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3-4 文字が生んだ「わたしたちらしさ」は、着せ替えることで健やかになっていく

「あいうえお」に「カキクケコ」。それに1,000の漢字。君たちが小学校で習ったこれらの文字が、日本語の読み書きの基礎をつくる。現代では、それが1億2000万の人に共有されていて、日本語ということばが成り立っている。

発明されたころは一部の人にしか扱えなかった文字が、5000年の時を経て、多くの人にことばを表す道具として使われるようになった。最初は絵のようにいくつもの解釈が可能だったけれど、段々とシンプル化されて意味の範囲が狭まっていき、誰にとっても同じような意味でお互いに理解できるようになったからだ。

🐏では「ヤギ」と受け取る人もいるかもしれない。でも🐏が「羊」や「ひつじ」と書かれるようになれば、「なるほど羊なのか」と理解することができる。こうやって文字は単純化され、それに連れて文字で表現される内容にも変化が起こるようになった。

はじめのころの文字は、物やお金や土地のやり取りを記録するタンパクな手段に過ぎなかった。けれど、時代を経て人々は、喜びや驚きや悲しみといった感情を文字で表現するようになって、詩や物語のような創作も行われるようになった。

最初は「ゆうちゃん、150円、クリームパン」(≒ゆうちゃんは150円でクリームパンを買いました)と簡単なメモ程度だったのが、「150円で買ったクリームパンのクリームがおいしすぎてウキウキしたゆうちゃんは、その日、パパにシュークリームも買ってもらい、うれしく過ぎてカスタードクリームの夢を見るほどでした」と書けるまでになったというわけだ。

そうしていくうちに、同じ文字とことばを共有する人々の間には「わたしたち」という連帯感覚がめばえていく。しだいに「わたしたち」は、生き物が「わたしは、他の誰ともちがうわたしなの」をやり続けて「わたしらしさ」を追求するのと同じように、「わたしたちらしさ」を求めて、「わたしたちは、他の誰ともちがうわたしたちなの」をアピールするようになる。

生き物にはいろんな種類がいて、それぞれ独自の「わたしらしさ」は尊重され、お互いの違いを認めながらうまいこと共存し、地球全体の生態系のバランスが保たれている。たとえば、君は腸内にたくさんの細菌に住み処を提供していて、代わりに健康なうんちを生産してもらっている。クマノミはイソギンチャクに新鮮な海水を送る代わりに、敵から守ってもらっている。

今までなんどか話してきた「国」も「わたしたち」の代表選手だ。多くの「わたし」が国という「わたしたち」をまとって生きている。歴史を振り返ると、これまで途方もない数の国ができては滅び、できては滅びを繰り返しながら、現代の世界ができあがったことがわかる。言い換えると、世界の歴史は「わたしたちらしさ」の見せつけ合いの繰り返しでもあった。

「国」という生き物も「わたしたちらしさ」を求めるのであれば、同時に他の「わたしたちらしさ」も大切にするのが生き物の世界のマナーだけど、残念ながら、どうやらまだそこまではうまく到達していない。

その一方で、現実空間でも仮想空間上でも、国とはまったくかたちのちがう「わたしたち」のコミュニティがいくつも存在している。たとえば、ピカチュウを愛する人たちは、国の違いを問わずポケモンストアに集まって交流しているし、VRの世界には、現実の外見や性格に限定されない「別キャラ」のアバター達が通って学び合う学校もある。

こうやって、いろいろなタイプの「わたしたち」の集まりが広がり、「わたし」はいくつもの「わたしたち」の間を行ったり来たりして、何通りもの「わたしたち」の可能性を体験していく。この「着せ替え」体験の広がりは、「国」の「わたしたち」に寄りかかるアンバランスを補修してくれるかもしれない。

君は将来、どこでどんな「わたしたち」をまとっているのか、パパには予想もつかない。けれど、自分とは背景や考え方がまったく異なる人たちがつくっている「わたしたちらしさ」にも、優しく気を配る気持ちを持ち続けてほしい。

参考文献
長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会(2000)
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』倉骨彰訳、草思社文庫(2012)
小林登志子『シュメル―人類最古の文明』中公新書(2005)
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』柴田裕之訳、河出書房新社(2016)
松岡正剛『情報の歴史を読む 世界情報文化史講義』NTT出版(1997)
岡本裕一朗『哲学と人類哲学と人類 ソクラテスからカント、21世紀の思想家まで』文藝春秋(2021)
佐藤航陽『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』幻冬舎(2022)
平野啓一郎『私とは何か――「個人」から「分人」へ』講談社現代新書(2012)

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