世の中がデジタルになったばかりにシャッターが切れやしない

2021年の年の瀬、毎年恒例の「写真の整理」をしていた。1980年代後半から撮り溜めている写真。作品として撮っていたものも、単なる日常のスナップも全部まぜこぜにネガフィルムを段ボールにしまってあって、それをスキャニングしてデータにしたりアルバムにしたり。気が遠くなるくらいの量のネガ。今はようやく2010年代くらいの写真を整理するようになった。
整理している10年くらい前に世界各地で撮った写真。僕の写真は俗に言うストリートフォトというやつで、旅をしながら街の風景の中で見つける市井の人々の営みを写真に収めてきた。
愛用しているのは昔から古いハッセルブラッド500MとライカM4。特にハッセルはシャッターを切るとバサッ!と大袈裟な音が鳴る。まるで写真館で撮る時のようなあの音がする。
外国に行って、突然バサっとシャッターを切る。何百回と(ネガの量からすると何万回っていうことになるけど)この感じで写真を撮ってきてるけれど不思議と怒られたことは2回しかない。
大抵の場合、シャッターを切った後にこちらがニコッとするとニコッと帰ってくる。「いいカメラね。」なんて言われることがほとんど。「ウチでコーヒーでもどうぞ。」なんて誘ってもらって夕食までご馳走になった家族もいる。そのまま一緒に列車で小旅行した人もいる。
けれどここ最近はカメラを向けた途端に怪訝な顔をして手で「やめて!」というジェスチャーをされることが増えた。無理もない。SNSだなんだと、なにかと「セキュリティー」に敏感に世の中がなったわけだ。
さみしい。
なんか、さみしい。
僕は新し物好きで、デジタルだって飛びついた輩だ。スマホだって常に最新のものを持ち歩く。
でも昨今のこのデジタルライフは「あれ?こんな感じを求めてたんじゃないんだけどな」と思うことが増えた。
自分で言うのもなんだけど、10年以上前の僕が撮った人々の写真には、なんだか「生きてる」顔がたくさんある。