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謀略うず巻くウクライナ戦争の結末は

 1979年は、宗教原理主義と市場原理主義が21世紀を方向づける歴史的転換点だった。私がTIME誌特派員だった頃にライバルだったNEWSWEEK誌の東京支局長を務めたジャーナリストのクリスチャン・カリルはそう指摘していた。

 それになぞらえれば、43年後の2022年は、ロシアのウクライナ侵攻を巡って権威主義国家と民主主義勢力の対立が不可避となった歴史的転換点になるかもしれない。

 振り返れば、1979年は確かに社会主義体制が衰退し、宗教の政治化が始まり、グローバル化を加速させる自由主義市場経済が台頭した画期的な1年だった。

 1月に米国と中国が国交を樹立。4月にはイランでホメイニ師によるイスラム革命が起きて世界でのイスラム教の影響力が拡大し、過激派のテロが激化していく。5月には「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー女史が英首相に就任し、現在の大きな経済格差を生む結果になった新自由主義経済を推進した。

 さらには6月のヨハネ・パウロ2世教皇のポーランド訪問がその後の共産主義体制崩壊のきっかけをつくり、中国では最高指導者だった鄧小平が「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕ってくるのがいい猫だ」という発言で知られた「改革開放政策」に着手。それがやがて同国を米国に次ぐ世界第2位の経済大国に発展させていく。

 21世紀初頭の国際政治のキーワードは「イスラムテロとの対決」と「グローバリズム」だったのである。

 そんな歴史的な地殻変動と比べれば規劣る劣るが、2022年2月のロシアの残忍なウクライナ全面攻撃は世界を震撼させ、グローバル経済の分断と「専制国家vs西側民主国家」時代の幕開けとなったことは間違いないだろう。

 米国主導の西側の強力な経済制裁はロシア経済を苦境に追い込み、プーチン大統領は戦術核の使用さえも考えているという。ロシアは核先制攻撃のドクトリンを堅持しているからだ。世界経済にもすでに混乱が起きており、長期化すれば否が応でもグローバル経済のブロック化が進む。

 軍事力の使用を躊躇する欧米はこれまでも経済制裁を多用してきたが、イラン、ベネズエラ、キューバ、ベラルーシ、北朝鮮、中国、そしてロシアでも政権は生き延びている。経済制裁の抑止効果には限界があるのだ。しかも一般市民を苦しめるという人道的問題や第三国への影響も考えなくてはならない。

 しかも厳しい制裁はブーメラン効果で自国の首を絞めかねない。今回でいえば、石油や天然ガスなどのエネルギー資源の高騰、食糧不足、そして長引けば西側金融から各国が離れていくリスクもある。

 ロシアは米国、サウジアラビアに次いで世界第3位の原油産出国で、天然ガスでも世界第2位だ。欧州はエネルギー資源の約4割もロシアに頼っている。ロシアの小麦のシェアは18%、アルミニウムが9%、銅が8%と世界経済に影響を与える数字だ。ロシアと並んで「世界のパン籠」と呼ばれるウクライナも世界有数の穀物生産国で春の作付けが滞れば、世界の穀物需給がひっ迫し一段の相場高になる可能性が高い。

 多くの国々にとってはバイデン大統領が叫ぶ制裁強化よりも妥協の道を探りたいというのが本音だろう。

 さらに、ロシアは敵対国にルーブルでのエネルギー代金の支払いを要求している。「とイタリアは拒否しているが、他の欧州の公益事業体は可能だ」という(イアン・ブレマー)。おそらくロシア依存度の高い欧州とエネルギー大国米国の間に楔を打ち込もうとするプーチンの「見せかけ」の一手だろう。

 ウクライナを政治的緩衝地帯にとどめておきたいと思っているのはロシアだけではない。ロシアの報復を恐れる欧州もウクライナのEUやNATOへの加盟をこれまで承認してこなかった。

 一方、ウクライナ侵攻から1ヶ月が過ぎてロシア軍の戦況不利が明らかになってもプーチン支持を変更しない国がある。習近平主席の中国だ。ロシアのウクライナ全面侵攻はショックだったに違いないが、専制国家同士が結託して米国を弱体化させるという目的を共有しているからだ。南シナ海で国際法を平然と破り勢力圏の拡大を狙う習近平の姿勢はプーチンと共通するものさえ感じさせる。違いは「戦わずして勝つ」という孫子の兵法を重視していることだ。

 バイデン政権との対立が深まる中、核大国ロシアを温存しておくことは軍事的に有利だと判断しているのだろう。ロシアが崩壊すれば次に標的とされるのは自国だという恐怖もあるかもしれない。ウクライナ危機で中国依存を強めるロシアは習近平にとって都合がいい存在だ。

 事前にロシアのウクライナ攻撃の詳細な情報を得ていた米国政府はプーチンを思いとどまらせるよう中国に要請した。しかし中国は首を立てに振らなかったという。ロシア軍による残虐行為が世界に知れ渡った今となっては中国が仲介に入ったとしてもロシアを追い詰めない和平を実現することなど不可能だろう。

 元KGB工作員のプーチンは謀略の達人だ。彼がどのようなかたちでウクライナ戦争の幕引きをしようとしているのかは分からない。だが、何よりも権威の失墜を恐れるプーチンにとって戦果の乏しい停戦は受け入れがたいことだけは明らかだ。ウクライナの仕業だと主張して生物化学兵器を使用する可能性も否定できない。

 もし、ロシアがその「レッドライン」を超えれば状況はウクライナ戦争からNATOの戦争に激変する。

 それを察したバイデン大統領が「ロシアが生物化学兵器、核兵器を使う可能性がある」と公言したのは、米政府が手の内は分かっているぞとロシアを牽制し実行を思いとどまらせるための一策だったのだろう。

 西側メディアでは、ロシア軍がウクライナ東南部のドンバス地方の占領地を拡大し、第2次大戦でナチスドイツを破った戦勝記念日の5月9日に一方的に勝利を宣言するのではとの憶測が流されている。

 お得意のメディア操作のお陰で国内世論は追い風だ。最新の独立系の世論調査ププーチンの国内支持率はおよそ4年ぶりに80%を超えた。厳重な警備で抗議運動も下火になっている。

 世界各国では一刻も早い和平を望む声が日増しに高まっている。しかし現在の状況では、プーチンを「戦争犯罪人」と罵倒するバイデン大統領とロシアが妥協し、国際的に英雄視され自信を深めるウクライナのゼレンスキー大統領がロシアの占領地域の拡大を受け入れることは考えにくい。残念ながら無益で残酷な戦争はしばらく続きそうだ。

                 (写真はasahi.com)

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