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いきなりの投稿です。「死ぬという言葉」

死ぬという言葉にはあまり抵抗がない。

首吊り遊び
「そんなことしたら死んでしまう。」と母に大声で叱られた。
物心ついたころのかすかな記憶。私を外から見た客観的な映像が記憶からよみがえってくる。
縁側に向かった座敷の欄干に浴衣の帯が絞首刑台の輪っかになってつるされている。ミシンの椅子に上った私がその帯を首に絡めて首吊りの実験をしようとしていた。

「首吊りや、首吊りや!」と騒いでいる声で母が飛んできた。
「なにしてるんや、あほ!」「こんなことは真似事やない。ほんまに死ぬんやで。」
「こんなことしたらあかん。絶対あかんで。」「人は死ぬんやで!」

脳内出血
「誠一、誠一!」と声がして目を明けたら母が私の顔をのぞき込んでいた。
周りを見渡したら病室。病院のベッドに横たわっていた。2日間昏睡状態だった。
小学校2年生の放課後、学校裏でともだちとおしゃべりしていた。私は自転車にまたがっていた。
突然バランスを崩して自転車ごと地面に倒れた。角のとがった砂利が敷かれた道だった。起き上がって打った頭を触ると軽く血が出ていた。
家に帰って畳の上でゴロンとしていたら天井が回ってきた。夜になって同居していた叔父が帰ってきてひたいを触って「熱がある。」と言った。体温計で測ったら42度を超えていた。父がかかりつけの医者を呼ぼうとしたら叔父が言った。
「これはあかん、救急病院や、外科に連れていくんや。」「救急車よりタクシーの方がはやい。」流しのタクシーの多い時間帯だった。
すぐにタクシーに乗せられ病院についたら、医者にエビぞりのようにさせられ、せき髄液を注射器で抜かれた。透明なはずの髄液が真っ赤だった。医師が脳内出血と宣告し、その後のことは目覚めるまで記憶がない。
馬に跨り戦場を広く行軍した軍人上がりの叔父だった。戦場の経験知があったのか、あの叔父の機転がなかったら今の私はいなかった。

八ヶ岳
「ばかやろう!」下のほうから大声が聞こえる。赤岳山頂に向かって最後のサミットプッシュをしているときだった。
前を行く先輩の足元から小さな石が転げ落ちていた。
「殺すぞ!」とまた大声で怒りをぶつける登山者。小石でも転がると危険な急斜面。
これを見た私は先輩とは違うルートをとって山頂に向かった。これが間違いだった。
その日は、研究室の先輩たちと野辺山にある大学の指導教官の別荘から県界尾根を登り尾根沿いに赤岳に向かっていた。
その尾根の東側斜面は登山に適した斜面。一方西側は急峻な崖のような斜面で滑落すると間違いなく死ぬことになる。
ルートを取り間違えた私は赤岳の西側の斜面の石だらけのルートを3点確保で移動する事態になった。
六甲の芦屋にあるロックガーデンで3点確保移動のトレーニングはしていたが、ここで失敗すると間違いなく滑落死。
滑落していく自分と死がまざまざと頭によぎる瞬間だった。
東側へ、東側へルートを変えながら頂上にたどり着いた。

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