【テキスト版】巻2(4)小教訓【スキマ平家】

成親卿は小さな部屋に押し込まれて、汗だくになりながら「ああ、これは平家討伐の陰謀がばれてしまったのだなあ。誰が漏らしたのか。たぶん北面の武士の誰かなのだろう」とずっと考えていた。そこに足音も高く誰かが入ってくる音がするので「いよいよ私の命を奪おうと武士たちが来たのか」と思っていると、武士ではなく清盛自身がやってきたのだった。

清盛は、障子をさっと開け、成親卿をしばらく睨みつけて「そもそもあなた様は、平治の乱の時に処刑されているはずのお人でしたが、重盛が必死に助命をお願いしたゆえに、今そうして首が繋がっておられるのだ。それをどうお考えか。恩を知るのを人、恩を知らぬものは畜生というのだ。何の恨みがあって我が平家一門を滅ぼすおつもりなのか。どんな計略を立てておられたのか、直接に伺おうではないか」と言う。

成親卿が「それは人の讒言でございます。よくよくお調べください」と言うので、清盛は激怒して、西光法師の調書を繰り返し読み上げながら、「これ以上、何を弁明することがあろうか」と、それを成親卿の顔に投げつけ、障子を音を立てて閉めて出ていく。

それでも腹に据えかねている清盛は、家来たちを呼んで「成親を庭に引きずり出せ」と命じるが、家来たちは「重盛殿のご意向は…」と言うばかり。清盛はそれにも腹を立て、「そうか、お前らは重盛の命令には従うが、わしの命令は聞けぬと申すか」と言う。家来たちは慌てて成親卿を庭に引きずり落としたのだった。清盛はそれを見て気分よさそうに「痛めつけて泣かせてやれ」と言う。

家来たちは成親卿の耳元で「なんでも構いませんから、お声をお上げください」とささやいてねじ伏せる。その様子は、まるで地獄の鬼たちが罪人を責め苛んでいるようにも見えた。

漢の高祖の忠臣であった蕭何と樊噲は囚われ、韓信と彭越は肉を塩漬けにされた。晁錯は殺され、周勃と竇嬰は罰せられた。つまらぬ者の告げ口によって不慮の災いや失敗の恥辱を受けたという故事も、こういうことだったのだろうか。

成親卿は、自分がこんな目に遭っているのだから、子どもたちがどんな目に遭わされるかと思うと気がかりでたまらない。「重盛殿はお見捨てにはならないだろう」とは思うものの、誰に伝えてもらえばいいのかもわからない。

重盛はいつも無駄に騒ぐことはない人なので、兵をひとりもつけず落ち着いた様子でおられた。それを見て、家臣のひとりが「なぜこれほどの一大事なのに兵を一人もお連れにならないのですか」と聞くと、「一大事とは天下のことを言うのだ。こんな私ごとを一大事などと言う者があるか」と答える。

そうして重盛は、成親卿を閉じ込めた部屋を探すのだった。あちらこちら見て回っていると、障子に木材を張り付けた部屋があったので、開けてみると、そこに成親卿がいたのだった。

泣き疲れて顔を上げることもしない成親卿が、「どうなさいましたか」という重盛の声を聞いたときの嬉しそうな顔といったら、地獄で罪人たちが地蔵菩薩を見たらこんな顔をするのではないかというほどのものだった。

「今朝からこのような目に遭っています。平治の乱の時もお助けいただいて、今は大納言になり40歳も過ぎることができました。値打ちの少ない命ではありますが、もしお助けいただけたなら、すぐに出家してどこかの山里にでも籠り、修行いたします」と言う。

重盛は「いくらなんでも、お命まで失われることはありますまい。どうかご安心ください」と成親卿に伝え、すぐに父清盛のところへ行って話すのだった。

「成親卿の命を奪うことについては、よくよくお考えください。後白河法皇もお気に召しておられる方ですから、首を刎ねるというのはよろしくないでしょう。都を追放するだけで充分だと思います。刑の疑わしきは軽く、功の疑わしくは重く、と申します。わたくしの妻は成親卿の妹、我が子維盛も成親卿の娘婿ですが、そのように近い関係だから、このようなことを申し上げているのではありません。今までの歴史を見ても、死刑を執行すれば国中に謀反が起きると言われています。保元の乱で行ったことが三年後には平治の乱で我が身に降りかかったことも記憶に新しいことでございます。成親卿はたいした敵ではございません。ですので、首を刎ねるというようなことだけはお慎みください」

清盛も、そう言われるともっともだと思ったので、死罪にするのは思いとどまるのだった。

その後、重盛は侍たちにも「命令だからと言って成親卿を処刑してはならんぞ。」と告げ、自分の邸に戻っていった。

そうしているうちに、成親卿の侍が烏丸の邸に帰って、今何が起きているかを伝えると、北の方や女房たちは泣き叫ぶのだった。「お子様たちも皆捕らえられるという話ですので、急いでどこかにお隠れください」と言うと、「もはやこうなってしまっては、どうにもできません。成親さまと同じく、ひと夜の露と消えてしまうのです」と衣を被って臥せてしまうのだった。

やがて武士たちの近づく音が聞こえる。このままでは情けない目にあってしまうというので、10歳になる女子と8歳になる男子を同じ車に乗せ、当てもなく車を出すのだった。やがて、北山のあたりの僧房に二人の子どもを下ろすと、おつきの者たちはみんな暇をもらって帰って行った。残された二人の子どもたちには話しかける人もいない。

北の方の心情は、もっと哀れであった。成親卿の命も今夜限りかと思うと、自分も消えてなくなりそうに思えた。邸には女房や侍もたくさんいたが、物をかたづけることもせず、門を閉めることもしない。厩の馬に草を与える者もいない。

毎朝のように馬車が門に立ち並び、来客は絶えることなく、舞い踊り、贅沢な暮らしをして、周囲の者たちもみんな恐れていたのに、一晩ですっかり変わってしまった様子は、盛者必衰のことわりを目の当たりにしているようであった。

【次回予告】
成親卿の長男成経は、この騒動が起きた時には宮中で宿直をしていました。一歩遅れてからの助命嘆願です。

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