【テキスト版】巻1(10)祇王【スキマ平家】

巻10 祇王

清盛は、天下をわが手のうちにおさめたので、世の人たちの非難や嘲りも気にせず振舞うようになっていた。

その頃、白拍子という、歌いながら舞を舞うという芸能が流行っていたのだが、その中でも京で評判の祇王と祇女という姉妹がいた。これは刀自という白拍子の娘であるが、清盛は姉の祇王を寵愛したのだった。それによって、妹の祇女や母親の刀自にも素晴らしい邸を作り、毎月百石百貫を支給してやったので、母娘ともども楽しい生活を送ることができた。

そもそも白拍子というのは男が舞うものだったが、やがて遊女が水干だけを纏って踊るようになった。現代で言えば、男物のワイシャツ一枚だけで踊るようなものである。

さて、京じゅうの白拍子たちが、祇王のことを聞いて、羨む者もあり、嫉む者もいた。羨む者たちは「同じ遊女ならば、あんな風になりたい」「名前に『祇』という文字をつけてあやかりましょう」などと言って、祇一だの祇二だの、祇福、祇徳などと名乗りはじめた。嫉む者は「名前なんかであやかれるわけないじゃないの。幸運だったのは前世の生まれつきだわ」と吐き捨てるように言うのだった。

こうして三年が過ぎた頃、京にまた白拍子の上手な遊女が現れた。名前を仏という。歳は16。これほど上手い舞は見たことがない、と京じゅうの評判になるほどだった。

ある時、仏御前は「私はこれだけ評判になったけど、まだ清盛さまのお邸には呼ばれたことがない。ちょっとこちらからお目通りをお願いしてみましょう」と言って、清盛の邸に向かうのだった。

召使いが「最近京で評判の仏御前とやらが参っております」と取り次ぐが、清盛は「遊女など、こちらが呼んだ時にだけ来ればよいのだ。ずうずうしく自分から参上するとはどういうことだ。神か仏か知らぬが、この邸には祇王がいるのだから、用はない。さっさと帰れ帰れ」とすげなく追い返す。

それを見ていた祇王が、清盛に「遊女が自ら売り込みにやってくるのはよくあることでございます。その上、まだ歳も若そうですから、思いついてやって参ったのでございましょう。それをすげなく追い返しになられては可哀想でございます。どれほど恥ずかしく思うことでしょう。わたくしもその道で生きてまいりましたので、ひとごととも思えません。舞や歌をごらんにならないにしても、ご対面だけなさってお返しになられたら、深いお情けとなるのではございませんか?」というので、清盛は、「そなたがそこまで言うのなら、まあ顔だけでも見てやろうか」

「あまりに祇王がおまえを哀れに思ってとりなすものだから、こうして会ってやったぞ。何か今様でも歌ってみよ」

仏御前は「承りました」と言って、今様を歌い始める。

見ていた人たちはみんなその声の美しさ、歌の上手さに驚いた。清盛もおもしろく思って、引き続き、舞も所望する。

仏御前は髪型も顔も美しく、声もよく歌も上手で、しかも舞も失敗することもない。清盛はたちまち、仏御前のとりこになってしまった。仏御前は、清盛が祇王をないがしろにして自分のところにばかり来るので、「わたくしは、祇王さまがお声をかけてくださったからこうしてここに居ることができております。このようにわたくしにばかりお情けをかけてくださっておりますのは、祇王さまに顔向けができません。どうぞわたくしにお暇をだしてくださいませ」と清盛に訴えるが、清盛は「祇王がいるのが気づまりであるならば、祇王に暇をだせばいいではないか」と言う。

仏御前はおどろいて、「どうしてそうなるのでしょうか。わたくしを留め置かれて、祇王御前にお暇をだされるなんて、そんな心苦しいこと……わたくしは、およびいただければいつでも参上いたしますので、どうかわたくしに暇をお出しくださいませ」と言うが、清盛は全く聞き入れず、ついに祇王を邸から追放してしまうのだった。

祇王はいつかこんな日が来るとは思っていたが、まさか昨日今日のこととは思いも寄らず、急いで身の回りの見苦しいものだけは片付けたものの、やはり三年もの間住み慣れた邸を離れるのは悲しくて、涙がこぼれるのだった。

実家に戻ってからもただただ泣くしかできない祇王を、妹の祇女や母の刀自が見て「いったいどういうことなの?」と問うけれども、祇王は答えることもできず泣くばかり。おつきの女性に訊ねて、やっとことの仔細がわかるのだった。

そうしているうちに、毎月支給されていた百石百貫も止められて、今度は仏御前のゆかりの者たちが優遇されるようになった。京じゅうの身分が高い者も低い者も、この話を伝え聞き、それなら自分が祇王と付き合えるのではないかと文を送ったり使いを立てたりするが、祇王はまったくそんな気になれるはずもなく、ただただ悲しくて泣いて暮らすのだった。

翌年の春、清盛から「その後どうしているか。仏御前があまりに退屈そうにしているので、邸に来て歌ったり舞ったりして慰めよ」という使いが来る。祇王は返事もできず、ただ泣くばかり。すると清盛から重ねて使いが来て、「どうして祇王は返事も寄こさないのか。来るつもりがないのなら、理由を述べよ。こちらにも考えがある」と言ってくる。

母親の刀自はそれを聞いて、祇王のことを可哀想には思うものの、泣きながら「祇王よ、このようにお叱りを受けるより、お返事をなさい」と諭す。しかし、祇王は涙をこらえて「参ろうと思っていればすぐにでもそうお答えします。けれども、参るつもりがないので、どうお答えすればいいのかわからないのです。こちらにも考えがある、と仰るからには、京から追放されるか、そうでなければ殺されるのか、そのどちらかなのでしょうけれど、わたくしは、京を追放されようとも嘆くつもりはありませんし、殺されても惜しい命でもありません。こんな形で捨てられて、もう二度とお会いしようとも思いません」と、やはり返事をせずにいるのだった。

刀自が重ねて言う。
「祇王や、この世に生きている限り、清盛さまの仰ることに背くことはできないのですよ。男女の縁のはかなさなど、今に始まったことではありません。千年万年を約束していても別れてしまうことだってあるのです。気が合わないと思っていても添い遂げることだってあります。どうなるかわからないのが男女の仲。ましてあなたはこの三年間、清盛さまのご寵愛を受けていたのはめったにないほどのありがたい清盛さまのお情けゆえです。もし参上しなくても、まさか殺されるほどのことはなく、追放されることになるのでしょうね。京を追放されたとしても、あなたたちはまだ若いから、どんな場所でも生きていくことはできるでしょう。でも、私はもう年寄りです。今京を追放されてしまったらと考えるだけでも悲しいことです。親孝行だと思って、清盛さまの仰せに従ってください」

そこまで言われてしまえば祇王も返す言葉はない。泣く泣く清盛の邸に参上することとなる。とはいえ、一人で向かうにはあまりにつらいので、と妹の祇女と、他に二人の白拍子、総勢4人が車に乗って、清盛の邸へと向かうのであった。

清盛の邸では、昔住んでいた部屋ではなく、遥かに低い身分の者たちがいる座敷で待つように言われる。祇王はあまりの仕打ちに涙をとどめることができない。

仏御前はその様子を見て「あれはどういうことでございますか。今までこの部屋をお使いだったのですから、ここにお呼びください。でなければ、わたくしにお暇をくださいませ」と抗議するのだが、清盛は「その必要はない」と聞き入れない。

やがて清盛は祇王と対面し「あれからどうしておった。とりあえず今様でも歌うてみよ」と催促する。祇王が涙を抑えつつ、今の境遇を歌うと、周りで聞いていた者はみな涙を流すのだった。「さすがに上手いことを言うものだ。舞も見たいが今日は時間がない。今後はいつでも参上して仏御前のために歌ったり舞ったりしてみせよ」との清盛の言葉に、祇王は返事も出来ずに退出するのだった。

帰り道、祇王は「生きていれば何度でもこのようにつらい思いをしなければならない。もう身を投げて死んでしまおうと思います」と妹の祇女に言うが、妹の祇女は「お姉さまが身を投げるのなら、わたくしも一緒に」と泣くばかり。母親の刀自がそれを聞いて「祇王にはかわいそうなことをさせてしまいました。ただ、おまえが身を投げれば妹も一緒にと言っています。二人の娘に死なれてしまったら、この母も生きる甲斐がありませんから、一緒に死のうと思います。ただ、母に身を投げさせることは親不孝の罪となります。そんな罪を背負ってしまえば来世も苦しいものとなるのではないですか」と説得する。祇王はそれを聞いて思いとどまるものの、もう京には居たくないと尼になって山里に庵を結び、そこで暮らすことにした。祇王まだ21歳であった。

それを見た妹の祇女も同じく出家。これはまだ19歳。後を追うように母の刀自も髪をおろした。母が45歳であった。

こうして、山里の小さな庵で尼になった三人がひそやかに生活をしながら一年が過ぎたある日の夕方、戸を叩く音がする。「女が三人で念仏を唱えながら暮らしているのを妨げようと、魔性の者が来たにちがいない」「心を強く持って一心に念仏を唱えましょう」と互いに言い合いながら戸をそっと開けてみると、そこには仏御前がいたのだった。

仏御前は涙を抑えながら「元々自分から清盛さまの邸に押しかけて行ったわたくしが、祇王さまのお口添えで邸に入れていただき、それなのに祇王さまがあのような目にお遭いになり、わたくしは一日たりとも嬉しいと思うことができずにおりました。ずっと清盛さまにはお暇をいただきたいと申し上げてきましたが、それも叶わず、ついに今朝こっそりと邸を抜け出して参りました。どうかわたくしもここで一緒に御仏へのお勤めをさせてくださいませ」と言う、その姿をよく見れば、すでに髪を下ろして尼の姿になっている。「こうして姿も変えてまいりましたので、今までのことはどうかお許しください。もしここでお勤めすることが叶いませんならば、どこへでも放浪して、いずれはどこかの松の根もとで倒れ、命がなくなるまで念仏するつもりでございます」と泣き続ける。その姿を見て、祇王は仏御前の手を取り「あなたがそれほどまでに思っておられたとは夢にも思いませんでした。このような尼姿におなりになったのを見て、私の中にあった恨みなどすべて消えてしまいました。わたくしたちは我が身の不運を嘆いてばかりでしたが、時の人であるあなたが出家なさることと較べたら…。あなたはわたくしたちを浄土へ導いて下さる方です。ありがたいことです。」

仏御前はまだ17歳だった。

それからというもの、四人はひとつの庵にこもって、仏に仕える日々を過ごしたという。その後、後白河法皇が建立された長講堂の過去帳にも、四人の名前は一か所に記されている。ありがたいことである。

次回予告
ナメられたくない清盛の行動が少しずつ歯車を狂わせていきます。まずは時の摂政との事件。そして人事異動の恨み。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?