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親友が私につけた傷跡の話

私が「友人の中でいちばん心が近い」と思っている女の子が、この世界にたったひとりだけいる。

他にも親しいと思っている友人は多くいるけど、彼女は親しいとかいう次元ではないのだ。

そして私は彼女もおそらくそう思っているだろうと勝手に思っているけど、そんなことをいちいち聞いたりするような関係の私たちではない。彼女と私とは幼いころからの付き合いだけど、ベタベタした関係の友人ではないからだ。

彼女と私とは小学校2年生に初めて互いを認識した。彼女が市内の別の小学校から、私の通っていた小学校に転校してきたのだ。転校生だということに加えて、彼女の座った席は私の隣だったので、私は最初から彼女のことが気になって仕方なかった。母に聞いたところ、どうやら赤ちゃんのときの定期検診などで私と彼女はよく一緒になっていたらしいのだけど、ちっちゃなころの出来事なので、私たちはそれを覚えていない。

私が彼女の隣が一番居心地いいな、と思ったのは小学校高学年ごろだった。

けれど、そのときから既に私たちは、いつでもくっついて「私たち親友だよね!」と周りに言って回るようなふたりではなかった。割とドライで、私たちどちらかというと男の子同士の友情みたいだね、などと話したこともある。

それは今も健在で、私たちは互いに束縛などしない。平気で他の子と遊ぶし、そのことをとやかく言うわけでもない。連絡もときどきするくらい。

さらに彼女は何か大事なことは必ずそれが確定した後で私に話すので、「えっ何それ?私知らない!」ということはしょっちゅうある(私も彼女に同じことをしてしまっているかもしれない)。でもなんだかんだで、やっぱりここが1番いいなと思うのが互いの隣だったりするのだ。

そんな彼女と私は今まで多くの時間と空間を共有してきた。だから彼女のことを考えるときに思い浮かぶ出来事や思い出は実にたくさんある。けれど今日は、彼女が意図せず私の身体に傷をつけてしまったときのことをここに書き残しておきたい。

小学校6年生の冬だったと思う。お昼休みの寒い校舎内で、私たちは図書室前にある掲示板を移動させようとしていた。おそらくたまたま頼まれたのだったと思う。

掲示板と言っても壁にくっついているのではなくて、学園祭などで紙の版画や水彩画、習字で書いた作品などを展示するときに使う、たくさんの小さな穴が規則正しく並んだボードと、それを立てるために左右にひとつずつある、太い鉄の足を組み合わせた即席掲示板みたいなやつだ。あの道具はなんという名を持つのだろうな。説明下手でごめんなさい。

とにかく、その足の部分を2人で抱えて、掲示板ごと運ぼうと持ち上げたのだ。面倒でも絶対分解してから運んだ方がよかったのだと今は分かるけど、私たちは2人とも大雑把だけれど要領がよいタイプの女の子だったので、できるだけ楽な方法を選択したのだった。

鉄でできた硬くて重い足部分と、ボード本体は簡単に組み立てることができる。けれど同時にとても簡単に離れる仕組みになっていた。私は足部分をがっしりと持ったのだけど、彼女はどうやらボード部分を持った。だから2人でそれを持ち上げ、足が地面から離れた瞬間、彼女の側にある足は不安定になり、ボードから離れてまっすぐに私の方へ倒れてきた。

側にいた図書館司書の先生が咄嗟に「危ない!」と声を出したのが聞こえたけど、私達があっと言う間もなく、その鉄の足の鋭い突起部分は私の膝の少し上、太ももの付近をざっとかすめた。その瞬間、太ももを切り裂くような痛みを覚えた(実際に切り裂かれた)。

幸い鉄の棒の先端は私の足の甲には落ちず、バターンと大きな重たい音を立てて廊下に倒れた。廊下にいたみんながこっちを見るくらい大きな音が響いた。

図書館司書の先生はあわてて駆け寄ってきて、「大丈夫?」と私たちそれぞれに声をかけてくれた。私たちは首を縦に振りながら、ゆっくり掲示板を床におろし、私はそれからようやく自分の太ももを見た。鉄の足の尖った部分が当たり軽く裂けた肌から、じわっと赤い血が滲みだしていた。

私の足を見たときの彼女の顔を今でも覚えている。普段はクールで、小学生にしてはポーカーフェイスだった彼女がひどく動揺しているのがはっきり見てとれた。

私が怪我をした要因はさっき書いたように、面倒くさがって分解せずにそれを持ち上げたこと、そして親友の彼女の持ち上げ方がちょっと甘かったことに加えて、もうひとつある。それは私の足が生身むき出しだったことだ。

私の通っていた小学校は毎朝制服で登校し、その後で体操服に着替えるという習慣がある学校だった。けれど私は「冬にどれだけ寒くても、指示がない限りは体操服の長ズボンは履かない」という謎のこだわりがある児童だった。私はとても痩せっぽちだったので、ひょろっとした足に、膝上まである長い靴下を履くのが好きだったのだ。

しかも体操服は小学校4年生から着ているものだった。背が伸びたことで短くなったズボンの裾は、私の膝よりはるかに上の位置にあった。だから鉄の足が当たったその部分だけ、ちょうど肌がむき出しだったのだ。もう少し靴下かズボンが長ければ、あるいは私が長ズボンを履いていたならば、怪我はしなかったかもしれなかった。

私は「痛いっ!」と言いながら足の傷を見た。ふわっと傷の上に盛り上がっている血液が足を伝って下へと流れないように、足を上げ、膝を折り曲げた。

司書さんは繰り返し私に大丈夫か聞き、すぐに私の親友にも同じことを聞いた。

そしてあなたが悪いのではないからね、という趣旨の内容の声を彼女にかけたあと、私を保健室に連れて行ってくれた。その後すぐに手当てをしてもらい、大きくて清潔なガーゼみたいなものを太ももに貼りつけたまま、私は教室へ戻った。

学校を早退して病院に行った記憶はないし、家に帰ってから病院へ行ったのかも正直あまり覚えていない。たぶん行ったのだろうけど、そこは重要なところではない。

私が覚えているのは戻った教室でみんなに「大丈夫?」「どこ怪我したの?」とわやわや聞かれたことと、その中でひとりで席に着いたままものすごく落ち込んでいた親友の顔だけだ。

彼女は泣きそうな瞳をこちらに向けて「ごめんね」と言ったので、「大丈夫だよ!」と言いながら私まで落ち込んでしまったほどだった。

その出来事からもうずいぶん時間が経ち、私の身体には今も傷跡が残っている。それはおそらく私が世界に別れの挨拶をするときまで肉体に刻まれたままだろう。しかし私はそれを、自分の身体のマイナス要素として数えたことは一度もない。

彼女は私に何度も謝りつつ、思いきり落ち込んだ後にはすっかり元気になった。それから一度もその傷跡のことに関して謝られたことはない。

そういう関係性は貴重だと思う。私は本当に気にしていないのだから、ことあるごとに彼女に謝られたりしていたら、なんとなくちょっといやな気持ちになってしまっていたかもしれない。

中学や高校でも、私たちが2人でじゃれていて不意に私の制服のスカートがまくれあがったときなどに、彼女は私の太ももの傷跡にそっと触れ、「これ私がつけたやつ。一生消えないね」と言いながらにやりと笑っていたのを覚えている。

その一言は少し危ういけれど驚くほど魅力的で、私は彼女の発したその言葉によって完全に彼女の虜になった。その傷をつけたのが他の誰でもなく彼女でよかったと思う。

そして彼女がそう思える相手で良かったと思う。
私は彼女のことをとても好きだし、他の誰といるより安心して、自分らしく過ごせるのだ。そのような友人を持てたことを誇りに思う。

そして彼女にとっての私もそうであるように願っている。私と彼女との友人関係は一生続くだろう。もし万が一途中で途絶えてしまっても、私は自分の身体を見るたび彼女を思い出すに違いない。

そんなことはとても口に出して言いはしないだろうけれど。









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