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僕と妻が日本尊厳死協会に入会したわけ

  ある日、私よりもずっと若い50代後半の知人に膵臓がんが見つかり、余命3ヶ月と宣告された。自覚症状が少なく、検診でも見つかりにくいサイレント・キラーだ。発見されたときにはすでに他の臓器にも転移していて手の施しようがなかったという。

  本人は当惑し、周囲の人々は何も出来ないことに行き場のない悲しみと怒りを覚えた。いつも快活で笑顔を絶やさなかった人が心身ともに目に見えて衰弱していく。50代の若さで逝ってしまうのはあまりにも理不尽だ。結局、彼女は苦痛に耐えるだけの延命治療を拒否することにした。病と闘わず、痛みを麻酔で押さえながら最後まで人間らしく尊厳を失わない日々を過ごす選択をしたのだ。

 その時、私も考えた。いや、感じたといったほうがいいかもしれない。誰もが免れない老いと死の運命にどう立ち向かえばいいのか。107歳まで生きた美術家の篠田桃紅さんは「身体の半分はあの世にいて、過去も未来も俯瞰するようになる」と書かれているが、そんなものなのだろうか。昨年3月に老衰のため東京の病院で亡くなられた。

「高齢者にとって怖いものは死ではない」

 そうハーバード大学公衆衛生大学院のアトゥール・ガワンデ医師は著書『BEING MORTAL(死すべき定め)』で述べている。「死よりも、延命治療や介護に頼って自分らしい生き方を失うことのほうが怖い」と。その通りだと思う。

 時をほぼ同じくして、オーストラリアの最高齢医師で環境植物学者のデービッド・グドール氏(104歳)が自らの命を絶つためスイスへ旅立ったというニュースが飛び込んできた。英BBC放送によれば、同氏は私の知人のように不治の病に冒されているわけではない。だが高齢で自立生活が困難で、生活の質(QOL: quality of life)が著しく低下したことから自死の道を選んだという。いわゆる「安楽死(euthanasia)」だ。

 「こんな年に達してしまい残念でならない。私は幸せではない。死にたい。悲しいのは(オーストラリアで)そうさせてもらえないことだ」と同氏は語っていた。「私が思うに、私のように年老いた者には、ほう助自殺の権利も含めた完全なる市民権が付与されるべきだ」というのが同氏の持論だった。

 オーストラリアのビクトリア(Victoria)州では2017年、同国で初めて安楽死の合法化法案が可決されたが、対象者は健全な精神状態を持つ末期患者で余命6か月以内に限られている。グドール氏は対象外だったため、スイスのバーゼル(Basel)にある自殺ほう助機関に申し込んだところ優先予約が認められたそうだ。

1942年に世界でいち早く自殺ほう助を合法化したスイスでは年間1000人以上が「尊厳死」を選択している。その後、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、米国5州、カナダケベック州、コロンビア、韓国などでも認められるようになった。尊厳死をサポートする組織がいくつも存在している。

 どちらにせよ命に関わることだ。制度化するのは容易ではない。自殺ほう助は殺人と表裏一体だからだ。そのため、日本を含めた大半の国々では未だに自殺ほう助は違法行為とみなされている。

 1980年代末、米国中西部ミシガン州のミシガン大学大学院にジャーナリズムフェローとして留学していた際、同じ大学卒で恐ろしい「Dr.Death(死の医師)と呼ばれた人物に遭遇したことがある。ジャック・ケボーキアン医師だ。顔つきも話しぶりもなんだか不気味な感じだったことを覚えている。

 彼は1989年に自作の自殺装置を開発し、末期病患者の自殺ほう助活動を始めると96年には同州で「自殺クリニック」を開設して世界的に注目を浴びた。私が特派員を務めた米ニュース週刊誌「TIME」の表紙になったこともあった。それはそうだろう。殺人の罪で99年に有罪になるまでに自らが主治医でもない患者130人をその装置で「安楽死」させたのだから。

 殺人罪で逮捕されたきっかけは、全国ネットのCBS放送の看板調査報道番組『60 Minutes』で、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていた52歳の男性をケボキアン自身が薬物注射で「安楽死」させる様子の一部始終を映したビデオを公開したことだった。「安楽死」の必要性を世の中に訴えるための確信犯だった。

 「私の究極の目的は安楽死をポジティブな体験にすることだ。 医療専門家たちに彼らの責任を自覚させる。その責任には自殺ほう助が含まれている」と彼はニューヨークタイムズ紙とのインタビューで語っている。  

 放映直後は彼の狙い通り「安楽死」に関する論議が一時的に盛んになった。だが、皮肉なことに、使われた手法があまりにも衝撃的であったため逆に慎重論が広がった。それで良かったのだと思う。2008年6月3日。ケボキアン博士は腎臓疾患の治療で入院していたミシガン州の病院で死去した。83歳だった。

 私は安楽死が容認されたオランダの事情を取材したことがあるが、背景には徹底した国内議論と幼い頃から教育を通して育まれる個人の自己決定能力重視があったことが印象的だった。「安楽死」より、自分の最後は尊厳を失う前に自らが決断する「尊厳死(death with dignity)」と呼ぶべきだと私は思う。

 スイスでも、医師が患者に致死薬を直接投与することは法律で禁止されている。だから、医師から処方された致死薬を患者本人が自分の判断で点滴のバルブを開けるか、口から飲んで死に至るのだ。スイスで自殺ほう助が認められている法的根拠は刑法115条の「利己的な理由で他者の自殺を誘導・手助けした者は罰せられる」という条文だ。つまり利己的でない自殺ほう助は違法ではないという解釈だ。

 自殺ほう助を受けるためには、まず認定団体に会員登録することが必要。その際、医師の診断書やなぜ自殺ほう助を希望するのかという身上書を提出する。それを専門医が審査し、認められて初めて許可がおりるのである。

  申請から実際の自殺ほう助まで数ヶ月かかる。当日は団体の「自殺付添人」が患者の元に致死薬を届け、最後の瞬間まで患者本人や家族に寄り添う。国内居住者は実施場所に自宅を選ぶ人が多いという。

 スイス最大の自殺ほう助団体エグジット(1982年設立)の会員数は年々増加して2019年末で12万8千人に達している。国外居住者を受け入れている団体もある。

 患者の年齢は問われないが、自殺ほう助を受けるためには厳格な条件を満たさなければならない。通常の条件は以下の3つだ。
1. 治る見込みのない病を患っている
2. 自殺ほう助以外に緩和できない耐え難い苦痛や障害がある
3. 健全な判断力がある

グドール氏はフランス在住の家族と最後の団欒を過ごした後、最も近い親戚とともにスイスに向かった。そして2018年5月10日、この世を去った。

 今や、医学は長足の進歩を遂げ、人類史上かつてないほどさまざまな病魔から人の命を救えるようになった。とても素晴らしいことだ。だがその一方で、日本のような長寿社会では高齢者がガンなどの難病とそれがもたらす耐えがたい痛みと闘わねばならないことが増えている。

 ガワンデ医師はこの「新しい終末期」において医師は病気と闘うことだけでなく、患者の意味のある人生、できうる限り豊かで満ち足りた人生についても思いを馳せる必要があると説いている。僕たちは豊かに生きることばかりを考えていて、「豊かに死ぬ」ため必要に何が必要なのかをあまり真剣に考えてこなかったからだ。

豊かに死ぬ
「老いと病にあっては、少なくとも二種類の勇気が必要である」と同医師はいう。ひとつ目は、死すべき定めという現実に向かい合う勇気だ。この勇気は難しく、持てないのも当然だ。しかしもっと難しいのは二つ目の「得た真実に則って行動する勇気」だという。ガワンデ医師は、その勇気が持てないのは未来の不確実性のせいだと当初は考えていた。しかしそれが正しくないことに気づいた。

 「この先の予測が難しければ、何をすべきかを決めるのが難しくなる。しかし、いろいろ経験する打ちに本当のハードルは不確実性よりももっと根本的なことだと気づいた。恐れか望みか、どちらが自分にとってもっとも大事なのかを決めなければならないのだ」

 人類史上かつてないほど長生きとなった私たち日本人は、終末期をどう生き、最後の時をどう迎えればいいのか、もっと議論すべきだろう。グドール氏の104歳の選択をどう考えるか。高齢の患者を死の直前までパイプに繋ぎ苦痛を強いる医療が本当に正しい医療なのか。

 そんなことを話し会った私たち夫婦は日本尊厳死協会の会員になることを選択した。命の終わりが近づいたら延命措置を望まず緩和ケアで自然の摂理にゆだねて寿命を迎えたいと思っている。

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