【テキスト版】巻2(14)康頼祝

前回のあらすじ
比叡山では学問を修めようとする僧たちと、荒々しい堂衆と呼ばれる僧兵たちとの争いが続き、比叡山はどんどん寂れていくのだった。

さて、鬼界島に流罪となった藤原成経、俊寛僧都、平康頼、の3人だが、成経の舅である平教盛の所領から衣食は常に送られていて、なんとか命をつなぐことはできていた。

中でも平康頼は流された時に立ち寄った周防国で出家していた。出家は元々考えていたことなので、「ついにかくそむきはてける世の中をとくすてざりしことぞくやしき」という歌を詠んだという。意味は「ついにこのように世の中を捨ててしまったが、さっさと捨てなかったことが悔やまれる」という感じか。

藤原成経と平康頼はもともと熊野権現を信仰していたので、「どうにかしてこの島の中に熊野権現をお呼びして、京に帰るというお祈りをしたい」と言うのだった。ただ、俊寛僧都だけは生まれつき信仰心などない人だったので、それには賛同しなかった。

成経と康頼は「もし熊野に似たところがあれば」と島の中を探索して歩いた。すると、美しい林に錦のような木々、雲のかかった神秘的な高嶺、綾絹のような緑の木々の見える場所があった。山の様子から木立に至るまで、どこよりも美しい。南を見れば海と雲、北を見れば高い山々から流れ落ちる滝、滝の音は熊野の那智にも似たけしきである。

「ここを那智の山と名づけよう」「この峰は新宮、あれは本宮、これは…」「あれはかの王子、これはあの王子…」などそれぞれに名前をつけ、二人して熊野詣の真似をして、京に戻ることを祈ったのだった。

「南無権現金剛童子、願わくは憐れみを垂れさせたまい、私たちをもう一度故郷へお返しいただき、妻子ともう一度会わせてください」と祈る。着替える衣もないので、麻の衣を着て、熊野の川に見立てた沢辺の水で身を清め、高い所に上っては熊野本宮に見立てて祈るのだった。

康頼は参るたびごとに祝詞を申し上げるのだが、御幣もないので花を手折って捧げている。

【次回予告】
ついに二人の祈りが神に通じたのか、不思議なことが起きます。そこで更にもう一手。


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