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第470回【筋トレ日誌 その他日々是】461(2022/8/19)▲▲末ついに海となるべき山水も しばし木の葉の下くぐるなり ▲▲

かつて田中角栄は
好んでこの一説を色紙に書いたという。


末ついに海となるべき山水も
しばし木の葉の下くぐるなり


大きな海に漂う水も
元をたどれば山から湧きあがってきた水であり、
しばらくの間は木の葉の下をチョロチョロ
流れるような存在であったのだ、
と言った意になるだろうか。


今は非力な存在であっても、
いずれは大きな力を身につけ大海のようになる。


越後田舎から出てきて、
叩き上げで世の中を変えようとした
田中角栄が好みそうな言葉である。


しかし、
何も田中角栄のような大物に限った
人生訓の言葉というわけでもないだろう。


今は名もなき存在であっても、
いつかは俺も!私も!でも
良いのではないだろうか。


そういえば井上靖の『あすなろ物語』という作品にも
似たような一節があったな、と。
あすなろ=翌檜と書くが、
明日には檜にはなろうと願うもなれない
悲哀を謳った物語、という事になるが、
作品の中で
『あすなろは、一生懸命に明日は檜になろうと
 思っているでしょう。
 貴方は何にもなろうと思っていらっしゃらない』
というセリフがある。


そう、結局は思わなければ始まらないのだ。
思いもすらしないことが実現することなど
絶対にあり得ないのだから。

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