【テキスト版】巻2(16)蘇武【スキマ平家】

前回までのあらすじ
鬼界島に流罪となった3人の中の平康頼は、千本の卒塔婆に歌を書きつけ海へと流した。それはやがて後白河法皇や清盛の目にも止まるのだった。

清盛が哀れに思うのだから、京じゅうの人がみな「鬼界島の流人の歌」といって口ずさむようになった。千本も作り出した卒塔婆なので、さぞ小さかっただろうに、薩摩の南の方からはるばると京まで伝わったのが不思議なことだった。思いが強いとこのような不思議なことも起きるのだろうか。

昔、漢の国王が胡の国を攻めようと多くの軍を遣わしたが、胡の軍は強く、漢の兵六千人余りが捕らわれてしまった。その中にいたのが蘇武という将軍である。捕らえられた兵たちは片足を切断されて放逐された。死んでしまうものがたくさんいたが、この蘇武という大将軍は死ななかった。

片足のない身になって、山の上に上って木の実を拾ったり野草を摘んだり、秋には落ち穂を拾ったりして命を繋いでいた。田にたくさん飛んできている雁も、もう蘇武を見慣れてしまって逃げることもなくなってしまった。そんな雁を見て「この雁たちはわが故郷へ飛んで行くんだなあ」と懐かしさのあまり、一筆したためて、「この文をきっと漢の王に届けておくれ」と雁の羽に結び付けるのだった。

さて、その雁は都にわたってきた。漢の昭帝が庭に出ていたとき、雁の一群が飛んできたのだが、その中の一羽が群れから離れて低く飛び、何かを食い切って落とすのだった。昭帝がそれを開いてみると「昔は洞窟に閉じ込められ、今は広い田の畝に捨てられておりますが、たとえ屍を胡の国に散らしても、魂はもう一度漢の皇帝のおそばに仕えたい」と書いてあった。

昭帝は「ああ、蘇武は胡でまだ生きているのだ」と百万騎を胡に差し向け、蘇武を漢に連れ帰ったのだった。

漢の蘇武は文を雁の羽につけて故郷に送り、我が国の康頼は波の便りに歌を故郷へ伝えた。蘇武は一筆、康頼は二首。蘇武は上代、康頼は末代、胡の国と鬼界島。場所も時代も違うけれども、思う気持ちに変わりのない、めったにないような事である。

【次回予告】
巻3に入ります。康頼が流した卒塔婆は人々の心を動かし、ついに許されることになりました。


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