レッツ!ダメもと。

最近、仕事での移動が多くなった。何時間も飛行機や電車や時には自分で運転をしている間、いろいろなことを自問自答をする。今日は6時間運転しながら仕事のことを考えた。自分の仕事のまわりでささやかれているハナシ。映画を見に行く人が減ってきた、とか、クルマに興味がある若者が減ってきた、本が売れない、とか、とかく尻すぼみな話を聞くようになった。厳しい、難しい、と。本当にそうかな。一方では極端に行列をなしているものや、購入するのに何ヶ月も待つなんていうことが起きている場面もある。「厳しい」「難しい」と言っているのははたして誰なのか。そう言っている発信者はそこにどんな一手を刺そうとしているのだろうか。そもそもダメダメ言っていてダメなものを良くしようとしているのだろうか。僕は近頃、開き直った。既存のルールや慣習やフォーマットなんかと決別しようと思うほどに、「あー、はいはい、こんな感じだよね」と簡単に想像できるようなものには興味が無くなってしまった。悲観的な将来分析の類いの話は疑ってみることにした。そして、自分は楽観主義に切り替えた。楽観かつドMな路線で(笑) 「普通、こんな風にはやらないよなあ。」とか「あーまたしんどい方法を選んでしまった。」なんていう具合に、やり始めてすぐに面倒くさくなるようなことばかりをやっている。そして、そのほとんどがやり終えたり、つくり終えた時に「まあまあかな。いいかもしんない。」程度にほんのりとほめられるくらいになっている。映画はつまんないだろうか。クルマはつまんないだろうか。本はかさばってじゃまくさいものだろうか。それほど一分一秒を争うほど常に何かに追われているだろうか。将来を悲観することになんの徳がそこにあるだろうか。ほんとうのところは実にあっけないくらい簡単に希望を見いだせることができるような気がしてならない。それを変えるのは「ダメもとの精神」なんじゃないかと。ダメでもともと、やらないよりやったほうがいいし、やるんだったら楽しんだほうがいい。えいっとやってしまえばいい。大丈夫、なんとかなる。と思う。責任はもてないけど(笑) ぼくはこのダメもとをもっともっと若手に実践させたい。さらに責任はもてないけど(笑) レッツ!ダメもと。映画やクルマや本や、悲観されているもののほとんどが元気を取り戻す気がしてならない。まだやっていないことはたくさんある。その勇気は空気を変えるチカラがある。面倒くさいことにはたいてい意義深いものが多いものだ。