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ぼやけに湿度の美しさを探しながら大見謝を彷徨っている

6月5日、お知らせがきた

どうやらnoteを書き始めて1年が経ったらしい

1年前の僕はどこに在て、何を感じて、どんなことを考えていたのだろう

そんなことが気になる6月5日の午前

約1年前京都の病院で働いていて

そこで僕は思わず見惚れていたものがあったらしい

それは89歳の女性が書いた短冊だ

死ぬまで生きる

「私達はたまに死にたいと思う。もう充分だと、この腰の激痛があるくらいなら死にたいと思うことがある。ただ災害やウイルスの危機で沢山の生きたい人が死んでいく。生きたいと願った私の同い年の友人達が私が長く生きる度に減っていく。池田くん私達は死ぬまで生きよう」と僕に語ってくれた

„死“が身近にあるこの方の“生きる“はいつも美しい

そんな1年前を思い出しながら、雨の日の大見謝を歩いている

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西表島らしい天気だ
突然、バケツをひっくり返したような
雨がざんざんと降り始める
今、全ての音が雨に掻き消された

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ガジュマルは生き様を教えてくれる

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自分の存在の為に息づくガジュマルの生き様と「死ぬまで生きる」と語ってくれた京都の89歳の女性の生き様は少し似ている気がする

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モダマの生き様。水を求めてうねる

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苔は素直だ、いつも澄んだ水は流れていることを自己を通して表現してくれている

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複雑だからこそ美しいということ

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湿度の輪郭は
ぼんやりと苔と風景の狭間に浮かび上がる

山は湿度という母性に包み込まれ
動物は身を潜め、
植物は優しく抱擁されている

雨の日の西表島の湿度を

1年前の89歳の女性の短冊の願いを

僕はぼんやりとIPhoneの眼球で見つめている


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