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愛すべき風景

中学生のころ、ALTの先生だったブラッドと仲良くしていた。彼はアメリカからやってきた、とても背が高く痩せているひとで、ハリー・ポッターがかけているような、細くて丸い縁のおしゃれな眼鏡をかけていた。

ブラッドは学校に来てすぐのころは全然日本語を話せなかったのに、少しずつひらがなを覚え、カタカナを覚えて、日本の言葉を少しずつ話せるようになっていった。私たち生徒はその様子を間近で見ていたので、この新しいALTの先生が努力家なのを知っていたし、彼は笑顔の素敵な明るい人だったので、生徒にも人気があった。

中学2年生のとき、英語の授業で、あなたにとって身近なおすすめの場所を短い英文で書いてみましょうという活動があり、私は自分の家のことを書いた。私の実家はお寺で、山の上にあり、家から日本海も街の港もすべて眺めることができる。私は自分の家から見える景色がとても好きだったので、短い英語の文と、周りに景色の絵を描いてそれを提出した。

それをALTのブラッドは覚えてくれていて、私が高校生になり、妹が私の通っていた中学へ入学してから、休日にわざわざ家まで遊びに来てくれた。

全部で3度ほど訪ねてきてくれたと思う。

1度目は自転車で来た。うちの坂はすごく傾斜が急なので、よく上がってこられたなあと家族みんな驚いていた。2度目からは車に変わった。坂道が辛くて、もうとても自転車では来られないとブラッドは笑って言っていた。

私たちはいろいろな話をした。ブラッドは忘れたころに私たちの家を訪れ、一緒にお茶をしながら英語で会話をし、しばらくするとにこやかに帰っていった。ちょうどテスト期間に訪ねてきたこともあったけれど、私も妹もブラッドのことがとても好きだったので、勉強を中断することを否定的に捉えたことはないし、よろこんで彼と一緒に過ごした。

いま考えてみたら、先生というより友人という感じだったと思う。年の離れた、国籍の違う友人。そしてそれは彼が常に私たちに対して対等な立場で話をしてくれたからなのだと思う。私たちはいつも対等だった。彼は私たちを決して子ども扱いしなかったし、言葉に対して真摯に向き合ってくれた。

音楽の話などもよくした。ブラッドが自分で作った曲を聴かせてくれたこともある。爽やかで軽やかなメロディの曲だった。

あるときには彼がお土産に持ってきてくれた手作りのバナナチョコケーキがあまりに美味しかったので、妹ともぐもぐ食べていたら、にこやかに作り方を教えてくれたこともあった。

またあるときにはブラッドという名前を漢字で書きたいと言うので、どの字を当てればよいかと妹と3人で考えたこともある。彼は私の大学での様子を尋ねてくれて、たどたどしい英語で話す私の言葉をじっくり聞いてくれた。

ブラッドが最後にうちへやってきたのは一昨年の春だった。暖かくて、桜の花が満開で、桜を見に訪れる人の足が少し落ち着いてきたころだった。彼はいつも連絡をせずに私たちの家にやってきたけれど、なぜか彼がやってくるときはいつも私も妹も家にいて、2人で彼を迎え入れることができた。

その日彼は、うちにある桜の花を見てとても感動していた。目をきらきら輝かせながら「ここの景色と桜がいちばん綺麗だ」と言い、私の母を喜ばせた。

そしてブラッドは、自分の生まれ育った場所の春がどんなものなのかを話してくれた。

彼の生まれたのはウィスコンシン州で、春はあまり綺麗ではないと言っていた。そこでは大地は赤茶けた土で覆われていて、雪が溶けてくると道の土と雪が混じり合い、あんまりきれいな景色ではないのだと。けれど、日本の春はとても美しいからいいねと、そういうことを言っていたと思う。私はブラッドの話してくれた景色を頭の中で想像した。

それから私たちは彼に会っていない。にこやかに手を振り、桜の花びらが舞う中を帰っていった彼は、その後すぐにALTの契約期間を終えたらしい。コロナのせいでなかなか故郷へ帰れずにいるようだという話を風のうわさで聞いたけど、その後無事に帰ったのだろう。彼はあれから私たちの家へ一度も来ていない。

故郷の話をするとき、ブラッドはいつも嬉しそうだった。家は湖の近くにあること、クリスマスは家族みんなで過ごすことなどを、いつもにこにこしながら教えてくれた。

私にとって愛おしい春は、桜の舞う優しくてふんわりと華やかな景色だ。でも彼はきっと、桜が美しく咲き誇る景色ではなく、赤茶けて汚れた雪解け水の風景を懐かしい春だと思うのだろう。

日本にいた間、異国の土地で、彼がどのような思いで春を迎えていたのか私には分からないけれど、それはいつかきっとまた会えたら聞いてみようと思う。

そして彼が日本での日々を思い返したとき、日本で出会った風景や、この国の春、私たちのことを、少しでも温かい記憶として思い出してくれたらいいなと思う。私は春になると決まって彼を思い出す。まるでまた会うかのように軽いさよならの挨拶をした、桜の季節のことを。


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