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Al mal tiempo,buena cara

私と恋人が「またね」をするとき、いつもお天気が冴えないことは、私にとって不思議だ。晴れていたら何もかも許せてしまう気がするのに。青空の鮮やかさに紛れて、しばらく会うことができないかなしさや憂鬱な気持ちが縮こまってしまうはずなのに。

けれど、太陽や雲は私にそれを許さない。私たちはいつも、曇りか雨模様の空の下でぎゅうと抱き合い、数ヶ月後の再会を約束して手を振り合うのだ。

きちんと彼の不在に向き合いなさいと、お天気が私にそう言う。だから、毎回そうしている。昨日もそうだった。風が強くて木が倒れたりしていたけれど、それはおそらく春の嵐で、私は春の嵐ということばが好きだから、天気が悪いのもなんとなく許せたのだった。

今までに幾度となく書き記してきたと思うけれど、私は春から秋口までの季節がとても好きなので、その時期は何がなくてもスキップして踊り出してしまいそうなほど楽しい気持ちになるし、ただ春の桜や初夏の若葉の下にいられることがうれしくて泣きそうになる。

私の情緒は、季節に加えてお天気にも左右されてしまうほどふわふわした頼りないものなので、春の晴れた日はもとより、皐月の晴れた日なんかはすこぶる調子がよく、気持ちも穏やかで、何が起きたって立ち向かえると思うほど心が強くなる(そのかわり冬は不得手だ、ただここ数年で少しずつ冬との向き合い方を学びつつある)。

その季節をこれから迎えるので、きっと私はぐんぐんと伸びていく草花と同じようにいきいきと呼吸できるはずだ。

彼は今日のお昼頃の飛行機で東京へ飛び立ち、無事に着いたようだ。

今朝、私の家にあるしだれ桜が青空のもとできれいに花を咲かせていたので、写真を撮って彼に送っておいた。すると彼から、曇天の空の下で咲いている向こうの桜の写真と、一緒に見たかった、ということばが返ってきていた。私はそのちっぽけなメッセージに心底満足して、今年もお互いそのような気持ちになれたことを幸福に感じた。

どんなに小さなことでもしあわせを感じることができれば、生きていくうえでいつだって私の強みになる。心と身体がくたびれてくるとそれさえも難しくなるけど、元気なうちはどんなことにもよろこびを見出して生きていきたい。今日、私の空が晴れていてよかった。

そして、写真は恋人とこのまえ交換したお手紙。会えなくなる前にふたりで時間をとって書き、互いに渡すのがルーティンになってきている。私は何度も、何度もくりかえし手紙を読む。手紙に何度も助けてもらった。彼にとってもそうであるといいなと思う。

どうか私のことばが力を持ち、彼の空を晴らしてくれますように。夏が訪れるまで毎日丁寧に生きていきたい。

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