ネタがないので「お題」に頼ってみよう。「部活の思い出」じゃ!

高校に入って、とても字の綺麗な国語の先生(たぶん40代ぐらいのおじさま)に「新聞部に入らんか?」と誘われて入った新聞部。2年生の先輩が二人しかいなくて、即戦力となりました。

ウチの高校の新聞部は、主な活動が年三回の学校新聞の制作。これは印刷会社に発注する本格的なもの(今は生徒が作ってる学校はあまりないんじゃないかな)。1回目が6月発行で4月の創立記念祭がメインの新聞。2回目が10月の学園祭がメインの写真特集のようなもの。3月が卒業生に贈るもの。

4月に入部して、すぐに「割り付け」の基本を教わり、先輩と一緒に地域のお店を回って広告をお願いして歩くというのが始まった。これが意外と楽しい。まだ景気が悪くなかったし。

元々、広島県北部に教育を、という理念のもと建てられた私塾だったというのもあって、地域の人はウチの高校を誇りに思ってくれていたので、広告も快く出してくれた。1スペース3000円。少し大きな会社だと2スペースとか4スペースとか買い取ってくれた。

割り付けが済むと記事の担当を決める。先輩二人は実は作文が苦手な人たちだったので、ほとんどの記事を私が書くことになった。これがまたとても楽しかった。決められた文字数と決められた内容。きっちり文字数通りに書き上げる快感。

6月発行のものは新任へのインタビューなんかもあったけど、それは先輩たちが「それはウチらがやるわ♡」というから任せて、上がってきたインタビュー原稿を記事にまとめる。

原稿が揃ったら印刷会社(これも町内)に持って行って、1週間でゲラが上がるので校正。再入稿して、できあがり。自分の書いたものが活字になって生徒や保護者に読んでもらえるというのは嬉しかったなあ。

2年生になったら、先輩たちは早々に引退したので、部員は私一人!気楽にやりました。企画から割り付けから記事書くのから広告取りから入稿・校正。文化祭にはガリ刷りで「新聞部責任編集発行」の文集まで出してやった(笑) 詩・短歌・俳句・短編小説が載ったスペシャルな小冊子。ええ、これも全部自分一人でやりました(笑) 名前は全部ペンネームなので、10人ぐらいで作ったように見せかけて。楽しかったなあ。

その甲斐あってかどうか、後輩男子が一人入部してくれて、翌年には新入生が3人も入部。しかも全員ちゃんと文章が書ける子たちだったので、安心して引退することが……できるわけもなく、こんな楽しい部活を早々に引退してたまるかと、3年生の秋までは続けましたよ(笑)

体育祭にはクラブ対抗リレーという名物競技があって、体育部と文化部それぞれに分かれてリレーをするわけです。各部が自分のクラブの象徴となるものをバトン代わりに持って走るという。体育部はバスケットボールとか、バットとか、わかりやすいんだけど、文化部は面白かったですよ。天体望遠鏡を抱えて走るとか、試験管持って走るとか、フライパン持って走るとか。わが新聞部は、鉄筆と石板持って走りましたよ(笑) 新聞部以外の人には何につかうのかすらわからない(笑)(今や、鉄筆も石板もわかる人少ないだろうなあ)

ということで、まあ、よく聞かれるんですよね。「高校の時、何部だった?」って。「新聞部」っていうと、たいていの人は「お…おぉん」みたいな反応なんだけど、私は「新聞作るクラブ。楽しかったよぉ」と言うしかない。ほんとに楽しかったんだもの。なかなかわかってもらえないけど。でも私の青春だったことに間違いはないな。鉄筆と石板の青春!



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