左サイドバック

自分はサッカーを見る専門の人間だ。しかし1回だけサッカー部に所属していたことがある。それは小学校高学年のことである。正直小学生の経験を部活としてカウントしていいのかは疑問だが大会にも出場したしそこそこしっかりとサッカーに打ち込んでいた。
4年生はサブグラウンドのようなところで1対1をひたすらやり5年生からはボールを動かす練習をした。そんなとき自分は6年生のほうの練習に呼ばれた。5年生から選ばれるのは5人ほどで周りはほとんどサッカーを外部で習っている人ばかりだった。自分はサッカーを見てはいたが習っていたわけではなかった。少し緊張しながらも上級生との練習が嬉しかった。左利きというだけで自分のポジションは左サイドバックになった。
内容は3対3でセンターに1人、両サイドに1人ずつが配置され攻撃側の3人が連動的に動いていく。今考えると小学生の割に本格的な練習をしていたのだと実感する。練習試合をしたときセットプレーの守備で自分はニアのポストに位置取った。理由はJリーガーがよくそこに立っていたから。なぜそこにいるのかは考えず見よう見まねで勝手にポジションについた。するとまんまとボールが自分の方向に飛んでくる。あの時頭に感じた衝撃はいまだに覚えている。あれほど強いボールを受けたのは始めてだったしヘディングもほとんどやってこなかったのでサッカーの怖さを感じた。
6年生になりポジションが左サイドハーフに変更になった。サイドバックができるほどスタミナもなかったし致命的なことに浮き玉のクロスを上げることができなかった。元々攻撃的なポジションのほうが好きだったのでかなり浮かれていた。システムは442。ディフェンスラインはスイーパーが1人いて中盤はひし形という特徴的な配置だったが自分の学校ではこのシステムがなぜか伝統となっていた。
最初で最後の大会当日。なんと当日になって自分は再び左サイドバックを務めることになった。11番は伝統的に左サイドハーフの番号だったのに5番の人に左サイドハーフのポジションを奪われた。さらに自分はかなり戦術的なことを叩き込まれた。サイドから攻撃をするときはサイドハーフが内側に流れてサイドバックがオーバーラップをして人数をかけろ。そしてその時逆サイドハーフはディフェンスラインに落ちてスライドし4枚の最終ラインをキープし続けろということだった。戦術に疎かった自分は言われたことをそのままするしかなかった。しかし試合が始まってみると前にいたサイドハーフの選手がボールを持つと内側ではなく縦に突破してしまった。これでは自分はオーバーラップができない。ベンチからは走れという声が飛んでいるのだがスタミナがない自分は回ることができなかった。そして自分が交代したあとチームは劇的な勝ち越しゴールを決めて1勝をあげた。続く2戦目は相手に押し込まれ続け自分たちはほとんどボールを持たせてもらえず結局自分のサイドから失点を許し敗北。この結果引退となった。その後の引退試合で自分はトップをはりゴールを狙ったが決められずサッカー部を引退した。
その後公園などでボールを蹴ることはたくさんあったが本格的にチームで勝利を目指して戦うということは小学生以来一切なくなった。だからこそ心残りはあるけど自分はサッカーを見るという立場で楽しむことに専念したのであった。
日本のサッカー教育は欧州と比べて劣っているとよくいわれる。それは確かにそうかもしれない。しかし案外振り返ってみるとそこそこしっかりと戦術的な話を教え込まれていた。案外なんでもないような小学校でもサッカー教育はされていた。そんなことが言いたくて今回こうして過去を見返してみた。人それぞれにサッカーに対する物語があるのだということを思いながら今週末のJリーグ開幕を楽しみたい