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美崎町のまとわりつく朝風と昇る前の太陽に憧憬と母性を感じて

太陽の出ていない空ですら僕には眩しい
もう少し晴れた世界に慣れてみたいと思う。

最近は自然ってなんだろう。非自然ってなんだろう。

と考えてみたりする時間が多くなった。

東京の子供が東京タワーを自然と呼ぶことも自然だし、石垣島の子供がヤドカリがいる海を自然と呼ぶことも自然である。

自然とは馴染んだか。違和感を持つか。

石垣島の子供が描く船の解像度が高さに感動したり

野生の孔雀に出会い、石垣島に住む立派なガジュマルにキジムナーがいないか少し覗いてみたり

地元の人からシークワーサージュースをもらって滋賀の日本茶とマリアージュしてみたりと僕にとっての非自然を自然に体験できている

やがてこのような非自然も時が経つと自然となり胃に鳥肌立つような感覚も底地ビーチの土のように静かに沈んでいく

その感覚をいずれは失うと思うと寂しいがこの絶望の中の寂しさに美しさを感じて、この美しさを感じていればもう少しこの偽りの晴れた世界に慣れるかなと期待している。

太陽はどういう気持ちで私たちを照らすのだろう。そんな事を考えることすらおこがましい。

美崎町のまとわりつく朝風と昇る前の太陽に憧憬と母性を感じた

今日はそんな話

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