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君は「遠い夜明け」をみたか

 自由とは何か。人々はそれを失うまで分からない。

 1975年、南アフリカで自己と葛藤しながら自由のために毅然と闘ったひとりのジャーナリストがいた。彼の名はドナルド・ウッズ。首都ケープタウンで発行されていた新聞の編集長である。度重なる脅迫に晒されながらも彼は真実を求め、「危険人物」との友情を深めていく。

 『遠い夜明け(原題CRY FREEDOM)』はウッズのそうした命がけの体験をアカデミー賞受賞監督リチャード・アッテンボローが映画化した力作だ。公開から30年以上過ぎた今でも、数々のシーンが私の心に鮮明に焼きつけられている。

 例えば、ウッズが非合法の黒人運動指導者スティーブン・ビコと初めて出会う場面ではこんなやりとりがあった。

ビコ「いい仕事、いい家、いい教育、車はベンツ。そんな白人の特権にど          っぷり浸かったお前に、アパルトヘイトが論じられるのか」

ウッズ「黒人と白人の立場が逆になった時の、君の意見を聞いてみたいものだ」

ビコ「悪くない考えだ」

 そして交わされた握手。ふたりにとって運命の出会いだった。

 人類への犯罪といわれた南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)は1948年の白人政権誕生から始まった。生れた時から肌の色などで人間を「白人、カラード、インド人等、黒人」に分類し徹底的した差別を行なったのだ。

 狙いは、白人政権の安定と多数を占める黒人を安い労働力としてだけの存在にすることにあった。金鉱目当てに援助を提供した日本人が不名誉な「名誉白人」と呼ばれて喜んでいた時代である。

 許しがたい人種差別の現実を世界に知らせようと、神父に変装したウッズ(ケビン・クライン)は命がけで原稿を国外に持ち出す。1978年に「BIKO」というタイトルで出版された原稿は12ヶ国語に翻訳され世界に大きな衝撃を与えた。

 アパルトヘイトは1994年の全人種参加選挙によってようやく終焉を迎えた。しかしそのにはビコの姿はなかった。30歳の若さでこの世の去ったからだ。警察はハンガーストライキのせいだとしているが、ウッズは拘束中の拷問が原因であるとして全財産をビコの死因調査に投じた。

 そんな中、ウッズはアッテンボロー監督に映画制作を依頼したのだった。

 「私は、そこで起こっていることを自分の目で確かめようと思い、南アフリカに旅立った。そしてその帰路には、この映画の制作を決心していた」

 アッテンボロー監督は後にそう語っている。ビコを名演しているのは若き日の名優デンゼル・ワシントン。しかし、なによりもこの映画の重みは最初に出てくる次の字幕にあると私は思っている。

 「この映画はすべて事実である」

                                        (写真はcinemanavi.com)




 

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