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第23話 親友と呼べる友達なんていないと思ってたけどインドにいた【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

9月12日、タイパンツをはいている富山のトシと別れる。アジアに旅に出るとタイパンツに魅了される人は多い。

ぼくは(タイパンツかっこいいなあ)と常々思っていたが、ついに一度もはいたことがない。ちょっとはける自信がなかったのだ。

そもそもタイパンツの名前を知らなくて、どこでどうやって買ったらいいかも知らなかった。人に聞けばいいんだけど、そういうのも気が引ける。

さて、8号線上で、再びヒッチハイク開始。族の発祥の地であるという富山とさようならだ。数日いたが、族らしい人は一度も見なかった。

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黒部から魚津へ。魚津に仕事に行く方の車。

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やはり8号線上。こうして旅をしていると日本中の主な国道が覚えられる。ひとけた台の国道はきっと古くからある道なのだろう。

逆にこうして旅にでも出なければ知りもしないし、通りもしないだろう。

滑川から富山まで乗せてくれた。旦那さんがサックス奏者だという。
「魚津といえば蜃気楼なんだよ。それで滑川といえばホタルイカ。まるごと食べる。うまいよ。」

富山県の中央部に住んでいるからか、こんな話を聞けた。
「富山県は音楽家が多いんだよ。特にジャズね。富山は文化や味の分岐点なの。金沢に行くと文化高いね。」

「聞いたことあります。富山県の真ん中を境に、ヘルツが違うとか、カップラーメンの味が違うとか、ポテチの味が違うとか。」

「そうそう、それね。呉羽(クレハ)山を境に関西側と関東側に分かれるんだよ。東に住んでいる人も西に住んでいる人も互いに『向こうに嫁に行くな。手紙出すな。』って言う。」

しかしヘルツが違うっていまだにピンとこない。西のテレビは東では見られないとか聞くけど本当なのか?そんな不便なことってあるのか?

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富山から高岡。富山の小杉出身、20歳の女性ドライバー。彼氏は宇奈月にいる。
「今ぶらぶらしてる途中。今日仕事休みなの。わたしほっとけないタイプでね。」

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高岡から金沢。トランペットを吹いている男性。やはり音楽やっている人多いのかな。しかもジャズ。
「ヤクルトファンでよく東京まで応援に行くよ。今日はね、金沢まで遊びにいくところ。金沢は加賀100万石って言うよね。」

金沢100万石ということから、金沢にはべっぴんさんが集まっていると日本をまわっていてよく耳にした。

でもこういうことを聞いて実際そう思ったことはない。「かわいい子が多い」街として、本当にそうだと思ったのは福岡ただ一つ。

高岡から金沢まで60kmも運転していただいた。

(聞きそびれたが、トランペットを吹いていてよくヤクルトを応援しに行くって、もしかして外野の応援団で吹いているのかな。しまった、聞いておけばよかった。)

金沢に夕方に到着した。
(金沢って全く情報がないなあ。知り合いもいないし。今から動き回っても寝る場所探すのが大変な時間だからなあ。)

わりと有名な通りなのだろう、ぼくはきれいな石畳の道を通ったり、ちょっと古風な建物を横目に見たりして、なんとなくぶらぶらし、寝床となりそうなところを探した。

一応ストリートミュージシャンがいるか探したがいなかったので、寝床探しを優先した。

翌日、ぼくはまず歩いた。ぼくの中では(早く大阪のトシに会いたい)という思いでいっぱいだった。石川、福井、京都、そしてその向こうは大阪。石川からの直線距離はそう遠くない。

ぼくがアジアの旅で初めて歌を歌ったのは、インドのカルカッタのサダルストリートにある安宿だった。その日はインドの初日で、宿につくなり「ぜひ聴きたい」というその場のみんなの要望で歌うことになった。

宿の広間にいた数人の中の一人が大阪のトシだった。歌い終わって話していたらなんと同じ年ということがわかり、ぼくは急速に親しみを持った。

トシは工業デザインを勉強し、そういった仕事をしていたから絵が描ける。インドのカルカッタで会ったときは、彼はタイパンツをはき、アジア製のニット帽をかぶってお手玉をしながらインド人に囲まれ、近寄ってきたインド人の似顔絵を描いてあげるなどしていた。

すでに東南アジアをまわってきたあとのインドだったし、ずいぶん旅慣れているように見えた。それに彼のインド人とのふれあい方や、身のこなし、服のセンスのよさなど、いろいろといけているようにぼくには見えた。

同じ年であるということで、どうしてもトシを意識してしまっていたし、嫉妬していたし、すごく仲良くなりたい、負けたくないとも強烈に思っていた。

でも、トシのいいところはいいものに対してはとことん尊重するというところだ。本当にまっすぐな人だと思う。

ぼくは20年たった今でもずっと彼のことを尊敬している。

カルカッタの後、ぼくらはプリーという海辺の町へ行き、そのあとブッダガヤ、そしてガンジス川のあるバナラシへと旅を進めた。

確かバナラシだったと思う。一冊の本をトシはぼくに教えてくれた。

「これめっちゃええで。おれ読み終えたからSEGEくんに貸してあげる。」

それは「自由になあれ」という本で、三代目魚武濱田成夫さんの自伝だった。

ぼくに貸してくれたその本は、主人公がパリのファッションショーに出るまでのストーリーが、斬新な、自己中心的ともいえなくもない、それでいてあったかく熱い、チャーミングでソウルフルな詩を中心につづられていた。

ぼくにはその生き方と詩が衝撃だった。ぼくの魂はけしかけられ、追い詰められ、たきつけられ、はげまされ、ふるえあがった。

ぼくの当時の歌の何曲かは、濱田さんのインスピレーションから確かに影響を受けていると思う。

(こんな本が、生き方があるのか。すごいな。それに、トシはこんな本を読んでいるのか。やっぱすごいな。)

トシには心に熱さというか、真剣さというものがあったし、あてのない旅をしているのではなく、旅を楽しみながらも、必ず何か持ち帰るという芯のようなもの、旅に飲まれない強さのようなものを感じさせた。

そして何より相手を尊重してくれるというか、自分は自分、相手は相手というスタンスもあって、それが彼のやさしさとして伝わってきた。

そんなトシはぼくの歌を気に入ってくれた。それが何よりもうれしかった。そのあとも「sing a song」というぼくの歌をコピーしてよく歌ってくれた。

一方で、インドでのぼくはというと、自分の服の中でもどうでもいいものしか持ってきてなかったし、トシなんかに比べて見かけ上かっこいいとはとても思えない、どちらかというと個性もないしダサい感じだった。

自分らしい旅をする心の余裕なんてない。お金も時間も余裕はなかった。

ぼくにはとにかくインドの旅をまっとうして日本に帰ることと、たった一つの武器であるギターを持って歌うということが自分の中のミッションだった。

そしてその歌を聴いてくれた人たちに、ぼくは日本二周しながら会いに行っているのだ。

(トシに早く会いに行きたい。)

この日本二周でのぼくは、インドとは対照的で、ネパールで買った10個のニット帽の中から、日本にかえってから落ち着いて選び直したところ、たった一つ選ばれたものをかぶっていた。

お気に入りだ。

そしてジーンズはギャップのジーンズに、当時はまだ流行っていなかったディーゼルの赤いスニーカーを履いていた。

ぼくは靴にはお金をかける。あのスニーカーに勝るスニーカーはいまだになかなか見つからない。

ギャップのジーンズはというと、ギターのハードケースが太ももにあたるため、太もものサイドの縫い目がほつれてズボンが割れ始めていた。

(こんなふうにだめになっていくズボンもあるんだな。これはある意味勲章だな。)

さて、この旅の目的がそもそもアジアで出会った人々に会いに行く、歌を届けにいくというものだったから、大阪のトシに会いに行くことはまさに目的の通りなんだけど、「全都道府県をまわる」というのも自分に果たしたルールだったから、(福井も通っていこう)と一人こらえた。

ぼくは金沢の中心地から歩いて抜け出て、金沢西インターまでたどり着いた。いつものことだが街中でヒッチハイクはしたくない。

走る車の行き先はよくわからないし、人目も気になる。

なるべく郊外などに出て、幹線道路とか、行き先がはっきりしている道路に出た方がヒッチハイクはしやすい。

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28歳、仕事中のにーちゃん。金沢出身。
「東京はようけいかんわ。石川のドライブマナーは全国でも指折りだよ。」

あと、元巨人の松井選手の実家を知っているらしく、記念館になっているという。

福井北インターまで乗せてくれた。これで福井の地を踏んだことになる。ぼくは大阪に行くことを優先しているので、先へ進みたいが、いちおうちゃんと福井の地を踏んでおく。

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敦賀出身福井在住の方。以前東京の三鷹に住んでいたことがあるという。福井北インターから敦賀まで乗せてくれた。

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トラック。敦賀インターまで。敦賀インターのまわには何もない。途方に暮れ、周りに何もないかうろうろするが、疲れてきてやはり先へ進むことにした。

心の中では(どこかで歌ったりしないのか?)と自分を追い立てる声が鳴り響いていたのだ。

でも、ぼくは逃げるように先へ進んだ。

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パチンコをしに行く途中の方。賤ケ岳サービスエリアまで。
「敦賀の方がおれはパチンコの相性がよくてね。こっちまでくるの。帰るところだからしずがたけまで送るよ。」

しずがたけ=賤ケ岳。読めない。賤ケ岳はもう滋賀県だ。

「滋賀の方は冬が長いんだよ。12月から3月まで雪が降るんだよ。」

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24歳男性。山崎さん。山崎さんは埼玉出身で、摂津在住の方。富山から仕事の帰りだという。

「人生は『気合と根性』。それで全部やってきた。Fightだね!」

そしてぼくは大阪までたどり着いた。心斎橋筋で降ろされた。いよいよトシに連絡する。

つづく

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