活気のない距離で成果が出てしまって

去年の年末にすごく嬉しいことがあった。僕は美術大学で教鞭をとっている。その中で映像制作の演習というものがある。2年生のクラスと3年生のクラスがあって、その3年生のクラスで、これまでの自分の指導とは全く違ったやり方をやってみた。何も指示をせず、好きなことをやってもらうことにした。(と言っても映像制作には変わりないのだが) どんな内容も肯定した。わからないことがあったらググらずに僕にLINEしろ。ただそれだけ。ググると遠回りだから、ピンポイントに質問があればそれをつくるための自分の持ちうるあらゆるノウハウを伝授した。「学生だから」というレッテルを無くし、ひたすら、好きなことを考えてもらって、そこを目指すことに終始した。そして迎えた講評の日。(つくった作品を僕に持ってきてそれを僕が批評する日) 正直、驚いた。1つや2つではなく、提出されたうちの7割は驚いたレベルだったし、中には自身では作れそうにないとんでもない作品をつくってきた学生もいた。間違いなく何らかのアワードで賞を獲りそうなものだ。仮に僕が審査員だったら票を入れるであろう作品だった。僕自身はこれといって指導していない。何がどう作用したのかはわからない。学生の素地がすこぶる高いレベルにあったのかもしれない。振り返ると決して活気があった授業ではなかった。お菓子を食べながらやってたし、遅刻する学生が続出していたし、何だかどんよりした空気もしばしば。なのに、なのだ。僕はこの成果に戸惑う。世間ではこういう「だらだら」「どんより」からは成果を出さないとされている。大企業は結構な予算をかけてモチベーションを上げるワークショップや活性化のためのコンサルティングを受けている。そういうことを尻目に、出してしまった成果。そして僕自身も大いに勉強させられた。すべては距離感が決めたんじゃないだろうか。携帯の登場で距離感が壊れた、と言われている。恋愛の距離感は40cm(程々に近い距離)で、喧嘩の距離感は1mくらい。そういう物理的な距離感が携帯によって無くなった。すでに物理的距離感のイメージがない世代が「授業を受ける」というリアルな距離感の中で考えたり、迷ったり、聞いてみたり、話してみたり、笑ってみたりをする。その距離感が何かを決めている気がしてならない。その上で、見えないコミュニケーションというものが発生して、自発的な何かが生まれたのではないだろうか。どこまで考えても謎が残る。けれど、事実、活気のない授業で成果が出てしまった。教員15年目にして初めての発見。とにかく色々と嬉しかった。