つくらない。けどつくる。
近しいひとにはうすうす感づかれてますが、去年は映像を全然つくってない。(AKB48を1本だけ監督したか 汗) 珍しい状況を積極的につくった。飽きたとかじゃない。深くものをつくりたいから、今まで読もうと思ってほったらかしにしていた本とか、行こうと思って行かなかった場所とか、そういうことで時間を味わう。さすがにもう興味がないものと興味があるものが白黒はっきりしてきた年齢にさしかかって、焦ってるのだ。焦ってるのにやらない。いや、正確には焦ってるからやらないのだ。もう、駄作をつくっている時間はないのだ、と心底思うようになってきた。FacebookやTwitterで時々見かける「これ、すごいぞ!」みたいなアート作品や映像、写真にも正直うんざりしはじめている。一瞬、なんとなーく「いいかも。。」なんて思ってしまう自分のブレた感覚にだ。理由もなく「こうだ!」と思い込んでいたものを片っ端から疑ってみることにした。誤解されるといけないのだが、仕事をサボっているわけではない。たぶん(汗) 長距離をクルマで移動しながら頭の中ではまるでサーカスのように次々になにかが現れている。ひやひやするものとか、笑えるものなんかがまさに次々に。家や仕事場に居れば鈍く漂っていたようなものを見つけることにハマっている。ブックマークしていたWebサイトはいつのまにか見なくなり、タイトルだけ見てもなんだか思い出せないもの。はじめの数ページしか使わずに放置のままのノートブック。勉強しようと大人買いした分厚い本。勢いで購入したけど捨てられずに、かといってじっくりと眺めることのなかった写真集。練習するはずだった楽器。それらそれぞれにいくばくかの思いがあるけど、特に考えることをしなかったツケが「流れていってしまった時間」となって、もはや何も残っていない気がした。きっとアラフィフなんてそんなもんなんだろう、ともおもいつつ。時間を「どう使うか」なんてセコい考えは捨てて、時間をどう味わうかと考えてみたらおのずと、いろいろと頭に浮かんできた。ダシが効いている時間、とか、シンプルに塩味で素材の味がする時間だとか。そんな風にしていたら、違う風景が見えてきた。っていう気がしてる。