#勇気
「勇気に欠ける人々は、それを正当化する哲学をつねに見つけるだろう。」(アルベール・カミュ)
何故、逃げ隠れするのか。
弱いからではない。
卑劣だからだ。
「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」と、逃げたからこそ生き延びることができたと、はしゃぐ連中は、品位に欠ける。
「勇気を必要としない幸福も、戦いを必要としない徳性も、存在しない。」(ジャン=ジャック・ルソー)
「やさしい社会」を説く人々が嘘くさいのは、戦う文化が軽視されているからだと思う。
むかしは「どこにでもいるふつうの女子高生」岡ひろみだって、コートでひとりぼっち、戦っていた。
「勇気、それは自分の人生を理解することである。勇気、それは生を愛し、死を静かな眼差しで見つめることである。勇気、それは理想を求め、現実を理解することである。」(ジャン・ジョレス)
夢しか見ないのも、現実しか見ないのも、卑怯者。
写真は、カボチャのスープ。満月みたいでしょ。
「自殺!しかしそれは力尽きた人々の力であり、もはやなにも信じることができない人々の希望であり、打ちのめされた人々の崇高な勇気である。」(モーパッサン)
怠惰に状況に身を任せる日和見主義者になるのでもなく、自らの弱さをウリにするのでもない、ホンモノの弱者がそこにはいるのかも。
「卑怯か暴力かといった選択肢しかなければ、私は暴力をおすすめする。」(ガンジー)
「非暴力のガンジー」も、卑怯者はサイテーだとさ。
勝つか負けるかではなくて、如何に高潔に戦うかが、大事なのだよ。
権威に依存せず、陰に隠れず、巨大な敵と対峙するとき、正義が生まれるのでは。
「卑怯とは、状況に身を任せることである。」(マルチン・ルーサー・キング牧師)
「ことなかれ主義」「日和見主義」の傍観者が罪深いのだ。
「時代の流れ」や「組織」や「大衆社会」のなかに逃げる連中こそが、卑怯者なのだ。
逃げも隠れもせず、抵抗する勇気こそを、尊ぼう。