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自粛自戒ということば

じしゅく じかい
この、一つ一つの単語は一見すると
ものすごく厳しい言葉のように感じる人が
多数ではないかと思っている。
(あくまでも、わたしの主観によるもの)

広辞苑によると
「自戒」  自分を戒めること
「自粛」  自分で自分の行いを慎むこと
 
戒めるとは
過ちのないように注意すること
繰り返さないようにすること

慎むとは
耐えしのぶこと、用心すること
自分をコントロールすること        らしい。


いま現在、生まれたものの一生には必ず終わりがある
そこから、逃れることはできない
どんなに科学や医療、人間の脳が発達しても、ほんとの意味での
不死はないのではないか、と思う。

〜生まれた瞬間から、
            終わりへ向かって進んでいく〜

そのことは、この世に生を受けた瞬間から
実は皆知っている
                         (と、常日頃思っている)

なので人生は基本的には、苦しいものである。楽しいことがいっぱいあるとしてもだ。


でも、
いやだ、いやだと、ひたすら苦しむのか
反対に「自粛自戒」という言葉のように
自ら進んで苦しみをぐっと受け入れて、前向きに進んでいくのか
どちらが長い目で見ていいのかは、
ある程度大人であれば痛いほど分かると思う

(少し話を戻します)
このような、一見厳しいと思えるような先人が創りあげた言葉でも、

自分や、身近な人の"喪失感"を、少しずつやわらげてあげるような
春の陽だまりのようなあたたかさを感じる。



空いてしまった穴、ついてしまった傷は多分元には戻らないんだろう
しかし、それらを徐々に癒していくことばの力というのは、すごくはかり知れないほどの威力があるのではないだろうか
言霊っていうのは、ほんとにあるんだろうなぁとおもう。

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先月、祖父の命日があったもので少し考え事をしていたわたしでしたが
このどうしようもない気持ちを書くことで、
整理できたらとおもい、このnoteを綴りました。

祖父は晩年耳が遠く、わたしが言ったことがわからなかったりしてショックを受けたこともありました。
ただ、祖父は耳が悪くても、
いつも私と目をしっかり合わせて向き合ってくれていたことを、思い出しました。

もう、祖父に会えないことが
たまにちょっとしたきっかけで、ボディーブローのように効いて、悲しくてしょうがなくなるのです。

だから、
わたしの耳がしゃんと聞こえるうちに、声を出せるうちに、視えるうちに、
いま目の前にいる大切な人たちを大切にできるよう、余白を意識的につくろう。
余白をカラフルな思い出でいっぱいにして、
私とまわりの大切な人たちが人生を終える瞬間に、
「あぁ自分の人生なかなかわるくなかったなぁ」
と思いたい、思わせたい。
そんなふうに考えています。


じいちゃん、なんて言ってるかはわからんかったみたいやけど、
おとは聞こえてたんやないかなぁ〜
耳が遠いからって話しかけない、ってことは絶対やらない、やらないでおこう。

自ら進んで受け入れるならば、
苦しいことはそれなりに、
楽しいことは沢山になるでしょう


(時たま、くよくよする自分に自戒を込めて)




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