【テキスト】和歌の技巧

こんにちは。紫式部です。

今日は少しマニアックになるけど、和歌のことについて、できるだけ簡単に説明したいと思います。

万葉集の時代は「素朴」で「雄大」な和歌がたくさん作られました。なんたって、奈良の大自然の中で生きてたわけだから、素朴で雄大な感じになるのは当たり前ですよね。

平安時代になると、生活がすっかり変わっちゃって、そう簡単に遠出もできないから、自分の邸の中にちっちゃい山作ったり、その山から滝を流して池に注ぎ込ませたり、その池に舟を浮かべてみたり、って、大自然から見たらちっちゃ!って思うようなミニチュアの大自然を庭に作って、自然の中にいるつもりになってたんです。

「胡蝶」の巻で、あ、本編ではまるまる省略してるけど、唐めいた舟を作らせて、そこに髪型を唐めいた感じにした子どもなんかを乗せて、「ほんとうに知らない国に来たようで」なんて言ってるのね。いやいや、でっかくても所詮池だし。

って感じで、いろんなものがだんだん小ぢんまりしてくると、和歌の世界もどんどん小ぢんまりしてきて、万葉の時代の人たちが「神に思いを届けたい!」「あなたに気持ちを伝えたい!」ってモチベーションで詠んでたのを「神に思いを届けたい、という体で」「あなたに気持ちを伝えたい、って言ってる感じで」みたいになってくるわけ。出会いだって、そうは言ってもパターン化してきてるわけだから。

シチュエーションがパターン化すると、何が起きるかというと「技巧」に走るのね。そこで「掛詞(かけことば)」とか「縁語(えんご)」ってのが出てくるわけですよ。

どれだけ、一首の和歌の中に、掛詞やら縁語やらを盛り込めるかってところに評価の観点がうつってくるわけ。

ちなみに、掛詞っていうのは、同音異義語的なやつ。「ながめ」って書いてあったら「長雨(ながめ)」と「眺め」の二つの意味が込められてるよ、ってやつね。縁語っていうのは、関連するイメージの言葉たち。「雨」なら「降る」とか「濡れる」とか。

末摘花は古風なお姫さまなので、例えば「玉鬘」の巻で
「着てみればうらみられけり唐衣かへしやりてむ袖を濡らして」
って歌を詠んでるんだけど、「唐衣」に関連する言葉が「着て」「うらみ」(裏を見る)、「かへし」(裏返す)、「袖」って、こんなにたくさんの縁語使ってるの。しかも、それが全部掛詞でダブルミーニングになってるから、現代語訳にしようと思うと、めっちゃ長くなるやつね。
「着てみれば、この唐衣の裏を見るようにあなたの気持ちの裏が見えてしまいます。だから裏返しにして返してしまいましょう。私の嘆く涙で衣の袖を濡らして」みたいな感じかなあ。

で、源氏の君に語らせてるんだけど、古い歌詠みは「唐衣」や「袂濡るる」って言葉から離れられない。帝の前なら「円居(まどい)」だし、恋のライバルは「あだ人」って言っておけ、みたいにパターン化されちゃってるのよね。「絆」って言っとけばみんなそこそこ感動する、みたいなモンかもね。

で、歌の作り方とか「歌枕」を集めてある本とかから良い表現だなって思うものをパクって使う癖がついてると、直らない。

そうなっちゃうと、オリジナリティなんかあったもんじゃないわよね。

そうそう、「歌枕」の説明もしとかなきゃ。和歌で詠まれてバズった地名、って捉えでいいと思う。で、行ったことなくても、その地名聞いたら雰囲気がわかる気がするってやつね。「パリ」って聞いたら行ったことなくても「おしゃれ」ってイメージあるでしょ。あんな感じ。「あなたを思うパリの夜の雨」なんて言うとシャンソンでも聞こえてきそうじゃない。「あなたを思うシリコンバレー」って言うと、「思う」の中身まで変わってきそうで。


近江の君の「特技」の説明のつもりの番外編だったけど、たどりつけなかったあ。また次回の番外編で。

紫式部でした。

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