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「ワタシ」は「ワタス」存在。

10年前のメモに。

昨日、NHKラジオから聞こえてきた言葉。
「ワタス」
自分のことを指す「私」を「わたす」と言うのが好き、と。そう言ってたと思う。
その人の言いたいこととは違うかもしれないけど、
「私は渡す存在なんだ」
というメッセージとして受け取った。
自我のカタマリ、私。
それが実は「渡す」存在である。
「ワタシ」は「渡し」と同じ音を持っていたことにあらためて気づいたのだ。
同じだったんだ!

大きな「意識」を持つネットワーク全体において、私はその中の1つの伝達経路に過ぎない、と思ってきた。
人類全体の歴史や、今この瞬間の世界的な視点で見れば、ちっぽけ過ぎて、いてもいなくても変わらないかもしれない。
でも、なにかを受け取り、私を通してしか伝わらない何かを、次へ渡す役割があるのだ、きっと。
「ワタス」とラジオから聞いたことをこうして言葉にするように、ね♪

2014-09-17の手帖より

ほぼ10年前、ですね。

今の職場でも「現・社長」から「次期・社長」へ「渡す」タイミングでの入社で、みんなでコツコツ片付けながら、次世代が働きやすい環境を通常業務の合間合間に少しずつ整えているところ。

独身で子どもがいない私にとって、次世代へのかかわり方は、こういった片付けを通して、親世代の大量のモノの取捨選択に尽きるでしょう。

職場といえども「親世代」と「子々孫々」という関係性は一緒なので「これはデジャヴュ!?」かと、他人事と思えない状況の連続😅

15年前にも数ヶ月働いた経験があることで、現・社長や親世代への思い入れやリスペクトも人一倍強く、私でなければこの熱意は出せないかもしれません。

ワタシはワタス存在。
あらためて、そのことを胸に刻み、職場でも自宅でも片付け頑張りたいと思います。

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