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3−3 「記憶」を「記録」する外部の頭脳ー「文字」は大河の洪水から生まれた!?

「みっきーまうすの、おうたをうたったの」、「どっすーんして、えーんしちゃったの」。幼稚園のころ、君はその日あったできごとや先生に言われたことをよーく覚えていて、家に帰ると詳しく報告してくれていた。

休みの日には、パパとサンリオグッズの自販機を「ピー」って押して、デカイ「けろっぴ」のぬいぐるみを取ったのがうれしくて、何日経っても、そのときの話を繰り返していた。

パパも君が生まれた日のことは、初めての泣き声から真っ赤なまんまるい顔、空の色と月のかたちまで、今でも鮮明に覚えている。ママもきっと同じはずだ。

このように、人にとって大切なできごとは頭のなかに鮮明に記録され、色あせることがない。

けれど、数十年、あるいは百年を超える人生の全場面をすべて覚えている人はいない。他の人と交わした会話や、世の中で起きたこと、これらすべてを記憶するのは、どんな天才の頭でも不可能だ。

だったら、なんとかして記録することはできないか。そういうアイデアから、人が発明したのが「文字」だった。

最初の文字は紀元前3,000年頃(今から5,000年くらい前)、メソポタミア、つまり今のイラクのあたりに住んでいたシュメール人によって発明された。メソポタミアとは「川の間」という意味で、この地域には2つの大きな川が流れていた。人類史上初の文字がどうしてここで生まれたのか。それは、この大河と大きな関係がある。

2つの大河は、この地域にひんぱんに大洪水をもたらした。シュメールのことばでは、「突然」は元々「洪水」を意味するから、前ぶれなく何度も洪水に襲われたことが容易に想像できる。この地域を発掘した調査では、小学校のプールの深さの倍の泥土が積み上がった地層も発見されているくらいだ。

洪水のたびに荒れた土地を整え直すのは、お砂場遊びとは比べものにならない重労働だったけれど、ひとついいことがあった。川が運んだ泥土にはたくさんの養分が含まれていたから、洪水の後の土では作物がよく育った。それに、この地域は乾燥していて雨が少ない気候だったけど、だんだんと川の水をうまく利用する技術も発展していって、おかげで「バタコさんの小麦」もすくすく育っていった。

食物の収穫量が増えると人口が増える。すると、生活をともにする集団のサイズが増える。これらの集団はやがて「国」というしくみを生み出した。これが前回までのお話だったね。

国のような社会では、住人同士の交流の機会は激増し、パターンも複雑化していく。だから、人々の記憶だけに頼っていては、国を運営できない。そこで、記録することのニーズがいっきに高まった。

お友だちにアンパンマンのおせんべいをあげるくらいでは、わざわざ「おせんべいを○○時○○分に▲▲ちゃんにひとつあげました」っていう記録を残す必要はない。お友だちが「ありがとう」と言ってくれたら、それだけで十分だ。でもたとえば、遠足代を払ったはずなのに、「払っていません。遠足には行けませんね」と先生から言われてしまったら、君も残念なことになるし、パパも困ってしまう。もしこれが、先生に5,000円札を渡しただけの支払いだったとすると、先生の記憶違いかもしれないし、パパが本当に払うのを忘れたのかもしれない。

いずれにしても、証拠がないから、それ以上どちらが正しいのかを証明するのは不可能だ。そういうことがないように、現代ではお金の支払いに対して、記録が残るようになっている。君が好きなサミットや、うさちゃんのお店のレシートもそのいい例だ。お互い、間違いのないように記録に残す。これが文字のはじまりだった。

最初のころの文字は絵のようなもので、ものの名前や数など、単純な要素だけを表した。むしろ、君たちもよく使っている絵文字に近いかもしれない(ちなみに、今絵文字はemojiとして、世界中に知られるようになった)。いずれにしても、シンプルな記号のようなもので、みんなの話し言葉を文章にして記録する、なんてことまではできなかった。それに、まだ紙もなかったから、文字は粘土板に刻まれた。粘土の材料となる泥なら、洪水のたびに川の上流から運ばれてきたので、そこらじゅうにあった。紙は焼けてしまうと残らないけど、粘土板に刻まれたものは強い。5,000年の時間を超えても、何が書かれていたかがわかるほどに保たれている。そうやって書かれた文字は、大半が物やお金のやり取りに関する伝票のようなものだった。

もちろん、すべての文字が解読されているわけじゃないから、いろいろな解釈があるけれど、「バタコさんは小麦●●kgを収穫して国に納めました」とか「この家はジャムおじさんのものです」とか、そういうことが記録されていたと考えられている。さっき言ったレシートと、本質はまったく変わっていないね。

現代の日本では、とてもありがたいことに、ほぼすべての人が文字を読めるけれど、発明されたばかりの文字はそうではなかった。だから、読み書きを専門にあつかう仕事、「書記」が生まれた。「書記」とは文字どおり、書き記すという意味だ。彼らは、税として王様に差し出された羊の数を記録したり、王様が決めた国のルールを書き留めて本にしたりした。ちなみに、王様本人でさえ、読み書きはできなかったというからおもしろい。書き物をごまかして、給料をちょろまかしていた「ばいきんまん」みたいな家来もいたかもしれない。

ところで、書記も食物の余剰のおかげで生まれた仕事だった。余った食料の話は、ここに書いたけど、お腹をみたしてくれる食料があったおかげで、書記も文字の読み書きに専念することができた。

最初は書記だけの特権だった文字も、時代を経るうちにだんだんと単純化されていった。たとえば、最初は🐏と書いていたものを、「羊」「ひつじ」と書くようなものだ。学校でも教えるようになり(君たちがやるのと同じように、メソポタミア の学校にも「あいうえお」や漢字の書き取りの訓練があったみたいだ)、文字は書記以外の人々にも広まっていく。その結果、国のルールづくりもだいぶ円滑になって、法律や政治など、国の秩序を支える制度が整っていった。

洪水でもたらされた泥と大河の水のおかげで農業生産量が爆増し、人口が増えて国ができた。たくさんの人々が共に暮らすなかで、記憶に頼らない手段として、物やお金や土地のやり取りを記録するために文字が生まれた。そしてそれらは、5,000年経った時代の人でも読むことができる。文字に記録することで、言語は時空をやすやすと超えられるようになった。大昔の人が書いた記録が読めるのも、会ったことのない地球の裏側の人が書いたブログが読めるのも、今パパがこのお話を君に届けられるのも、すべて文字があるおかげだ。情報は文字に載せられることで、キリなく爆発していった。

次は文字が生まれてから、現代までにたどってきた道のりについて、話してみよう。

参考文献
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』倉骨彰訳、草思社文庫(2012)
小林登志子『シュメル―人類最古の文明』中公新書(2005)
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』柴田裕之訳、河出書房新社(2016)
眞淳平『人類の歴史を変えた8つのできごとⅠ――言語・宗教・農耕・お金編』岩波ジュニ文庫


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