【テキスト版】巻2(3)西光斬

比叡山の大衆が、明雲座主を奪還したということを聞き、後白河法皇はたいへん不機嫌になっておられた。そこに西光法師が来て「昔から比叡山の大衆は不満があれば暴力に訴えるということはよくありましたが、今回のことはもっての外、やり過ぎでございます。よくよくご判断なさいますよう。これをお見逃しなされば、法皇さまの世も安泰ではございますまい。」と申し上げる。

今にも我が身が滅びようとしているのに、それも気にせず、日吉山王大師のご神託があったにもかかわらず、このようなことを申し上げて法皇さまの心を悩ませるというのは、「讒臣は国を乱す」という言葉どおりのことである。「草は茂ろうとするのに秋の風がそれを邪魔し、王が世を明るくしようとするのに讒臣がそれを暗くする」という言葉も、このようなことを言うのであろう。

後白河法皇が、新大納言藤原成親卿を始め、側近たちに命じられ、比叡山を攻めるという噂が流れると、延暦寺の大衆の中には「法皇さまに背くのはまずかろう」と山を下りる者も出始めた。しかし、法皇からの処分は出ることはなかった。

成親卿は、この延暦寺の騒動によって、平家打倒の陰謀を中断しなくてはならなくなっていた。下準備はあれこれしていたのだが、この謀反が成功するようには思えなかったので、あれほど成親卿に頼られていた多田行綱も、無駄なことだと考えるようになり、成親卿から贈られた布で家臣たちの着るものはあつらえたものの、「平家の隆盛をいろいろ見てみても、今の状態ではたやすく衰えるとは思えない。むしろ、この陰謀が漏れてしまうと、俺はまず殺されるだろう。他人の口から洩れる前に、俺が寝返って生き延びるのが得策だ」と思うようになっていた。

そこで、多田行綱は清盛の邸に出かけ「清盛さまに直接お話したいことがございます」と言う。「普段来もしない者が何事だ」という清盛に、多田行綱は「昼は人目が多いので、こうして夜に紛れて参上いたしました。近頃、後白河法皇のお近くの人々が軍備を整えておられるのを、どうお聞きでございましょうか」

清盛が「それは後白河法皇が比叡山を攻める準備だと聞いておるが」と答えると、多田行綱は声をひそめて、「そうではございません。すべてこの平家一門のみなさまに関わることでございます」と言う。清盛が「それは法皇様も御存じのことか」と聞くと「すべて法皇様はご存じのこと。成親卿が兵を集めておられるのも、法皇さまの命でございます。平康頼がこう申し、俊寛がこう申し、西光がこう振舞って…」など、鹿谷でのことをすべてありのままに伝え、「わたくしはこれにて」と急いで退出してしまうのだった。

背後で清盛が侍たちを大声で集めている声がするのもおそろしく、多田行綱は逃げるように帰って行った。

その後、清盛は「平家を倒そうとする謀反の輩どもが京じゅうに満ち満ちておる。平家一門の人々に知らせ、侍どもを集めよ」と命じる。右大将宗盛や三位中将知盛はじめ、平家一門がみな侍を引き連れて馳せ集まり、その数は六・七千騎にもなった。

翌朝、まだ暗いうちに清盛は後白河院の御所に参上し、「新大納言成親卿以下が平家一門を滅ぼして天下を乱そうとする計画を企てております。残らず捉えて処罰いたしますので、後白河院さまはご干渉なさいませぬよう」と伝えさせる。後白河院はそれを聞き、「やれやれ、もう平家討伐の陰謀が漏れてしまったか。しかし、これはどういうことか」と言うばかりではっきりとした返事をしない。清盛は「やはり多田行綱の言っていたことは本当だったか。行綱が知らせてくれなければ危ないところであった」と、二百騎、三百騎とあちらこちらに走らせては、陰謀に加担した者たちを捕らえていくのだった。

清盛は家来を成親卿の邸に向かわせ「烏丸のお邸にお越しください。ご相談があるとのことでございます。」と伝えさせる。成親卿は我が身に起こることはつゆ知らず、「ああ、法皇さまが比叡山を攻めようとなさるのを止めたいという相談なのだろう」と、いつもより洒落た衣装で出かける。まさかこれが最後の外出になろうとは思いもしていないのである。

烏丸の邸に入ると、恐ろしげな侍たちがたくさん待ち受けていて、成親卿の腕をつかんで引っ張り、小さな部屋に押し込んでしまった。成親卿は夢でも見ているようで、何が起きているのかまったくわかっていない。お供でついてきていた侍も牛飼いもみな逃げ去ってしまった。

そうしているうちに、俊寛僧都や平康頼らも捕らえられて連れて来られる。西光法師は自分も捕らえられると思い、急いで後白河法皇の御所に向かう途中で平家の侍たちに出会い、縛られてしまった。

西光法師は、最初から鹿谷の陰謀に加わっていた者なので、特にきつく縛り、中庭に引き出した。清盛は、西光法師を睨みつけ、「憎いやつめ。こちらに連れて来い」と近くまで引き寄せされ、草履をはいた足で顔を踏みつけながら「お前らのような賤しい人間を、法皇さまがお召使いになれば、身分不相応なふるまいをするようになるだろうと思っておったが、天台座主を流罪にし、平家を倒す計画を立てるとは。すべてを正直に話すがいい」と言う。

西光法師は、顔色ひとつ変えず、せせら笑うように言い返す。
「たしかにそのとおりだ。だが、聞き捨てならぬことをおっしゃるものだ。そもそも身分不相応とは貴殿のことであろう。殿上人が付き合うことさえ嫌がった忠盛の息子が太政大臣にまで成り上がったことこそが、身分不相応なことであろう。」

その言い分に清盛は腹立たしく、口もきけない様子だったが、少ししてから「そやつの首は簡単には取るな。みっちり問いただして計画の実態を調べ上げ、そののち河原に引き出して首を刎ねよ」と命じたのだった。

西光法師はその後、厳しい拷問にかけられ、すべてを自白した。そうして、口を引き裂かれ、斬首されたのだった。

加賀守を解任された藤原師高、投獄されていた弟の近藤師経も同じく首を刎ねられた。

取るに足りない者が出世し、関わるべきではないところに関り、罪のない比叡山の座主を流罪にするなどの悪行を重ねてきたので、神罰を受けたのだろう。

【次回予告】
成親卿の処罰について、怒りが収まらない清盛ですが、そこで冷静でおだやかな長男重盛が活躍します。

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