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コミットメントする新米女王陛下 ――「ミネルヴァ論」序章

私は動いていたいのよ。
この運命に、この手で関与したいのよ。

 2014年5月にヴェーネ・アンスバッハの背負った運命の重さについて論じた「ヴェーネ論」をネットに発表した。そのあとはしばらく、『Seraphic Blue』におけるミネルヴァ・フェジテのポジショニング、あるいは立ち位置の定まらなさについて考えていた。「ヴェーネ論」の終盤でも触れたことだが、ヴェーネやレイク、そしてユアンを含めたセラフィックブルーたる運命の天使一族と比較すると、ミネルヴァの置かれた立ち位置はせいぜい彼女らの物語を見届ける第三者でしかない。

 たとえ彼女がアメリカを模したような国家の女王だとしても、彼女はまだまだ新米だ。19歳の女の子が統治のトップに立つのは、さすがにイメージが沸かない。また、政治の実験を握っているデイジーに比べると単独で持てる力はそう大きくない。もちろん要所で彼女の持つ情報網は生きることになるのだが、対モーガン戦のようにミネルヴァやデイジーを危機に陥れようとする勢力も国内にはいた。たとえそれがエンデの絡んだ煽動だと言い切ったとしても、ガイアキャンサーの実行者であるエンデに対抗する国家のわりにはエンデにしてやられるという展開は、いささかお粗末なものである。

 もっとも、そういった対立の先鋭化こそが政治だと言い切ることもまた可能だろう。また、オーウェンやジェラールといった内政におけるミネルヴァ&デイジー派も、そして反ミネルヴァ&デイジー派であるモーガンにしても、軍人出身である点は現代的なものというより近代的な産物であると言うべきだろう。世界全体から見たらガイアプロビデンスの危機を抱え、そして外交的には一人の民間人でしかないゲオルク・ローズバーグという敵と対抗しなければならないフェジテという国家にとって、文民統制は必須とされない。

 もちろんこの戦い(直接的には、エンディングのあとにミネルヴァがデイジーに代わって統治のポジションに着くこと)が終わったらどうなるかはわからないが、中東諸国や一部の東南アジア諸国がそうであるように、軍事と一体化した国家は常にクーデターの危険性と隣り合わせである。然るに、世界の混乱に乗じたモーガンの企てたクーデター(未遂)も、フェジテにとっては来るべき危機の一つだったのだ。フェジテという、国家の成り立ちからしてみれば。

 よって、言わば非軍人であり、文民と言ってもよいミネルヴァの場合、内政についても外交においてもできることは決定でしかない。これはもちろん、作中ではデイジーが大半を担っていることだ。部下である政治家と官僚が煩雑な仕事をこなすわけだから、女王としてできることは基本的には統治、すなわち政治的決定なのである。

 もっとも、天使国家フェジテという国家において、たとえば議会がどのような運営をされているのかだとか、内政のナンバー2として首相のようなポジションのキャラクターがいるのかとか、政治的手続きの細かい部分については描写されていない。実はデイジーはもっと複雑な仕事をしているのかもしれないが、作中で目立つ行為があくまで最終的な決定権を下す、という領域でしかないので、あえて統治=政治的決定と書くことにする。

 ではミネルヴァにできることをデイジーがほとんどすべて担っているのだとすれば、ミネルヴァの役割とは一体なにか。それは、端的に言うと院外におけるコミットメントである。

 院内(政治的な空間の内部)における決定はデイジーが行い、外部の実動部隊でもある民間組織オーグと共に行動するミネルヴァは、オーグの最終的な目的(セラフィックブルーによる世界の救世)を考えるとまさに院外でのコミットメントそのものだ。政治的な決定の届く範囲においてはデイジーがそれを収め、そうした権力が届かない実力の世界においてはミネルヴァがコミットメントを行う。

 だから彼女にとって、デタッチメントは常にありえない選択である。彼女が唯一できる権力の行使が、王都との太いパイプを利用しての、星の命運に対するコミットメントなのだから。これを否定してしまえば、ミネルヴァが院外にいる理由はなくなる。モンスターとの戦闘にも参加する彼女にとって、いわゆる政治家の外遊などでは決してない。

 しかしここであえて一つ疑問を呈するとすれば、なぜミネルヴァはそこまでして外部にいようとするのか、というところだろう。院外におけるコミットメントの重要性は分かるにせよ、院内にとどまってできることはないのだろうか。たとえ院外におけるコミットメントが必要だとしても、それは彼女である必要があるのだろうか。

 たとえば第二章冒頭でレイクと出会ったとき、彼女はフェジテにおける有名なスラム、エンヴィ・ケイオスに向かおうとしていた。そこで出会った娼婦であるフォクシーに感化され、また彼女から説教を受けたりもするわけだが、紆余曲折ありながらもレイクやミネルヴァと行動を共にすることにしたフォクシーに親しみをも覚えていく。フォクシーもまた、ミネルヴァに対しては特別な感情を抱くようになるが、そもそもなぜミネルヴァがケイオスに向かおうとしたのか、その詳細は最後まで語られない。

 もちろん一種のフィールドワークとして、ととらえることはできる。ミネルヴァが単独であるならば明らかに危険な行為だが、フェジテセイバーでもあるハウゼンと共にしているのであればということで、デイジーからも許可をもらったのだろう。ミネルヴァは作中で何度か王都に言わば里帰りのような帰還を果たすが、いずれも短期間で王都を離れ、レイクやヴェーネのもとに帰ってくる。

 彼女をそこまで突き動かすのはなにか。なぜセラフィックブルーでもなければ他に重要な使命を持っているはずの彼女は、あえてオーグと共に世界の運命を見届けようとするのか。天ぷらが彼女に与えた、物語のガイドとしての外形的な役割を超えた、別の理由は存在するのか。

 そして「ヴェーネ論」で最後に生まれた一つの疑問。なぜ彼女は、物語の最後にヴェーネ・アンスバッハを突き放すような行為をしたのか。なぜ彼女はヴェーネを本当の意味で救うことができなかったのか。

 これから執筆を構想している「ミネルヴァ論」においては、これらの問いを一つずつひもといていきたい。さしあたってやるべきことは、『Seraphic Blue』における家族像と家族幻想の多様性、そしてそれらがつきつけてくる悲しい現実の数々の類型化だ。

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 ミネルヴァについて論じる前に家族について論じる理由は、端的に言えばこのゲームの物語の真のテーマは異なる家族間におけるイデオロギー闘争だからである。そして、ミネルヴァもまた、ヴェーネたちが運命を駆けて戦う世界の命運に対して、外部から重要な関わりを持っている。

 ミネルヴァはフェジテにおける主要国家と言ってもいい天使国家フェジテの盟主(見習い)であり、フェジテ、そしてセラパーソンを創造したキャサリン・リオとベネディクタ・フェジテの末裔だ。直接的な血の繋がりは描写されていないが、フェジテの女王がフェジテ姓を名乗るということ、また、国家としてのフェジテが創世者や現執行役のデイジー含め女系であることを見ても、描写されていない何かが脈々と受け継がれているのは想像に難くない。

 物語の最終決戦はヴェーネ対エルという女性同士の対決の構図をとるわけだが、物語はそもそも始めから女性の能力ありきなのである。そうした非男性社会という構図も、ネオリベラルな世界観とマッチしていると言えよう。ゲオルクもモーガンもエンデも、あるいはレイクもユアンといった男性たちは、エンデの言葉を借用するならば星の運命にとってはエキストラだったのかもしれない。そう考えると、キャサリン・リオとベネディクタ・フェジテはなかなか末恐ろしい脚本家コンビである。

 いったんミネルヴァから議論を離れてみても、このゲームでは非常に様々な家族像が描写されていく。

 たとえば主人公のレイク・ランドウェリーには両親がいない。母親は自分を産んだ直後に死に絶え、父親は自分の元を去ってしまった。後に父親がユアン・オースティンであり、母父(祖父)がゲオルクだと分かるのだが、ヴェーネと奇跡的な出会いを果たさなければ、レイクはココモの孤児のまま大人になっていたのかもしれない。

 父、あるいは母の不在もまた珍しくない。娼婦のフォクシーは、両親が殺害されたことをきっかけにして両親を失う。知的障害を持つドリスには性格の悪い母の描写はあるが、父の描写はない。アカデミーに入ることで、その母の元をやがて離れていく。

 ニクソン・クロムウェルには妻子がいたが、やがて二人は離れていく。そしてヴェーネは、レイクの母であるシリアの記憶を宿したまま誕生し、ジークベルトという仮の、そして狂った父親の元で育つことになる。ヴェーネと同様に、狂った父の元で情操をコントロールされたヴィルジニーも数奇な人生を送っている。ヤンシーやランサードにはそもそも家族の描写がないので判別できないが、十分語られない過去に重みがあるのは手に取るように分かる。

 そして一番語られるべきはクルスク家だろう。以前ブログでクルスク家の投げ掛けてくるテーゼについては記述したので詳細は避けるが、エンデが意外とはやく退場して、最終章に入ってクルスク家が真の敵として登場する構図は、先程述べたようにこのゲームのテーマ的には正しい流れだ。

 家族、それはどうしようもなく選べないものであるはずだ。そして間違いないなく人生にとって重要な意味を持つ。いや、意味を持ってしまう。短くはない幼少期から学童期、青年期を、両親とともに過ごすか、あるいは両親の産み落とした世界で生きざるをえない。

 その圧倒的な不幸と不運を、クルスク家は身をもって提示した。彼らほどわかりやすく、そして悲しい主張はない。「ヴェーネ論」では彼らの思想に対する反論を試みてみたが、私たちの住まう世界にも反出生主義という主張は存在するし、生まれることそのものから起因する不幸を完全に排除することができないならば、多かれ少なかれクルスク家に屈するしかない。

 では話をもう一度戻して、ミネルヴァの場合はどうなのだろう。ラストシーンにおける彼女は、ヴェーネと限りなく近しい場所にいながら、彼女とは異なる答えを持っているように思えた。それは先ほども述べたように、彼女はヴェーネとは異なる答えを持っていたからではないか。それはすなわち、ヴェーネとは異なる人生についての問いを持っていたからではないか。

 ミネルヴァの地位や権力はともかく、彼女の生き方や感情の若さや青さは、プレイヤーにはしかしながら受け入れられやすい。奇人変人の集まりであるこのゲームのパーティにおいて、彼女と、そしてニクソンは貴重な常識人だからである。よって、「ヴェーネ論」で論じた彼女の唯一無二性とは異なり、ミネルヴァのキャラクターからはもっと普遍的なものを抽出できるのではないか、と構想している。

 ミネルヴァ・フェジテ。たかだか19歳でありながら無限のポテンシャルを持つ彼女の未来は、確かに生まれたときから悲しい運命が決まっているヴェーネ・アンスバッハとは異なる。しかしながら、ミネルヴァの場合も天使国家フェジテの女系盟主として、その唯一無二性は疑いようもない。彼女にも、やがて統治のトップに立つという運命と、責務が課せられている。だからこそ、彼女はあくなきコミットメントを続けるのだ。青臭かろうと、無防備だろうと、だ。

 彼女のコミットメントの先に待つのがヴェーネ・アンスバッハの辿った悲しい結末だとしても、彼女の見据えるものをもう少し深く、詳細に追ってみたいと強く思っている。

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