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身辺雑記(2/11〜2/17)

2/11(月祝)
気の抜けた三連休を過ごす。短歌ヴァーサスの論文などを読み、自分にとっての「私」とは何なのだろうか、などと答えの出なそうなことをぼんやりと考えてしまう。趣味のアンソロジーの作品とエッセイを送る。ちょっとゆるい気もするのだが、趣味がクロスするところは楽しんだほうがよいので手離れを良くしていきたい。

2/12(火)
からだを布団から引っぺがすように通勤。周りがとても忙しくなり、当てられるように追われている感になってしまう。昭和なタグなどがまわってきて、自分は旧世代の人間なんだなあと思うなど。

2/13(水)
通っていた塾の中1講座がはじまる。いろいろな思いはあるけれども、徒歩圏内の学校に通えて、近所の塾にしばらくは通い続けることができるのだから、気持ちを切らさずに、というのは楽観論なのか。家族中が受験ロス状態で、気丈にふるまうのが大事だとはわかっているのだけれども。

2/14(木)
土曜日の勉強会(歌会)にわりと見学の方がいらしてくださるようでうれしい。ツイッターのDMやメールをいただくことはあるものの、マシュマロで参加希望のメッセージをいただいたのは驚いた。何とか連絡が取れてひと安心。
めずらしく会社で甘いものをいただく。子どもからもあまりものをいただく。

2/15(金)
推敲の話を読んで、初見でうまく弾ける人が必ずしも本番でいい演奏をするわけではないのだなあ、などということを思いだす。一読でそれっぽく作ることや耳触りのよい言葉を並べることは、短期的には評価されるのかもしれないけれど、自分なりに満足のいく表現を目指すためには、よい作品のよさを自分のことばで言語化していくことと、じっくりていねいに推敲をしていくこととに尽きるのかもしれない。道は遠く険しい。

2/16(土)
短歌人の勉強会に参加する。今回は代理で幹事を任されているのに、コピーなどわたわたしていてちょっと遅れてしまい反省。会員の紹介の見学の方、俳句の方、和歌の方などがいらしてバラエティに富んだ作品が寄せられ、じっくりと評を交わしあう充実の時間を過ごせた。今回から一人一首に絞ったため、若干時間に余裕ができてよかった。
ファミレスで二次会。短歌の話と諸々の運営についていろいろな意見を聞く。それぞれが気持ちよくできることができればよいのだけれども、人がやることなのでどうしても頼まれやすい人がいろいろと抱えてしまうのは、組織というものの枷ではあるのだと感じてしまう。どうすれば今まで力を尽くしてくださった人が、気持ちよく次の方にお願いすることができるのか。話の流れでちょっと熱くなってしまい反省。自分に対してよりも、自分が大切に思っている関係性や居場所が攻撃されていると思うと、つい感情的になってしまうのだなと気がつく。
罪を憎んで人を憎まず、むずかしいです。

2/17(日)
わたしが直接聞かれたわけではないのですが、文学にとって最も重要なテーマは「人間にとってしあわせとは何か」です。

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