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自問自答ファッション教室が超良かった話

こんにちは、川口ちゃんです。
先日自問自答ファッション教室に参加してきたので、さっそくレポートを書きました。

あきやさんと私の自己紹介バッグ記念フォト

講座、同行ショッピングときて、ついに教室まで受けてしまいました。完全に常連です。しかし、私が受けた当時の講座と今回受けた自問自答ファッション教室は全くの別物で、講座受講済みの私でも新たな気づきがたくさんありました!

あきやさんから、「教室のレポートではたくさん自分語りをして欲しい!!」と頼まれた(?)のですが、気づきが多すぎて全部書いてしまうと大変散らかってしまうので、今回は1番衝撃を受けたところを中心に書きました。


教室のココがスゴい【自分のキーワード探しの旅】


自問自答ファッション教室では、あきやさんによって予め用意された複数のキーワードに対して、自分がどう感じるかを考え、分類し、自分の価値観を可視化していく、【自分のキーワード探しの旅】というワークがあります。

私、ぶっちゃけこのワークを軽視していました。
なぜなら自問自答ファッション講座で一度やったからです。

自分の心と親和性の高いファッションのジャンルをあぶり出すんだよね~その辺はまあまあ理解してるな~くらいの気持ちだったのですが、しかしなんと今回、このワークこそが、自覚していなかった内面に気づくきっかけになりました。

今回、私の心に自問自答の嵐を巻き起こしたのは「目立つ」というキーワードです。

・矛盾、生じる

教室の前半で、あきやさんの著書にも載っている「ファッション欲求5段階説」(紙版69頁電子版104頁)について学びました。

その際、私は『別に目立ちたくないし社会から浮きたくないので、この図の3番目の社会的欲求(みんなと同じ服が着たい、ダサいと思われたくない)の段階にいるのかなと思うが、でも、世間的にはセンスが良い、オシャレとされている服に全然ときめかない』という話をしました。

(そうしたらあきやさんに、自分が最高に可愛いと感じる服を着ましょう!⑤を目指しましょう!とアドバイス頂きました。それはその通りだと思います。)

ところが、その後の自分のキーワード探しの旅の時間では、私は「目立つ」を憧れ(なりたい)のゾーンに入れました。

あきやさんに「目立つのは好きですが?」と聞かれ、「目立てるなら目立ってみたいものよ(という感じです)。」と答えました。

さらに「目立つと嬉しいのはあなた自身ですか?それともあなたの作品や成果ですか?」と聞かれ、私自身だと即答しました。さっき目立ちたくないと言った私はどこへやら!!

・目立つ=姉

なぜそう答えたのかというと、私には超目立つ姉がいて、そんな姉の持つ存在感が羨ましかったからです。

姉は特別にスタイルが良いわけではありませんが、どこにいても目立つ人で、例えばサロンモデルとして広告に載ったり、家族で食事に行った時には店員さんから「芸能界の方ですか?」と聞かれたりと、私の人生には絶対起こらないイベントを度々起こしていました。

なので、目立つというキーワードから姉を連想して、私だって目立てるなら目立ってみたいものだ、実際無理だけど…と思ってそのように答えたのです。

ファッション欲求5段階説の話の時は、「着こなせていない奇抜な服で悪目立ちしたくない」という意味で目立ちたくないと言っただけで、存在として目立つことには憧れがあったようです。


・私にとってのオシャレとは


教室の翌日、メモを見ながらこの時の気持ちを思い返したところ、私はあることに気づきました。

それは、実は私は服装うんぬんよりも、その人自体が華やかであることを重視している、ということです。

服がオシャレだけど目立たない人より、服は微妙だけど華がある人のほうが、私の中ではよりオシャレ認定されるということです。何を着るかより、誰が着るかみたいな。教室で、作品や成果よりも私自身が目立ちたいと答えたのも、本人の華やかさこそが重要だというこの価値観からでしょう。


まさか、私のオシャレの基準が服ではなかったなんて──。

だから私は、トレンドを着るとか、量を持つことに興味がないんだ、服よりも髪型やメイクを先にどうにかしたいんだ、おしゃれな服装を見てもピンとこないんだ、着る人の方を重視しているから…と、とても腑に落ちました。自覚していなかったのでびっくりしました。

ちなみに私はぽっちゃり体型ですが、ボディシェイプを頑張ろうとならないのは、姉が別にスタイル抜群じゃなくても華やいでいたという事実が影響している気がします。良いのか悪いのかわかりませんが(笑)


・価値観に潜む自己否定

"私自身が目立ちたい"
"華やかなのが1番大事!"
"着る服よりも着る人自体の華やかさ重視!!"

この価値観自体は全然アリだと思います。こう考えている方がいたら、ゴーゴー!どんどんいっちゃって〜!と思います。

ただ私の場合は単純な話では無さそうです。

というのも、私のこの価値観の発生元は間違いなく姉ですが、しかし私は姉に憧れていません。

私は今回のキーワード選びで最終的に1位に選ぶくらい"謙虚"を大事にしたい人間ですが、姉は謙虚の真逆をいく性格だからです。なので先程はあえて「姉が羨ましい」でなく「姉の持つ存在感が羨ましい」と書きました。

はて、"憧れていないものになりたい"って、どういうことなんだろうと考えました。

その結果、正確には、姉の持つ存在感にも憧れてはいないことに気づきました。

姉のように目立ってみたいという感情、それは、「私も姉のようになりたい!(キラキラのまなこ)」ではなく、「私は地味だから姉よりも劣った人間なんだ」という悲しい気持ちだったのです。

地味な私はダメだから、華やかにならなくちゃ。
これが私の「目立ってみたい」の正体でした。
"なりたい"でなく"ならなくちゃダメだ"だったんですね。

これってまさに先日の自問自答×ムンプラ講演会第2回で話題にあがっていた「自己否定スタートのウィッシュリスト」というやつでは?と思いました。


・古い価値観、棄却します


ああ、こんな馬鹿げた価値観捨てたい!
今すぐ捨てたい!!
私は確かにあまり存在感がないかもしれないけど、別にそれはそれでいいじゃん!!
地味なのがダメなわけないじゃん!!!
棄却です!!!!!

ということで、脳内自問自答会議の結果、この価値観は本日限りで撤廃致しました。

しかし考えればすぐにおかしいとわかるような価値観を、なぜ今まで何も疑わずにずっと持っていたのだろうかと不思議に思いますが、自分の生まれ育った家庭の個性にはなかなか気づけないのと似た様な感じで、当たり前すぎて疑問視すらしてこなかったのだろうなと思います。

この度、教室のワークで価値観を言語化したことでようやくツッコミを入れることに成功したのでしょう。教室参加して良かった〜。

ちなみに棄却した価値観は、最近考えていた「自分らしい服装か、モブか」という悩みにも表れていると思いました。華がない(モブ)=だめなもの、オシャレとは反対に位置するもの、みたいな点がそれだと思います。この大前提を覆した今なら、この悩みももう少し違う考え方ができそうな気がします。


・本当に憧れているもの

紛い物の憧れを処理したところで、本当に憧れているもの、目指したいものを再確認しておきます。

今の私が本当に憧れているのは、謙虚で明るく、本質的で、魂が清らかな人です。その人の周りにいつも爽やかな風が吹いているような人になりたい。目先のことではなく、人生、いや輪廻転生レベルで何が良い行いなのかを考えられる人になりたい。宮崎夏次系先生の描くキャラクターの様な人。NARUTOの21話の2頁目のハクみたいな空気感の人。たとえ華やかさがなくても、服装がオシャレじゃなくても、いいんです。

そして、何かプロ並みの専門的な知識、技術があるとなおかっこいいなと思います。どちらも兼ね備えているさかなクンは最強です。自分が今世でその域まで到達できるとはとても思えませんが、目標はそういう方々です。

自分が持って生まれてこなかった華やかさは、眩しくてコンプレックスが刺激されがちですが、自分にはもっと大事なものがあるということを忘れずに、今後は自分の目指すところに向けて邁進していきたいと思います。目指す姿が複数あると買い物の際にブレてしまうので、しっかりと確認できて良かったです。私は心の浄化装置集めを頑張るぞ!

さて、たったひとつのキーワードでこんなにも自問自答が捗ってしまいました。これは複数人で受ける教室ならではの現象だなと思います。同じキーワードでも人それぞれ反応が全然違うので、あきやさんと一対一でやるときよりも自分=普通という感覚が薄くなり、自分の価値観に自然にツッコミが入るというか…おかげで私はとても大事なことに気づけました。教室版キーワード探しの旅…すごい!講座で一度やった人も、舐めたらあかんです!



教室で生まれた私のコンセプト


最後に、もはやおまけ的な感じですが、せっかくなので教室で生まれた私のコンセプトを聞いてください!

謙虚で明るくて本質的な、
桃の木があって鯉もいる小さな公園を作る人
〜売店でうまい家庭料理も提供〜

・・・です。長い(笑)

私はお金が無限にあったら欲しいものやしたいことが特に思いつかなったかので、住みたい景色から想像を膨らませていきました。

桃の木が沢山生えていて、春は濃いピンクの花が一斉に咲いて、低い位置にはプリムラマラコイデスがどっさり咲いてて、池にはたくさんの錦鯉が泳いでいる場所に住みたい…。私はもともと鯉のいる池というのが大好きですし、ごくたまにとても美しい景色の夢を見ることがあるのですが、そこにもいつも錦鯉がいるので、鯉のいる池はマストです。

じゃあ職業はどうしようかという話になり、昔、子供だけが入れる小さな秘密の遊園地を作るのが夢だったので、この空間の管理人でもやりましょうか、みたいな感じで決めました。

せっかくなら、日常的に訪れる公園というより、幼少期の印象に残るような、ちょっと現実離れした特別な公園を作りたいと思いました。

でも実際問題、子供ってそういう雰囲気的なものを喜ぶか、子育て経験の無い私にはわからないんですよね。いろんなところを嵐のように駆け回り汚していくだろうし、そもそも鯉が多いと夏場の池は生臭いだろうし、仮にペットが散歩にくれば糞をしていくだろうし、桃も春以外咲かないし…みたいな現実的な話をしたら、あきやさんから「もしかして川口さまはシュールな感じのものもお好きですか?」と聞かれました。

その時はシュールがどんなものを指すのかピンとこなくて、質問の意味がよくわからず曖昧な返答をしてしまったのですが、後日シュール(な絵画、イラスト)を検索してみたところ、ああ、好き〜!となりました。

それらの検索結果を見ていたら、小学生の頃に見た"大きな飛行船が唐突に空に浮かんでいる景色"を思い出しました。私の大好きな思い出です。

他にも、小学生の頃みんなのうたで流れていた青天井のクラウンのアニメーションが怖すぎたことや、合羽橋のいろんな看板がズラーっと並んでいる看板屋さんの不気味さ、高校生の頃に行った、田舎の誰もいない真昼のショッピングモールの世界の終わり感、つげ義春先生のねじ式…と次々にいろんなことを思い出しました。あきやさん、私、めっちゃシュール好きでした!!あの時の質問の意味、よくわかりました!

ということで私はちょっとシュールな公園を創りたいみたいです。でもシュールって不気味さとか違和感だから、私は子供にトラウマを与えたいってこと…?悪魔か…!!と一瞬思いましたが、自分自身、そういうものを恐れつつも、感銘を受けて育ったので、他の子どもにも同じことをしてあげたいという善良な気持ちからだと思います(笑)


ちなみに私には「小さな浄土」という自分で決めたコンセプトもあるのですが、教室流に職業や人物像を含めた具体的なコンセプトを決めてみると、この人は普段どんな服を着てるのかな~みたいな妄想が捗って楽しいです。今まで職業不明だったので。

管理人兼売店のお姉さんもやるわけですが、幻想的、非現実的なシュールな世界と言う意味では、スパンコールのドレスにエプロンをつけて、謎の料理片手にビーズののれんの奥から登場するのも楽しそうですよね。

空間を体現したような、磨りガラスの水色のアクセサリーに水面のようにきらめくスカートを穿いて、謎めいた管理人さんを演出するなんてのも良い。

教室の事前アンケートでは、シンプルでクリエティブでキュートな服が着たいけど見つからない!と書いたのですが、今は全然違うものを妄想していますね。

こういう妄想が始まると、今までピンと来なかったブランドに目が行きはじめて面白いです。あきやさんが選んでくれた似合うブランドリストと合わせて、好きなブランドがもっと増えると嬉しいなと思います。



自問自答ファッション教室には、追い込まれる良さがある!


1人でやる自問自答も、じっくり深掘りするという面ではとても大事だと思うのですが、複数人でやる自問自答は、気づきのきっかけ作りとしてすごく効果があるなと感じました。

あきやさんに質問されて、自分の口で声に出して答える。そして、複数人いることで目に見えない時間制限があるので、パッと何か言うことになる。本音ってこういう時にぽろっと出たりするので、自問自答ファッション教室には「追い込まれることの良さ」みたいなものがあるなあと思いました。

実際、「事前に軽く考えてきてください」と言われた質問内容がいくつかあるのですが、じっくり考えても何も浮かばなかったのに、教室で差し迫られたら答えが出た、みたいなシーンが多々ありました。

もちろん、他のガールズと自分の意見を比べて、似てるなと思ったり、思い込みすぎていたなと気づいたり、自分では自覚していなかったことに気づいたりと、単純に他者と比較することで得られる気づきも沢山ありました。

例えば、得意な表現方法の話で、私自身は自己表現が苦手と思っていて、答えに詰まってしまっていたのですが、皆さんに「文章が得意だよ!」と教えていただき、ああそうなのかと気がつきました。自分のことって自分でわからないものですよね。

ということで、以上が私の自問自答ファッション教室レポートです!リクエスト通り、自分語りをたっぷりしちゃいました。この記事で1人でも多くの方が自問自答ファッションに興味を持って頂けると嬉しいです。興味を持った時点であなたも自問自答ガールズ!!一緒にファッションを楽しみましょう!

それではまた〜。

信じないことが信条🍤