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更年期は“女の冥界くだり”その果てにみえてきたものは…vol 2

先日、noteにupした記事の続き。

https://note.com/seico1005/n/n8d20a39b4619

これまでの働き方は(男性性の使い方という方がしっくりくる)
興味が赴くままにクンクンと匂いをかぎつけ、あまり後先のことも考えず、

すぐにgo!行動あるのみと、前に突き進んできた。足りないものがあれば、
情報を血眼になって探し求め、
みつけたらみずからの足で取りに行く。そして自分で試してみて効果を実感できたことについては
まわりの人にその体験についてを話しをする。そうすると自然に
「それやってみたい」「教えてほしい」という人が現れ、言葉として発することが収入につながっていた。

そんな風でもなんとか生きることはできていたし、このようなやり方も当時は楽しかった。
全国各地をまわり、新しい人と次々と出逢い、退屈しない日々。


“好きなことを仕事にする喜びと、自分が話すことを求めてくれている人が存在している”
という甘い
蜜みたいな幻想が、
飢えた承認欲求を満たすことで、“持ち前の活力”となっていたのだろう。

しかしながら、
体がライフステージが変わるということを少しづつ
訴え始めた7.8年ほど前から

「もっと自分の暮らしを大切にしたい」という小さな小さなささやきが内側から聞こえはじめた。

“Workaholicなシングルマザー”で
家庭を顧れていなかった為なのか、早々と子どもたちが自立してくれたタイミングもかさなり、
便利のいい街での暮らしを手放し、

住んでいた街からさほど時間をかけずに、大きな鉄筋でできた橋を渡れば、
のどかな田園風景と青い海にかこまれた島へと移住する。


14歳からアルバイトに明け暮れ、20歳で企業もどきをしてみたり、
いちどめの結婚後、上の子が3歳になるまでの専業主婦時代を除くと
まさに、止まるとエラを塞ぎ息をすることができない、マグロやカツオのように
たちどまることを許さない生き方をしてきたのは
働くこと、お金を稼ぐことでしか
自分の価値を見いだせていなかったから。

そんな生き方をしてきたわたしが
ここに住みはじめた頃、ピタリとたちどまってみたことがある。

この当時はまだ、
根深い自己否定があるということはわかっていても
握りしめた手をゆるめて解く方法がわからなかった。

会社と店を手放した時に抱えた、借金をまだ多額に返済していたにもかかわらず
巷によくある、根性試しのバンジージャンプのように
恐る恐るたちどまってみた。

寝たいときに眠り、起きたいときに目覚め、食べたいときに食べたいものを自分のためだけに手間をかけて料理し、ゆっくりと味わって食べる。
大好きな本を読み、数分歩いたらいつでもそこにいてくれる、海で夕日や朝日を好きなだけながめた。

仕事のツールでもあった、クレイ(粘土)を使い、長年、置いてきぼりにしがちにしてきた
体を念入りにセルフケアし、体の声に耳をすましてみる。

生まれてはじめて
自分を丁寧に扱ってみた。

そんな時期を3ヶ月間ほど過ごした後、そろそろまた人と関わってみたいという欲求が
湧き上がってきた。

そしてぼちぼちと仕事を再開しようと思いたち、
いつもの街へとむかう橋ではなく
向こう側の橋を渡り、小さなマルシェに出店するために車を走らせた。

その時にいまのパートナーに出逢うことなる。

この運命的なの出逢いと
“更年期”というライフステージの変わり目が、
歪み卑屈になったままになっていた女性性を本当の意味で救いだす。

inner men'〜内なる男性性〜を立ちあげるための扉を開く鍵となる。

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