MY FOOTBALL 論

本屋はどこになんの本があるのかというのがジャンルでわかりやすく区分けされている。学習参考書、料理、資格、自己啓発、旅行、エッセイ、小説、漫画、文具など人に寄り添った複数の小さな枠組みで囲われそれぞれの心に届く分野が揃っている。そしてスポーツというジャンルの中にサッカーは位置する。こうして社会のなかだとサッカーというカテゴリーは小さく見えてしまうが他のスポーツと比べるとかなり恵まれている。あれほどの競技人口を抱えスタジアムにはあれだけの観客が入り専門メディアは複数乱立している。これでもなお欧州と比べて日本はサッカーの環境が悪いというのはかなり厳しい意見だ。
サッカーと一言で言っても見る、する、教える、支えるなどさらに細分化することもできる。好みも人それぞれで応援することが好きな人、選手を追いかけるのが趣味な人、戦術的に見ることが楽しい人、技術面でサッカーを見る人、部活でサッカーをしている人、仲間と大人になっても楽しくプレーしている人などサッカーが人においてどういった存在なのかということは一言で表すことはできない。ただ手を使わずにボールをゴールに蹴るだけの競技なのに人は色んな角度でサッカーに関わっている。
今回は僕にとってのサッカーという存在と価値と日本サッカーの課題と好きと嫌いを僕なりの考えで記したものになっている。そのため読み手が納得できることは少ないかもしれないが個人の考えとして捉えてもらえるとありがたい。

海外VS日本

どうしても日本サッカーの課題や現在地を確認しようとすると海外、主に欧州と比較することが必要になってくる。正直日本サッカーは欧州に比べてサッカーのレベルも裾野も劣っているというのが現実だ。だからよく海外サッカーファンに日本サッカーはバカにされる。特に代表の試合があるとその傾向が顕著になる。しかしその欧州というのがそもそもおかしい。いつから日本サッカーは欧州と比較できるようになったのだろうか。どう頑張ってもおいつけるわけがなく積み上げて歴史の厚さが全く違うのに海外ファンは日本と比較しようとする。僕の考えとしては日本は日本で海外は海外なのだ。もちろん見習っていいところを盗むことも業界が発展するためには必要不可欠なのだが海外に固執してしまっていてはしかたない。今回は日本サッカーに焦点を当てて書き記していく。映画は邦画しかみないし音楽は邦楽しか聞かない。すべてを網羅しようとすると僕の頭では収まりきらない。自分は基本的に自国のことしか頭にない。ここでもそれぞれのサッカー観が出るのだ。

育成

僕はサッカー界から暴力や暴言を根絶することを強く望んでいる。プレー中に熱くなるのはスポーツの世界なので仕方がない。しかし過度な叱責はかえってサッカーを嫌いにさせてしまう。サッカーは好きなのに部活に行きたくない。というサッカー部の生徒を見ていると心が苦しくなる。体育会系の部活動はどうしても精神論が先行してしまう。顧問はJFAの指導ライセンスを取得しているのにサッカー的な話ではなくいかにも部活っぽい根性論に終始してしまう。結局理不尽な社会に出ていくんだからこれくらい耐えろという理論武装で自分の欲望を満たしているようにしか僕からはみえない。生徒(選手)に寄り添った丁寧な指導が指導者には求められる。そのためのライセンス講習会が意味をなしていないように現状は見えてしまう。
また、育成という観点から見ると学校教育でのサッカー選手育成は厳しい状況にあるように思える。もちろん強豪校であれば指導の質も上がり逞しい選手は出てくるだろう。しかしなぜかプロに行くとそういった選手はほとんど活躍できていない。これは部活動という枠での選手育成の限界を示しているのではないか。
クラブユースについて考えてみると少しだけ部活動の限界が見えてくる。正直高円宮杯はほとんどでここ2年無観客試合のため1度も試合を見に行けなかったのであまりこっちの世界は詳しくないのだが高体連との大きな違いが明確に存在している。それは施設とプロになるための指導というところだ。Jリーグや代表ではユース上がり(経由)の選手がかなり多い。元プロサッカー選手の非常に優れた指導者が素晴らしい環境下でチームを作っていく。管理された芝、スカウトされたメンバー、どうしても高校の部活動ではかなわないような部分がこちら側にはある。それでも注目を浴びるのは高体連側なのだ。そこの個人的な不満は後で述べたいと思う。

日本のサッカー界が成長するためには選手育成はマストだ。今までだって数多とサッカーの「上手い」プレイヤーはいた。いまだって競技人口は日本随一だしサッカーはかなり上位のスポーツなので環境も整っているため本当に上手な選手はたくさんいる。なのになぜ海外で活躍する選手が少ないのだろうか。もちろん海外で活躍すればスゴイというわけではないが僕にとってこの疑問は晴れることがない。あれだけ厳しい競争を勝ち抜いた選手でもJリーグの試合で質の低いプレーはするし欠点はあるし正直理解しがたいミスだってある。なぜ強度が低いのか、足元はあっても試合だとプレースピードが落ちてしまうのか。有識者も話していたがスーパープレーやリフティングの技術にばかり気を取られた親や指導者がいたのではないだろうか。もちろん皆がプロを目指しているわけではないので好きなようにサッカーを楽しむのは全く悪いことではないが育成という観点から見るともったいないような印象は持ってしまう。生まれつきのフィジカル的な差はしかたないとしても我々がもっと2種や3種に対して興味を持ち正しいやり方で成長させていくことが重要なのだと感じた。

勝手な印象としては小学生でサッカーの基礎、中学生でポジショニングと動かし方、高校生で戦術と個の技術、大学生で強度を身に着け通してメンタルとコミュニケーションとスタミナを得るのだと思っている

戦術

Jリーグの今年のテーマは戦術だ。自分は元々目でボールを追ってチャンスシーンばかりを目的にサッカーを見ていたが最近は俯瞰で全体的にサッカーを捕らえるような観戦方法になってきたのだと感じる。だからあまりチャンスシーンでも声を出すようなことはないしゴールが決まっても立ち上がるようなことは少なくなった。2019シーズンに横浜Fマリノスが優勝してJリーグを取り巻く戦術的な環境は大きく変わった。メディアの取り上げ方もコーチングも戦術にフォーカスしたものが増えた。
「戦術は勝つための手段に過ぎない。」現浦和レッズの岩尾憲がインタビューで昨シーズン話していた言葉が非常に印象に残っている。徳島ヴォルティスは2019シーズンのプレーオフでJ1サポーターを驚かせるような緻密な戦術でかなり注目を浴びた。2020シーズンにはリカルド監督の集大成として組織が確立しとても強いチームになり優勝を果たした。2014シーズンを知る自分にとっては考えられないような結果だった。その結果には確実に「戦術」が大きくかかわっている。リカルド監督の「戦術」こそがこのチームを魅力ある強いチームへと生まれ変われせたのは言うまでもない。しかし岩尾憲は先述したような言葉を残した。戦術解説をするコンテンツが最近は非常に増えていて注目度も高いが手段が目的になってはいけない。サッカーの本質は闘うメンタル的なところなのだと僕は思う。そこにグラデーションとして戦術が据えられることでチームが強化されていく。日本サッカーが強くなるためには確固たる戦術が必要なのは間違いない。現日本代表に不満が溜まってしまうのはチームの明確な戦い方が見えてこないからだと思う。戦術はサッカーを見るうえでもするうえでもそれぞれが考えながらではないといけないものなのだ。
解説者は行われたプレーについて解説をするけど0の状態からデザインする選手と監督はスゴイということは補足しておく

環境、コンテンツ

スカパー時代はJ1.2.3のハイライト番組があったし今ほど情報が溢れていなかったので和気あいあいと緩い雰囲気でサッカーを楽しむことができていた。もちろんいい部分と悪い部分があったが今DAZNに移行したJリーグ配信は個人的に不満を持っている。日本上陸直後は多くのリーグが見れたのだが最近はプレミア、ラリーガ、セリエAの一部、ベルギーくらいしか海外サッカーは見られない。それは放映権の問題があるのでしかたないがもう少し日本のサッカーコンテンツを充実させてほしいという願いはある。現在ラインナップされているのはやべっちスタジアムとプレビューショーとフットボールタイム。どれもJ1を扱っているのだがいまいちバラエティー感が出てしまった浅い楽しみかたしかできない。理想はフットボールフリークスのようなコアな番組が見たいのだがなかなか経営的にもふみこめないのだろう。
しかしDAZNに頼らなくともYouTubeでは多くのJリーグコンテンツがある。観戦記や分析、レビューや移籍情報などそれぞれの楽しみかたができる。より多くの人にJリーグを知ってもらって見に来てもらうということを考えたらスター選手を演出してわかりやすい構造にするのが一番なのだろう。しかしそれでは表面的なアプローチにしか過ぎない。継続的な支援には繋がらないしサポーターの質という面でも落ちてしまう。個人的には無理にこれ以上裾野を拡大する必要はないと思っていて今いるファンに対してのアプローチをもっと大事にしていくべきだとは思う。しかし興行である以上利益は出さなくてはいけないので保守的なやりかただと簡単につぶれてしまう。野々村新チェアマンには世間に対してJリーグをどう認知させていくのかというところを注目したい。

経営、ビジネス

サッカークラブの収入の大部分を占めるのはスポンサー企業によるものだ。次に入場料収益、物販収入と続く。地元ではかなり名が知られているにも関わらず予算規模はそこまで大きくないというのはJクラブでよくある話だ。経営に関して自分はあまり詳しくないがスポンサー契約に依存する経営業態は改善してくべきだと思う。ただピッチに看板を立ててユニフォームにロゴを入れるというだけの広告料がクラブ経営の大部分を占めるということに大きな不安を抱いている。自分の周りにはJリーグファンがほとんどいない。民放でも取り上げられることはそこまで多くない。注目を浴びてなんぼの商売であるため難しいとは思うがもっと違う切り口で事業をすることはできないのだろうかと思ってしまう。
例えば福島ユナイテッドの場合だと彼らは農業部というものを設置していて選手が収穫した果物をオンラインストアなどで売っている。こういったサッカーを通じたビジネスというものも視野を広げて取り組んでいけるだけのポテンシャルがサッカークラブにはあると感じる。認知度もあり充実度もせっかく高いのにそれがあまり活かされていないように感じるのだ。
近年はクラブのトップにサッカー関係者よりもビジネスマンを据える体制が多くなってきた。これはいい傾向だと思う。頑固なイメージのあったJクラブが新しい考え方で新しいクラブの形をつくることでワクワク感が創作される。今まで通りのやり方では衰退をたどる。経営的な面でもJリーグは進化していかなくてはならない。

それでもサッカーの環境は恵まれていると個人的には思う

ピッチを眺む

サッカーを現地で観戦するときにとても感動的になる場面がある。それはゴールが決まったときでも勝利のホイッスルが鳴らされたときでもなくスタジアムのゲートをくぐり視線の先に大きなピッチが広がっているときだ。現地でしか味わうことのできない感動。これは日本に住む我々にとってJリーグならではの光景だと思う。バックスタンドには熟者が集まり選手を鼓舞するというよりは個人個人が思い思いに楽しんでいるのだがゴール裏では勝利を望むサポーターが団結している。映像からではわからない部分が現地にはある。それはJリーグが持っている唯一無二の非常に価値の高いものだ。たくさんの会場にいって多くのサポーターと出会って、クラブを応援するということの偉大さを感じてきた。彼らにとってチームはなくてはならないものなのだ。弱くて勝てないチームだと応援をやめたくなることがあるそうだが結局試合結果は気にしてしまうしスタジアムにはサッカーに不満があっても足を運ぶ。それがサポーターなのだ。表面上のアプローチした結果のファンとは少し違う。彼らにとってスタジアムは仲間との、家族との、恋人との、思い出の場所なのだ。初めて行った日のことは絶対に忘れないだろうし、あの興奮は一生ものだろう。自分も初めてのJリーグ観戦は親に連れて行ってもらったことがきっかけだし子供が多く集まる会場は活気にあふれ嬉しくなる。サポーターは毎年出される新たなユニフォームをすぐに買い、横断幕やゲートフラッグを掲げ選手を支えるその姿は尊敬する。結局Jリーグが大切にしなくてはいけないのは地域との結びつきなのだと感じる。もちろん興行なので利益を求めて行動することはあるだろう。それでも上の人には地元との関係を忘れてほしくない、無視してほしくない。手を握りしめ祈るようにピッチに目をやる老夫婦の顔が僕は忘れられない。ゴールのよって揺れるスタジアムも忘れられない。苦しい時間を過ごした末の感動的な勝利も体感してきた。サッカーは人生を映し出す。たった一瞬の美しさのために応援する僕らもまた美しいのだろう。

あとがき

MY FOOTBALL論と銘打っておきながらなんだか不満や現状の課題を羅列したような文章になってしまったが自分の中でもこうしたいというアイデアはある。しかしそれを実現させるための知識も地位も能力も兼ね備えていない僕にはこうして与えられたフットボールを消費して浅く読みとることしかできない。でもいつか日本サッカーが向上しW杯でベスト8以上を勝ち取るためになにかできることが1つでもあればいいなという思いで、自己満足で、自分の大部分を占めるサッカーについて考えた。でもスタジアムに入るとそんな小難しい話はどうでもよくなる。夢のような非日常を体験できる場所が、心のよりどころが、近くにはあるのだから。