なんでかわからないけど叫んでよかった。

FacebookとかTwitterとかがあるのですっかりご無沙汰してしまった。戻ってきた。なんでかわからないけど。去年は2本の長編映画をつくった(まだ1本は完成してないけど)。無性につくらなきゃって思って、重かった腰に自ら尻を引っぱたいた。なんでかわからないけど。いや、理由はあった。物語をつくりたかった。さらにいえば、物語の中に言いたいことを忍ばせて叫びたくなった、という気持ちだったというのが正しい。言うまでもなく未曾有の時代になった。次から次へと起きる世の中の不条理な出来事に「まあ、そういうこともあるよね」って冗談のように受け流せる事でもないことがたくさん起きた。そういう中で不感症になっていくのをじわじわと感じたときにじゃあ自分はどこへ何を叫ぶのよ、って問いかけた。そしたら映画をつくって見せたらいいじゃん、って聞こえた気がした。確かに、それが生業としてやっているわけだし、何の疑問もない。ブツブツいうよりよっぽどさっぱりしている。で、つくった。会社にわがままを言ってみた。創立20周年の節目に1本つくらせてくれ、と。一方で仕事としてやっていた新潟のPRのプロジェクトにもわがままを言ってみた。おざなりのPR映像じゃなくて物語を!と。みんなが受け入れてくれた。ありがたかった。身も心もボロボロになってもいいからやってみようと思った。商業映画ではないので、上映場所も自分たちで考えなくてはいけない。脚本も自分とその仲間たちで。役者も探した。懐の深い役者たちが顔を揃えて、涙が出るくらい嬉しかった。2本のテーマはそれぞれ「いいんだよ。あなたはあなたなんだから、あなたの思うままに生きて」という叫び。そして「家族や友達の大切さって、わかってるけど、わかってないよね」という叫び。青春や恋愛、そして死という普遍の在り方も散りばめた。なんでかわからないけど、つくってよかった。振り返ると自分でも驚くくらいのエネルギーで走った1年だった。時間の許す限り溢れかえるほど本を読み、眠い目をこすりながら穴があくほどリアルタイムの社会の出来事に目を通して、その時その時で瞬時にやることを決めながらとにかく前へ進んだ。感覚的に決め、ロジックで組み立てる。いやロジックを捨てて齟齬や矛盾もそのままにした箇所もある。そして行き着いた「これでいいのだ。」と思えたことが一番の収穫。忍ばせた僕なりの叫び、みんなの前で叫びたかった言葉はどこかに届いただろうか。それを知る術はない。