プリンと娘

手紙が届いた。差出人の名前はない。色紙で出来た封筒に、便箋はウサギのキャラクター。消印はない、そもそも切手がない。書き殴った様な拙い文字の羅列、主語のない不明瞭な構文。
犯人は直ぐにわかった。と、いうより知っていた。十中、八九、娘の仕業である。素材は恐らく昨日100円均一で購入した物だろう、よっぽどその心地を試したかったのに違いない。しかし買ってもらった翌日には、既に行動に移ってあるとは、我が娘ながら手際の良いものである。なんて、少し親バカだろうかと小さく感心を抱きつつ、その内容を確認する。

『ぷりんをかってきて、くだちい』

手紙にはたったそれだけ書いていた。全く、親であるという贔屓目を抜いても、良く出来た娘である。この歳で既に、目的の為に様々画策する賢さ、手間を惜しまない健気さ。なにより、親心というものを良く心得ていたのだ。駆け引きというものを、肌で知っているのである。それでいて、欲望を包み隠すような卑怯さを持ち合わせていない。無垢と知性が、ここでは鬩ぎ合いながら同居しているのである。これでは親として、どうにも買ってあげざるを得ないものではないだろうか。我ながら甘いとも思っている。しかし、親というのは、娘には勝てないように出来ているものなのだ。こればかりは仕方がない。それに美味しそうにプリンを食べるあの姿、満足そうな笑顔は、今でも克明に思い出される。

娘は甘いものが大好きである。ことプリンを食べる才能に関して、彼女に敵うものは居ないと踏んでいる。娘は事あるごとにスイーツをねだってくるのだが、私が断ろうが逃げようが、不思議な事に最後にはどうやってもありついてしまうのである。最早、何かの超能力に目覚めているのではないかと嫌疑を抱く程に、的確に私の心理を読み取り、言い包め、くるりくるりと上手に丸め込んでしまう。冷蔵庫の中には焼きプリンがいつも常備されている。補充役は私だ。いつか、蒸し器を買わされた事もあった。新作のスイーツの為に三つ隣の街まで付き合わされたこともあった。そして何より、娘には本当に美味しそうに食べる技術があったのである。いかにも幸せそうに甘いものを頬張り、そして満面の笑みをこぼす。その顔を思い浮かべると、どうしても勝てないなぁと、毎度のことながら考えさせられるのである。

娘には勝てない、というと、最近また大きな敗北を喫した。
一月程前の事だ、娘がある男を連れて来た。いや、娘も年頃なのであって、覚悟はしていた。カレシという物が出来て、いつかケッコンも考える。当然の道理であるだろう。しかしながら、事態というのは実際に直面すると何倍も恐ろしく感じるものである。まあ、驚きはしても親として否定はしまいと、心には決めていた。だが、しかし、ただしかし、彼は所謂夢追いの人間であったのだ。決して彼の態度に不満があった訳ではない。悪い男ではないというのも、なんとなくだがわかる。娘の事は愛しているが、取られたくないなどと腑抜けた事を言う程腐ってはいないつもりであった。しかしながら私は、どうしても一点、腑に落ちなかったのである。果たして彼と一緒になって娘は、100パーセント十全に幸せを得ることが出来るのだろうかと。夢を追って、娘を置いてけぼりにしやしないかと。ただ心配になったのだ。娘はまだ若い、だからこそ、ガツンと、一言、娘の幸せという物を、考えるのならば言わねばなるまい。嫌われたって構いはしない、男の方も、気の毒だが仕方がないと。決して彼に落ち度は無い、だが娘だけは特別だ、絶対に駄目なのだと。私の思考は、確信が支配していた。いつか誰もが得るであろう、自身は差別などしないであろうという知見。それがその時は、全く違っていた。娘だ、娘の事を想うのに、体裁や観念などはもはや、役に立たないガラクタに思えたのだ。今になって思い返せば、私はその時、修羅に身を落とさんとしていたのだろう。人間の愛憎というものは、本当に恐ろしいものである。

と、言いつつも、結局私は何もしなかった。というのも娘に先手を打たれてしまったのである。家に帰ると、テーブルにはふたつの手作りが置かれていた。片方は娘の字、そしてもう片方が、恐らくは彼の作品なのだろう。まずは娘の手紙を一通り読み終える。

『今日はプリンを買ってこなくてもいいです。』

変わらずの身勝手さである。いつもは冷蔵庫にプリンがなければ、少し機嫌を損ねるというのに。まあ、解ってはいるのだが、なんというか少し寂しい所もある。だが、まだ暫くは私の節介は受けてもらうつもりだ。そして彼の方にも、如何程の物かと手を付けて、それで結局、何を言う気も起きなくなってしまった。とんだ笑い話である。嗚呼、なんとも、親心というものは、子供にしか働かないというのに、こと子供に対しては無力なものである。この勝負は、やはり今回も惨敗に終わってしまったようだ。彼の作品を味わった瞬間に、そう悟らされてしまったのだ。彼ならばきっと私と同じように、ともすれば私以上に娘を幸せにしてくれるのではないかと。最後にはもう、殆ど確信してしまっていたのだ。自身の役割はこれで終わりなんだと、彼に、彼の作品に、なにより娘に、痛感させられたのである。してやられた。私はまた、彼女の作戦にまんまとやり込められてしまったのだ。今度の敗戦理由は考えるまでもなく、娘と戦ったことそのものだろう。我ながら脇が甘いものである。まあ、腹を割って話すのは、酒の席でも別に構わないはずだ。全く、敵わないものである。決まり手は、テーブルにメモと一緒にプリンが置いてあったから。

from:こんなお話いかがですか 

https://shindanmaker.com/804548

thema:「手紙が届いた。差出人の名前はない」で始まり「テーブルにメモと一緒にプリンが置いてあったから」で終わります。

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