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NHK『うたコン』(2021年10月12日)を観て

テレビらしさ

『うたコン』はふつうに好きな番組だ。
毎週、必ず観るほどのファンではないが、気が付けば観ている。
おそらくそのような観方をされることじたいが、スタッフとしては「我が意を得たり」ではなかろうか。

―マニアックなファンなど要らない。でも平均的なふつうの国民が、ふつうに「お茶の間」で、何か他のことをしながらでかまわないから、観てくれたら、それでじゅうぶん嬉しい。でも、もしも数十分間の放送のなかで、その何かをしている手をちょっとだけ、たとえ五分でも休めてもらって、テレビの画面を見つめてもらえたなら、チョーサイコーに嬉しい。-
そんな、スタッフの意気込みを感じる。

実際、テレビらしさにこだわった番組づくりである。
だから生放送にこだわるし、歌のラインナップは意外性と多様性にみちている。
僕のスマートフォンの「あなたへのおすすめ」には絶対登場しないリストである。

あまりにも多様なので、観ている僕の気持ちも、ときにじーんとしたり、ときにわくわくしたり。かなしくなっちゃったり、はしゃいじゃったり。


昭和歌謡

先日の放送もすごかった。
のっけから菅原洋一さんである。うぎゃ、お元気だ。うぎゃ、ちゃんと声がでている。すごーい。
引退なされてもおかしくないお年なのに、自分自身の歌に対する思い入れはお強く、僕はそこに人間の業にも似た何かを感じた。

そのあとに登場なされた宮本浩次さん、石井竜也さんの昭和歌謡も奥の深いものであった。
オッサンたちがただナツメロをノスタルジックに歌っているのではないのだ。
たんなるカバーではない、オリジナリティがあった。
自分がかつて感動したものを探す自分探しの旅、
古き良きものを後世に伝えていきたいという想い、
古いものから新しいものを生みだしてやろうという野心、
それらがないまぜになって、僕の胸にまでやってきた。

また22歳の女の子がギターをかっこよくガンガンひいて歌う「みずいろの雨」にも、拍手してしまった。
僕の気持ちは、孫娘を見守るおじーちゃんのそれである。がんばって!

そして再発見させてもらったのは、「氷雨(ひさめ)」の歌詞だ。
NHKの歌番組では歌詞が字幕で流れる。
おかげで、受動的にただたんに歌に身を任せて聞き流すのではなく、能動的に歌を読んで批評できる。
そして思った。なんてすごい歌詞だろう。
日本語だけだ。日本語しかない。
カタカナに頼っていない。「アイ・ラブ・ユー」も「アイ・ニージュ・ユー」も「ブルー・シャトー」も「ドルチェ・アンド・ガッバーナ」も出てこない。それにくわえ、音読み漢字熟語も出てこない。
「氷雨(ひさめ)」はとことん日本語にこだわっているのだ。
「飲ませて下さい、もう少し。今夜は帰らない、帰りたくない」。

番組では、その後、可愛らしいお嬢ちゃまたちが登場。
器械体操を披露してくれました。とてもお上手。北朝鮮の軍事パレードよりも、ずっと統率がとれていて、見ごたえがありました。たいそう練習をつまれたのだろうなあ、その練習の裏でさぞかし多くの涙と汗が流されたのだろうなあと、おもいはかることができました。お仕事、お疲れさまです。

そして締めはCharさんの、モノホンのロックンロール。
その迫力に、圧倒され、魅了された。
金色に光る音のシャワーを浴びた気がした。


蛇足

素晴らしい秋の夜をありがとうとNHKさんに感謝したい。
ただ、ひとつだけ。ごめんなさい。ひとつだけ。
単刀直入に―。
サブタイトルをもう少し工夫しませんか。

10月12日のサブタイトルは「昭和歌謡に恋して…秋」でした。
「恋」「愛」「夢」「情」、そして「春夏秋冬」は、何と申しますか、あのう、どうも、あまりにももう、それ過ぎると思われるわけでして、はい。

例えば「夕暮れ二丁目の昭和歌謡をもう一度」とか、
「逆襲の昭和ソングスZ、カシオペヤ革命編」とか、
「マジカル昭和ポップス、マロンちゃんとトゥギャザー」とか、
「昭和シャンソンが転生したら濡れ落ち葉だった件」とか。
(あ、すみません。僕、コピーの才能、ありませんね。でも他にもっと良いのがあると思うので考えてみてはいただけないでしょうか。)

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