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何でもない夜の路線バス

遠出ができない近頃なので、逆にネットで旅先を探してしまう。
ただ、どんなサイトも、どんな観光地でも絶賛の嵐である。定番の観光地を訪れて、楽しかった!という文ならネット上にあふれているけど、それには少し飽きたからあまり参考にならない紀行文にしてみようと思う…。全く期待していない瞬間にこそ旅の醍醐味があるんじゃないかという、そんな文です。

『初夏、新千歳行きの飛行機に乗って離陸を待つ。何日かの北海道への旅の、初めの2日間は単独行である。はじめて飛行機に一人で乗ることもあり、ついついフライトの2時間半前には空港についてしまい、のんびりと昼食をとる。空港で食べるご飯は割高でやや後悔する。

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学生らしくジェットスターの機体に乗り込んだぼくは、強風で多少フライトに遅れが出るかもしれないことを知る。
「当機の前に離陸待ちの飛行機が15機以上おります、これから1時間ほどこのまま待機しますので、スマートフォン等電波を出す機器の使用をしていただいて構いません。」
確かこんなアナウンスだったと思う。

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外は晴れているが、風は強いらしい。機内の窓からではよくわからない。

暇つぶしに吉村昭の「仮釈放」という本を読んでいたが、後半になるにつれて主人公がどんどん追い込まれていって陰鬱な気分になる。LCCの狭い座席にも嫌気がさしてきたが、外の風はやむ気配がない。しかたなく暗くなっていくラストへと読み進めていく。

15時前に乗り込んだときは日が照り付けていたが、日も傾いてきた。飛べないまま17時を回る。このくらいからいつ飛ぶんだといういらだち以外にもう一つの懸念事項が頭をよぎってくる。
その日の夜、宿を登別にとっていたのだ。新千歳空港から特急で1時間、そしてバスで30分。最終バスの時刻が気がかりだった。登別駅21:18発のに乗れなければ、暖かい季節とはいえ駅から1時間以上街灯もない道を行かなければならない。ふっと寒気がした。飛行機の中で悠長に本を読んでいる場合じゃない。1分でも早く飛んでほしい…。

18時すぎにようやく機体が動き出した。第3ターミナルの滑走路への遠さまでも恨めしい。

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夕暮れ時、やっとの離陸。最終バスに乗り継ぐための列車のデッドラインも確認し、あとは時計とにらめっこして祈るだけだ。そんな余裕のないときに限っていい空模様だったりする。

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こんな景色を見せてくれるなら、もっと落ち着いた気持ちで見たかったなぁ。窓に顔をくっつけながら、そんなことを考える。

着陸態勢に入るというアナウンスを聞いても、体の緊張は解けない。このまま着いても時間はぎりぎりである。ひとつ自分にとって有利な条件があるとしたら荷物を預けていなかったことだ。身一つでホームへと走れば少しは時間を縮められる。着陸してからのすべての行動をシミュレーションする。出られる状況になり次第、急いで出て、駅を目指し、切符売り場で乗車券と特急券を買って…。


人生は思い通りにいかない。シミュレーション通りにはいかず、飛行機から真っ先に出ることはできなかった。遅延で焦っているのは自分だけではなかったようだ。その行列をかき分けて前へと進むほどの気概もなかった。でもそこからは走った。それはもう走った。どれくらいの距離があったのは覚えていない。大きな荷物を背負いながら、幅のある通路を往く。
駅の示すサインは優秀で、迷うことなく切符売り場までたどり着く、自分の乗る列車の発車まで5分程度しかなかったが、そこからはウイニング・ランである。結局そこからドアまでのダッシュを迫られることとなったのだが。

エアポート快速で1駅、南千歳で降りる。降りた瞬間、外気を感じる。北海道の夜の空気である。初夏ではあるが、ひんやりとしている。駅はまだ空港から離れておらず、エンジン音が少し聞こえる。
ほとんど半日ぶりの外の空気だ。

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この列車に乗れば、最終バスに間に合う。少しずつルートが確実になっていく…。結構ガラガラの車両のリクライニングシートを倒す。斜め前に見える土産袋を提げた人が駅弁を広げている。そういえば夕ご飯を食べていない。宿に無事着いたら何か食べられるところがあるだろうか。
東京の電車とは違うディーゼルのエンジン音と、レールの音が響く。

登別駅で降りる。
駅の外は特に店もなく、走る車が時折周囲を照らすだけ。

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宿へのバスが来るまでには少し時間がある。小腹を満たす店でもないかと周囲を見渡すが、すぐにあきらめスマホで地図を開く。
ちょうどよい距離にある目的地を定めて歩き出す。全く人通りのない歩道を鼻歌口ずさみながらゆく。クマだかシカだかがでるという看板があったが見て見ぬふり。こういうときに一人だと不安になる。冗談を言ってごまかす相手がいないとつらい。すでに時刻は21時ごろである。

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5分ほど歩いてこうこうと輝くのはご当地コンビニ「セイコーマート」。
外の静けさとは一変陽気な音楽の流れる店内には、車で来たらしい人もいる。
自家製のフライドチキンとおにぎりを買って駅へと戻る。レジ袋から漂うスパイスの香りに負けひとつまたひとつチキンが減ってゆく。

駅でバスを待つ間、他のは一台も来なかった。タクシーの中で休む運ちゃんももう一日の終わりの体勢になっている。それでも定刻通りにバスはきた。

21:18発、登別温泉行。

中にはすでに何人か人がおり、駅からは自分と、もうひとりキャリーケースを持ち上げて女性が乗り込む。
廃れた商店街なのか、夜だから人の気配がないのかわからないメインロードを抜け、いくつもの停留所を通過してゆく。宿がある山間部へとむけて、次第に道沿いは木が茂り、いつの間にか緩い勾配をのぼっている。

ふと、2、3時間前の自分は雲の上にいて、さらにその前は成田の広大な敷地の狭い座席に押し込められていたことを思い出す。そこからこんな山道を走る閑散としたバスに乗っているなんて不思議である。
明日歩いてめぐるところを想像する。そのあとも続く何日かの楽しみなことを考える。外の真っ暗な夜道に対して、車内は明るく輝いている。いつのまに、乗客は同じく温泉地に行くらしい客しかいない。

バスが峠を越えて少し開けた場所に出ると、川沿いにオレンジ色の光が広がる。川や道のわきを流れる水からは湯気がたっている。アナウンスはバスが最後の停留所につくことを伝える。』

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この後、夜鳴きそばを食べ、夜遅くで人のいない温泉を満喫するのだが、当然楽しいことを書き並べても仕方ない。
旅行につきものの不安と期待のバランスがちょうど入れ替わった路線バスの車内が、実は一番いい気分だったと書いても、信じてもらえないだろうか。

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