金が底をつき、ロケ隊は一旦撮影所に戻ります。そこで学校のロケ地に選ばれたのが、すぐ近所にある砧小学校だった、というわけです。筆者は、女子高校生・新子(しんこ)を演じた杉葉子さん(2019年死去)に直接お話を伺い、確証を得ましたが、画面を見れば同校ロケは明らか。本作は他にも、ラストの自転車シーンが登戸の多摩川べりで追加撮影されています。

スライド3

 この他にも、同じく石坂洋次郎原作の『石中先生行状記』(50)の続編『戦後派お化け大会』(51)における東北の学校、市川崑のサラリーマン映画『ラッキーさん』(52)に出てくる社内運動会の会場、小児まひを患った子供専用の学校を作る苦労を描いた『しいのみ学園』(55)では、河原崎健三が通う学校として使われた当砧小学校。明治35年の創立であるだけに、その趣のある木造校舎は、映画の舞台にはうってつけ。先頃は、黒澤明の助監督だった堀川弘通(祖師谷一丁目居住)の初監督作『あすなろ物語』(55)でもロケ地として使われていることを、成城自治会理事で当校出身の矢島毅彦さんから教えていただきました。矢島さんは、カメラ・テストの現場に居合わせたといいます。時代性を感じさせる砧小の校舎は、井上靖の自伝的小説の映画化である本作には、まさにドンピシャ。三船敏郎主演の『無法松の一生』(58)の運動会シーンを当校で撮ったという証言もありますが、画面を確認した限りでは合致しないように見えます。もし事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければ幸いです。
 ちなみに、『石中先生行状記』には三船敏郎が朴訥な農夫役でゲスト出演しており、「何か喋れ」と言われて、いきなり「青い山脈」を歌い出すという愉快な場面があります。石原裕次郎や勝新太郎のように‶歌うスター〟ではなかったことで、三船は大衆的な人気を得ることはありませんでしたが、これは『ならず者』(56:青柳信雄監督/成城居住)で主題歌を歌い、レコード化されたのを黒澤明に「俳優は歌など歌うものではない」と咎められてのこと。それでも『吹けよ春風』(53)や『どぶろくの辰』(62:稲垣浩監督/成城居住)、『山本五十六』(68:丸山誠治監督/砧八丁目居住)などで、その渋い歌声を聴くことができるのは大変嬉しいことです。

※『砧』815号(2021年3月発行)より転載

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。