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悲しいこと

中高大と,私は優しさに見返りを求めている。
自分の優しさを自認し,そこに価値を見出している。
園児や小学生の頃はそれくらいの子どもが持つ無邪気な残酷さはあるものの,純粋に優しく,優しい心を持っていたと思う。それは優しい母と祖父母からもらった宝物だった。でもある時自分の優しさに気がついてしまったのだと思う。優しいということが尋常のことではないと気がついた。そして優しさの価値に気がつき,その見返りを求めるようになってしまった。それは「知る不幸」か,あるいは見返りを求める私の心が本性だったのか。
今の私は優しいということがidentityである。しかし,私が優しさに見返りを求めるようになってしまっているということに気がつき苦悩している。
私は優しくする。しかし,その裏で見返りを求める自分に気がつき自分が嫌になるのだ。1度気づいてしまったら,1度知ってしまったら,優しさに見返りを求めなかったあの頃に戻ることはできないのだ。今はただ,母や天国の祖父母に申し訳ない。私は彼らをも裏切ったのだ。

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