どうやらこの先、できそうにないことリスト。

40を過ぎたあたりから「どうやらこの先、できそうにないなあ」なんていう弱気な事を考えるようになった。無理もない。頭には白髪が増え、体力も落ちた。山登りや徹夜仕事のような場面になると肉体的な衰えは否が応でも感じざるを得ない。まだまだこれから、なんて人前で虚勢を張っても実のところはそんな風に「できそうにないこと」のリストに年々、ひとつ、またひとつと項目が増えていく。こんな感覚は30代では感じたことがない。こういうブログにもこれまではそんな弱気なことなど書いたことは極端に少ない。しかし、これが本音だ。だから今、目一杯でいっぱいいっぱいの毎日を送っている。以前にもまして寝る瞬間はヘトヘトになって横になる。どこかでそのリストに諦めがついてなくて、ほんのちょっとどこかで「できるリスト」へとその項目を移そうとしている。こんなジタバタする自分が好きになってきた。こういうのを自己陶酔なんていうのだろう(笑)。今や他人の目も評価も気にならないほどとにかくジタバタしている。それはまるでカウントダウンが始まったかのような焦りっぷりなのだが、そんなおっさんの焦りほどみっともないものもないと思い、精一杯スマートさを装っている。中年の頑張っている姿の見えない部分の美学のようなものを感じるようになった。悲哀とひきかえにジタバタする「できそうにないことリスト」と戦う美学。それはそれで「できた、できない」というのを超越したいわば「背中の美学」のようで今の僕にはとても誇らしく見え、そして感動的ですらある。そうして、明日も大いにジタバタしようと思うんだ。